第60話:白蝶城の灯
保護された女性等を白蝶城へ運ぶ吉継たち。
そこでジゼリアは、自らの手で光神教の汚名と向き合おうとします。
白蝶城の門が開いたのは、夜明け前だった。
荷車の車輪が、湿った土をゆっくり踏む。
保護された女性たちは声を出さない。
泣く力すら、まだ戻っていなかった。
門番の一人が松明を掲げ、荷台を見て息を呑む。
「領主様、これは」
「声を落とせ」
吉継は城内へ目を向けた。
「西倉を空けろ。火を入れ、湯を沸かせ。男は近づけるな。女性の手が足りぬなら、エルネに呼ばせろ」
「は、はい!」
「それから、誰も神殿の名を口にするな。今の彼女らには毒だ」
門番の顔が強張った。
事情は分からずとも、命令の意味だけは伝わったらしい。
彼は松明を下げ、走っていった。
ジゼリアは荷台のそばで立ち尽くしていた。
胸元の十字架に、指が触れている。
「手伝ってくれるのか」
吉継が問うと、ジゼリアは胸元の十字架を握りしめた。
「ええ。これでも光神教の聖騎将です。汚名は、私自身で拭わなければ」
声にはまだ痛みが残っている。
だが、逃げる声ではなかった。
「では、保護された女性等を一人ずつ見てくれ。傷を負っている者がいれば治癒を。だが、必ず相手に聞いてからだ。光を怖がる者へ無理に触れるな」
「……私の光が、怖いのですね」
「今はな」
吉継は短く答えた。
「だからこそ、貴殿が一人ずつ向き合う必要がある。治すのは傷だけではない」
ジゼリアは荷台を見た。
保護された女性たちの目が、彼女の十字架を避けている。
その意味を、嫌でも理解したのだろう。
ジゼリアは一度だけ深く息を吸い、兵たちの方へ向き直った。
「湯を。清潔な布を。火は強すぎないように。冷え切った体に熱を急に入れるな」
吉継は門番と兵たちを見る。
「ジゼリア殿の指揮に従え。治療と保護に関しては、彼女が上だ」
「はっ!」
ジゼリアが驚いたように吉継を見る。
「私を、信じるのですか」
「領主は万民のために力を振るう。だが、個々を見る眼はどうしても粗くなる」
吉継の声は、いつもより少し柔らかかった。
「ジゼリア殿のように、一人へ寄り添える将もまた必要だ。貴殿は、良き将だ」
ジゼリアはすぐに返事をしなかった。
まっすぐな目が、吉継を見つめる。
病毒持ち。
危険な領主。
神の敵かもしれない男。
その印象のどこかに、小さな罅が入った。
「……その言葉、簡単には信じません」
「構わぬ」
「ですが、今は受け取ります」
ジゼリアは荷台へ膝をついた。
白い外套が、土で汚れる。
「私は、あなたたちに無理には触れません。傷を見るだけでもいい。嫌なら、嫌と言ってください」
返事はない。
けれど、一人の保護された女性が、ほんの少しだけ顔を上げた。
◆
チヨネは忙しかった。
影で戸を押し開け、影で毛布を引きずり、影で湯桶を運ぼうとして、途中で湯桶が揺れた。
「ふんっ」
揺れた湯桶へ、チヨネがむっとする。
「湯には勝たずともよい。こぼすな」
「ふん……」
反省している。
たぶん。
アリスティが横目で見て、肩をすくめた。
「影で湯運びか。うちの傭兵にも覚えさせたいね。食器洗いで逃げる連中が減る」
「貴殿の部下は戦える」
「戦える男ほど、皿から逃げるんだよ。妙なところで賢い」
軽口が、少しだけ空気を緩めた。
西倉には藁が敷かれ、火鉢が置かれた。
エルネは眠気を振り払うように髪を結び直し、白紙を抱えて駆け込んでくる。
「大谷様、記録を取ります。名前を聞くのは、今すぐですか」
「急ぐな」
吉継は首を振った。
「まず湯、食べ物、眠る場所だ。名は、本人が言えるようになってからでよい」
「分かりました。では、物資の出入りだけ先に書きます」
「それでいい」
エルネは保護された女性たちを見て、唇を噛んだ。
言葉をかけたいのだろう。
だが、軽い慰めが届く場面ではない。
彼女は黙って帳面を開いた。
その沈黙は、下手な言葉よりずっとましだった。
◆
司祭は別室へ運ばれた。
