第61話:朝鐘の使者
朝の鐘の後、東境神殿から確認の使者が白蝶城へ現れる。
吉継は、相手の言葉から腐敗の線を引き出そうとします。
朝の鐘が鳴った。
白蝶城の西倉では、湯の匂いと薄い粥の匂いが混じっていた。
保護された女性等は、まだ互いに身を寄せ合っている。
だが、昨夜よりは呼吸が深い。
一人の若い女性が、腕の傷を見せるまでに時間がかかった。
ジゼリアは急がなかった。
膝をつき、目線を低くし、手を見える場所に置いたまま待つ。
「触れても、よいですか」
女性はすぐには答えない。
ジゼリアの胸元の十字架を見て、肩を震わせる。
それでも、やがて小さく頷いた。
「ありがとう」
ジゼリアはそう言ってから、光をほんの細くした。
大きな癒やしではない。
傷口の熱を少しだけ落とす程度の光だ。
それでも女性のこわばった指が、わずかに緩んだ。
ジゼリアは唇を噛んだ。
癒やせた喜びではない。
ここまで怯えさせたものが、自分と同じ神殿の名だったという痛みだった。
◆
吉継は西倉の外で待っていた。
エルネが板切れを抱え、眠そうな顔で立っている。
「記録役は私だけで足りますか」
「足りる。貴殿は耳がよい」
「耳がいいというより、疑う癖がついただけです」
「それは良い癖だ」
エルネは少しだけ口元を歪めた。
「褒められている気がしません」
「褒めている」
チヨネが柱の影から顔だけを出し、「ふん」と鳴いた。
たぶん、急げと言っている。
あるいは、眠い。
どちらでも大きくは外れていない。
アリスティは門の方を見ていた。
傭兵団の何人かは、白蝶城の兵に混じって立っている。革鎧は脱ぎ、ただの警備兵に見えるようにしていた。
「来たよ」
アリスティの声は軽い。
だが目は笑っていない。
門の外に、光神教の白い馬車が止まった。
降りてきたのは、細面の司祭だった。
名乗りは丁寧だった。
「東境神殿、副院監補佐のベリオと申します。昨夜、神殿の保護手続きに行き違いがあったと聞き、確認に参りました」
声は柔らかい。
柔らかすぎた。
吉継は一礼だけ返した。
「白霧境領主、大谷吉継だ。確認とは、何を確認する」
「昨夜の保護対象です。こちらで一時的に預かられているとか」
「誰から聞いた」
ベリオの笑みが、ほんの少し薄くなる。
「我々には、救済記録があります」
「記録に名はあるのか」
「身寄りのない者です。名が定かでない場合もあります」
「では、なぜここにいると分かる」
ベリオは一拍、黙った。
エルネの筆が、板の上を小さく走る。
その音を聞いて、ベリオの目が動いた。
「……荷車が一台、戻っておりません」
出た。
吉継は表情を変えなかった。
「荷車なら、城の外にある。車輪を痛めていたので預かった」
「中身もです」
「中身」
吉継は静かに繰り返す。
ベリオは自分の言葉に気づいたのか、すぐに言い直した。
「保護対象の方々です」
西倉の戸の隙間で、ジゼリアの肩がわずかに動いた。
彼女は出てこない。
吉継がそう頼んだからだ。
怒れ。
ただし、合図まで黙っていろ。
今、彼女はそれを守っている。
「保護対象の数は」
吉継が問う。
「こちらの記録では、四名です」
「俺は数を教えていない」
ベリオの喉が動いた。
アリスティが少しだけ笑った。
「神殿の記録は便利だね。行方不明になった先まで分かる」
「皮肉は結構。こちらは正式な救済の手続きで動いております」
「ならば、王都の役人を呼ぶか」
吉継は言った。
ベリオの笑みが消えた。
「そこまでする必要はありません。これは神殿内の保護案件です」
「白霧境内にいる者を、本人の意思確認もなく引き渡す理由にはならぬ」
「領主殿。彼女らは身寄りがなく、判断も十分ではありません。神殿で保護するのがもっとも安全です」
西倉の中で、粥の椀がかすかに鳴った。
保護された女性の誰かが、震えたのだろう。
ジゼリアの手が、戸板を押さえる。
光は漏れていない。
怒りだけが、そこにある。
「安全かどうかは、本人に聞く」
吉継は言った。
「今すぐ、面会を」
「断る」
「なぜです」
「昨夜保護した者は、眠り、食い、傷を見せるだけで精一杯だ。神殿の印を見れば震える者もいる。今、貴殿を会わせる理由がない」
ベリオは息を吸った。
顔に、初めて苛立ちが浮かぶ。
「誤解です。彼女らは神殿の保護を受けるはずでした。途中で商会に渡る手筈など」
言葉が止まった。
白蝶城の空気も止まった。
吉継は、ゆっくり目を細める。
「商会」
ベリオの顔から血の気が引いた。
「……一般の奉公先を斡旋する協力商会です」
「俺は、商会とは一言も言っていない」
エルネの筆が止まる。
アリスティが腰の短剣に指を置いた。
チヨネの影が、ベリオの足元へ薄く伸びる。
まだ縛らない。
逃げる道だけを測っている。
吉継は声を荒げなかった。
「続けろ。どの商会だ」
「……答える義務はありません」
「では、こちらも引き渡す義務はない」
ベリオは視線を走らせた。
門。
兵。
アリスティ。
西倉。
そして、戸の隙間から見える白と赤の外套。
「ジゼリア様」
ベリオの声が少し裏返った。
「そこに、おられるのですか」
戸が開いた。
ジゼリアが出てくる。
十字架を握る手は白い。
だが、剣は抜いていない。
光も出していない。
「副院監補佐ベリオ」
ジゼリアの声は低かった。
「今の言葉、私も聞いた。商会とは、どこの商会だ」
「ジゼリア様、これは誤解です。副院監ラザル様も、すべて救済のために」
「私は、商会名を聞いている」
ベリオは答えなかった。
答えられない沈黙だった。
ジゼリアは一歩だけ近づく。
白い外套が朝風に揺れた。
「私を、光神教の聖騎将として見るなら答えろ。私を邪魔な証人として見るなら、今すぐそう言え」
ベリオの膝が揺れた。
吉継は静かに手を上げた。
白蝶城の兵が門を閉じる。
重い木の音が、朝の空へ響いた。
「ベリオ殿」
吉継は言った。
「ここからは、保護の確認ではない。白霧境領内で起きた人身売買未遂の事情聴取だ」
ベリオの目が見開かれる。
チヨネが、今度ははっきりと鼻を鳴らした。
「ふん」
逃がさない。
吉継には、そう聞こえた。
今回は、白蝶城を舞台にした言葉の戦です。
ベリオは「保護」と言いながら、保護対象をどこか物のように扱っている。
その小さなズレを、吉継は逃しませんでした。
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