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大谷吉継 転生録 〜義は滅びず、再び剣を取る〜  作者: ひさめ


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第64話:黒印の二通

地下書庫の写しを得た吉継。

次に動かすのは兵ではなく、二通の文と黒印でした。

 白蝶城へ戻ると、チヨネはまず鼻を隠した。


 もう墨は拭われている。


 それでも本人の中では、まだ負けたことになっているらしい。


「ふん……」


 不服。


 吉継には、そう聞こえた。


「次は勝てばよい」


「ふん」


 勝つ。


 今度は強い返事だった。


 そのやり取りを見て、エルネが少しだけ笑った。


 だが、机の上に置かれた写しを見た瞬間、笑みは消える。


「黒楡商会、支度金、白霧境、未処理……。これは、もう言い逃れできません」


「言い逃れはする」


 吉継は椅子へ腰を下ろした。


「するのですか」


「する者は、する。証拠があっても、言葉を曲げ、書き手を疑い、写しだと侮る」


 エルネは唇を噛んだ。


「では、どうすれば」


「二通、書く」


 吉継は紙を二枚、机に置いた。


 一枚は厚い白紙。


 もう一枚は、少し粗い紙。


「白紙は王都へ。宰相ミセリア・イシダ宛てだ」


 ジゼリアが顔を上げた。


「王都へ知らせるのか」


「知らせる。ここまで来れば、領内だけで抱える話ではない」


「なら、なぜもう一枚を」


「ラザルを呼ぶ」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


   ◆


 ロウエンが慌てて帳面を閉じた。


「領主様。呼ぶとは、白蝶城へですか」


「そうだ」


「危険です。相手は東境神殿の副院監で、神殿兵も動かせます」


「だから呼ぶ」


 吉継は墨をすった。


 チヨネが墨壺を見て、少しだけ身構える。


 今は敵ではない。


 そう言い聞かせている顔だった。


「こちらから踏み込めば、ラザルは帳簿を焼く。東境神殿の中で騒げば、神殿全体への攻撃にされる」


「では、白蝶城なら」


 エルネが言った。


「ここは大谷様の領内。誰を入れ、誰を会わせ、誰の発言を記録するか、こちらが決められる」


「その通りだ」


 吉継は頷いた。


「ただし、呼び方を誤れば逃げる。だから、こちらが帳簿の写しを得たことは伏せる」


 ジゼリアの眉が寄る。


「隠すのか」


「隠す」


「それは、正しいのか」


 吉継は筆を止めた。


 ジゼリアの声に怒りはない。


 迷いがあった。


 彼女はもう、ただ正面から叫べばよいとは思っていない。


 だが、策の濁りに慣れてもいない。


「ジゼリア殿。正しさだけを掲げて進めば、相手は証拠を消す。証拠が消えれば、救えた者まで救えなくなる」


「それでも、嘘は」


「嘘は書かぬ」


 吉継は粗い紙を指で押さえた。


「こちらには未処理の保護対象がいる。神殿側の責任者と記録照合を行いたい。本人確認と今後の扱いについて、白蝶城で協議する用意がある」


 ジゼリアが瞬きをした。


「……嘘ではない」


「ああ」


「だが、餌だ」


「そうだ」


 吉継はまっすぐ答えた。


「餌を置かねば、獣は檻へ入らぬ」


 ジゼリアは苦い顔をした。


「あなたは、時々とても嫌な言い方をする」


「戦をしてきた」


「知っている」


「だが、餌にするのは保護された者たちではない」


 吉継の声が低くなる。


「餌は文だ。紙だ。黒印だ。彼女らは使わぬ」


 ジゼリアの肩が、少しだけ下りた。


「なら、許す」


「許可が要るのか」


「要る。私の中では」


 エルネが筆を止め、必死に笑いをこらえた。


 チヨネはよく分からないまま、真剣に頷いていた。


   ◆