逃げられないようアリスティの部下が見張り、ロウエンが机を用意する。
黒楡商会の男は腕を縛られ、壁際で呻いていた。
傷口は塞いである。
死なせぬためだ。
楽にするためではない。
「書け」
吉継は司祭の前へ羊皮紙を置いた。
「副院監ラザル。黒楡商会。受け渡し場所。過去に運んだ荷車。名前を知らぬなら、顔つき、癖、印でもよい」
司祭の手は震えていた。
「私を、守ってくださるのですか」
吉継の目が冷えた。
白蝶城へ戻ってから見せていた柔らかさが、その瞬間だけ消える。
「そうだな。約束は守る」
司祭の顔に、わずかな安堵が浮かんだ。
吉継は続ける。
「光神教の威光は、な」
「……話が、違います」
「違わぬ」
吉継は司祭を見下ろした。
「これまで散々好き勝手にしていた者が、今さら保身だけ守ろうとするとは」
声は荒くない。
だからこそ、余計に冷たかった。
「身の程を知れ」
司祭の喉がひゅっと鳴った。
普段は温厚にさえ見える白布の領主が、別の顔を覗かせた。
戦場で人を斬り、裏切りと謀略の中を生きた武将の目だった。
司祭は怯えきり、筆を取り落とした。
ジゼリアが扉の外に立っていた。
中へ入らない。
ただ、逃げないように見ている。
「私は、まだ怒っている」
ジゼリアの声がした。
「だから今は近づかない。近づけば、余計なことを言う」
司祭はびくりと肩を揺らした。
「だが、お前を殺させない。証言を書け。私が守ると言った言葉まで、汚すな」
静かな怒りだった。
火より熱く、けれど燃やさない。
吉継は、わずかに目を細めた。
この女は強い。
まだ危うい。
だが、折れた光ではない。
司祭は筆を取った。
最初の字は震えた。
次の字も、まだ震えていた。
それでも、名は書かれた。
ラザル。
東境神殿、副院監。
◆
夜が白み始めるころ、証言は三枚になった。
黒楡商会の木札。
保護された女性たちにつけられた値の羊皮紙。
司祭の証言。
黒楡の男の生存。
点は、線になった。
ロウエンが青い顔で言う。
「領主様。これを王都へ送れば、神殿と正面からぶつかります」
「すぐには送らぬ」
「なぜです。証拠は揃っています」
「揃いすぎている」
ロウエンが目を瞬かせた。
アリスティは少し笑った。
「なるほどね。綺麗すぎる証拠は、逆に燃やされやすい」
「ああ」
吉継は証言の束を閉じた。
「こちらから突き出せば、ラザルは知らぬと言う。司祭一人と黒楡商会の暴走で終わらせるだろう」
ジゼリアが顔を上げる。
「では、どうする」
「向こうから来させる」
吉継は証言の三枚目を指した。
そこには、小さな一文があった。
今夜の荷が戻らぬ時、朝の鐘の後、東境神殿より確認の使いが来る。
「ラザルは、荷が消えたことをまだ知らぬ。ならば次に来る者は、何を確認しに来るのか」
ジゼリアの拳が震えた。
「保護された女性等を、だ」
「そして、黒楡商会との受け渡しを知っている者が来る」
チヨネが吉継の袖を引いた。
「ふん」
行くのか、と言っている。
「行かぬ」
吉継は白蝶城の門を見た。
「ここで待つ。俺の城で、相手に喋らせる」
朝日が、白蝶城の土塁を薄く照らし始めた。
土の城は、まだ未完成だ。
だが今この瞬間だけは、逃げ込んだ者を隠すだけの穴ではない。
敵を迎え、言葉を吐かせる口でもあった。
ジゼリアは十字架を握りしめる。
「大谷吉継。私にも、役目をくれ」
「ある」
吉継は答えた。
「怒れ。ただし、俺が合図するまで黙っていろ」
ジゼリアは一瞬だけ、苦い顔をした。
そして、短く頷いた。
「……難しいな」
「難しいから、貴殿に頼む」
チヨネが小さく「ふん」と鳴いた。
今のは少しだけ、褒めた。
今回は、白蝶城が「戦う城」だけではなく「逃げ込める場所」でもあることを描きました。
ジゼリアはまだ怒っています。
けれど、その怒りを燃やすだけでなく、目の前の一人へ向き合うことを選び始めました。
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