 一通目は、硬い文になった。


 宰相ミセリア・イシダ宛て。


 黒楡商会。


 東境神殿副院監ラザル。


 救貧院帳簿の写し。


 ベリオの証言。


 白蝶城で保護している者たち。


 これらを、感情を入れずに並べる。


 エルネは読み返しながら、眉間に皺を寄せた。


「冷たい文ですね」


「王都へ出す文は、それでよい」


「怒りを書かないのですか」


「怒りは証拠にならぬ」


 ジゼリアが小さく息を呑んだ。


 たぶん、痛い言葉だった。


 だが、彼女は反論しなかった。


 二通目は、柔らかい文になった。


 東境神殿副院監ラザル宛て。


 未処理の保護対象について、神殿記録との照合が必要。


 保護対象の心身が不安定であるため、強制移送は避けたい。


 責任者本人の来城を求める。


 白霧境領主として、神殿側の面目を損なわぬ形で協議したい。


 エルネが読み上げると、アリスティが片眉を上げた。


「優しいねえ。刃物を絹で包んでる」


「包まねば、相手が持たぬ」


「刺す気はあるんだ」


「必要なら」


 アリスティは満足そうに笑った。


「そういうところ、嫌いじゃないよ」


 チヨネが小さく「ふん」と鳴く。


 同意。


 あるいは、刺すなら呼べ。


 吉継は聞かなかったことにした。


   ◆


 黒印を押す時、部屋の空気が変わった。


 吉継は懐から小さな印を取り出す。


 前世で花押の代わりに用いた印。


 この世界で、まだ自分と過去をつなぐもの。


 黒い印泥へ沈め、白紙へ押す。


 大。


 その一字が、静かに浮かんだ。


 ジゼリアが見つめる。


「それは、あなたの誓いか」


「似たようなものだ」


「軽い言い方をする」


「重いものほど、軽く扱わねば手が震える」


 ジゼリアは黙った。


 チヨネは黒印を見て、目を細める。


 墨壺よりは敵ではない。


 そう判断した顔だった。


 二通の文は、それぞれ別の封へ入れられた。


 王都宛ては、ロウエンの手配した早馬へ。


 東境神殿宛ては、ベリオの部下だった若い神殿兵へ。


 その神殿兵は、青い顔で膝をついている。


「私が、これを副院監へ」


「届けるだけでよい」


 吉継は言った。


「途中で開けば、封の黒印が割れる。割れた文は、ラザルにも王都にも価値を失う」


「開きません」


「それでいい」


 ジゼリアが一歩前へ出た。


「神殿兵」


「は、はい!」


「これは救済のための文だ。誰かの保身のために捨てるな」


 神殿兵は、震えながら深く頭を下げた。


   ◆


 夕刻。


 東境神殿から返書が届いた。


 使者は白蝶城の門前で汗を浮かべていた。


 封は整っている。


 ラザルの印もある。


 エルネが読み上げた。


「未処理保護対象の照合について、明朝、東境神殿副院監ラザルが白蝶城へ赴く。神殿の面目を重んじた対応に感謝する……だそうです」


 ロウエンが息を吐いた。


「来ますね」


「来る」


 吉継は返書を受け取った。


 文は丁寧だ。


 丁寧すぎる。


 その裏にある焦りが、墨の匂いの奥から滲んでいる。


 ジゼリアは窓の外を見ていた。


「大谷吉継」


「何だ」


「明日、私は怒るかもしれない」


「怒れ」


「今度は止めないのか」


「止める。だが、怒ることは止めぬ」


 ジゼリアは少しだけ笑った。


 痛みの残る笑みだった。


 チヨネが吉継の袖を引く。


「ふん」


 罠。


 そう言っている。


 吉継は頷いた。


「ああ。明日は、白蝶城が檻になる」

今回は、吉継が紙で罠を組む回です。


王都へ送る正式な報告。

ラザルを白蝶城へ呼び出すための照合文。

同じ黒印を押した二通の文が、それぞれ別の戦場を作っていきます。


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