第59話:折れぬ光
泣き声を真似るゴブリンの罠。
ジゼリアは民を救うために走り、吉継はその足元にある仕掛けを見抜きます。
ジゼリアは、羊皮紙から目を離せなかった。
黒楡商会。
荷車番号。
女たちにつけられた値。
文字は短い。
短いからこそ、逃げ場がなかった。
「……これは、偽造だ」
ジゼリアの声は、強くしようとしていた。
だが、指が震えている。
「神殿の印がない。正式な保護記録ではない。だから、これは」
「ならば、司祭に聞けばよい」
吉継は倒れた司祭へ目を向けた。
司祭はアリスティの部下に押さえられ、土の上で息を荒くしている。
逃げる気力は、もうない。
ただ、答える勇気もなかった。
「答えろ」
ジゼリアが一歩進む。
胸元の十字架が揺れた。
「この羊皮紙は何だ。なぜ、保護した者の名ではなく、値が書かれている」
司祭は目を伏せた。
「私は……命じられただけです」
その一言で、ジゼリアの顔色が変わった。
「誰に」
「言えません」
「誰に命じられた!」
光が、ジゼリアの肩から噴き上がった。
聖炎ではない。
怒りが光になりかけている。
吉継の皮膚の下が、じり、と焼けた。
チヨネがすぐに吉継の前へ出る。
「ふん……!」
「下がれ、チヨネ」
吉継は小さく息を吐いた。
「ジゼリア殿。光を抑えろ」
「抑えられるか!」
ジゼリアは振り向いた。
その目には涙が浮かんでいた。
「神殿は、救う場所だ。傷ついた者を癒やし、行き場のない者へ手を差し伸べる場所だ。私は、そう信じてきた」
「その信じたものまで、今ここで焼く気か」
ジゼリアが息を呑む。
吉継は荷台を指した。
チヨネの影に守られた女たちが、怯えながらこちらを見ている。
彼女たちは、光を怖がっていた。
ゴブリンの火ではなく、救うはずの神殿の光を。
ジゼリアも、それに気づいた。
肩の光が、ゆっくりと弱まる。
「……私は」
「怒るなとは言わぬ」
吉継は静かに言った。
「だが、怒りの向け先を間違えるな。今燃やすべきは、目の前の女たちではない」
ジゼリアは唇を噛んだ。
噛みすぎて、血が滲む。
◆
アリスティが司祭の襟を掴み、少しだけ持ち上げた。
「団長としては、そろそろ喋ってもらいたいんだがね。こっちも夜道で長話は趣味じゃない」
「私は、書類を渡されただけです。本部の救貧院へ運ぶようにと」
「救貧院の名で、黒楡商会に渡したのか」
吉継が問う。
司祭の肩が跳ねた。
「違う。私は、途中で商会へ引き渡せと……そう言われただけで」
「誰に」
「東境神殿の副院監、ラザル様です」
名前が出た。
吉継は軍配を閉じる。
「それを書け」
「書けば、私は殺されます」
「書かなければ、ここで終わる」
司祭が震えた。
ジゼリアが顔を上げる。
「殺すのか」
「殺さぬ」
「今、終わると言った」
「司祭として終わる、という意味だ」
吉継は司祭の前へ屈んだ。
「お前はすでに女たちを売った。神に仕える身としては、もう終わっている。だが、人として残れるかは、今から決まる」
司祭の喉が鳴った。
「証言を書け。副院監ラザルの名、黒楡商会の受け渡し場所、過去の荷車の数。知る限りすべてだ」
「……書けば、本当に守るのですか」
「守る」
ジゼリアが言った。
吉継ではない。
ジゼリアが、はっきりと言った。
司祭は驚いて顔を上げた。
ジゼリアは十字架を握ったまま、膝をつく。
「お前のしたことは許さない。だが、証言する者を殺させることも許さない。私が、守る」
声は震えていた。
それでも、前を向いていた。
吉継は、その横顔を見た。
折れかけている。
だが、まだ折れていない。
真っ直ぐすぎる光は、折れれば鋭い破片になる。
けれど、踏みとどまれば道を照らす。
「チヨネ」
「ふん」
「紙と墨を」
チヨネは小屋の奥へ影を伸ばし、煤けた机の上から帳面と墨壺を引き寄せた。
墨壺だけは、少し慎重だった。
以前の記憶があるのだろう。
アリスティが小さく笑う。
「墨には勝てそうか」
「ふん」
勝つ。
そういう顔だった。
◆
証言を書かせる間、吉継は荷台へ近づいた。
中の女たちは、まだ動けない。
鉄棒を握って立った女も、今は膝をついている。
「よく耐えた」
吉継は言った。
「もう少しだけ、耐えてくれ。白蝶城へ運ぶ」
「神殿へは……戻されませんか」
かすれた声だった。
「戻さぬ」
吉継は即答した。
「少なくとも、今夜は俺の領で守る。明日以降のことは、貴殿らの話を聞いて決める」
女の目が揺れた。
助かった、と信じきるには、彼女たちは傷つきすぎている。
それでよい。
信じろ、と命じることはできない。
信じられるだけの行動を積むしかない。
ジゼリアが、荷台の前で立ち止まった。
「私も、同行する」
吉継は振り向く。
「光神教へ戻らなくてよいのか」
「戻る。だが、その前に彼女たちを白蝶城へ送る」
ジゼリアは羊皮紙を握りしめた。
「私は、見てしまった。ならば、見なかったことにはしない」
吉継は小さく頷く。
「それでよい」
「よい、ではない」
ジゼリアは悔しそうに笑った。
「本当は、今すぐ叫びたい。神殿へ戻って、全員を問い詰めたい。だが、それをすれば証拠を消されるのだろう」
「ああ」
「腹が立つな。正しい怒りにも、順番がいるとは」
「戦と同じだ」
「私は、戦は得意なはずだった」
「なら、今夜ひとつ覚えた」
ジゼリアは黙った。
そして、ゆっくり息を吸う。
「大谷吉継」
「何だ」
「私は、まだあなたを完全には信用していない」
「構わぬ」
「だが今夜だけは、あなたの策に従う」
チヨネが小さく「ふん」と鳴った。
不満半分。
認めた半分。
吉継は軍配を開き、西の旧道を見た。
「白蝶城へ戻る。証人、被害者、羊皮紙、黒楡の男。すべて運ぶ」
アリスティが肩を回した。
「荷が多いな」
「人だ」
吉継の声は静かだった。
「二度と、荷とは呼ばせぬ」
今回は、吉継がジゼリアを救う回です。
ゴブリン戦は、敵を単なる雑魚ではなく「小さな軍」として描きました。
ジゼリアのオルレアンの乙女が吉継を傷つける中、それでも背後を守る場面も入れています。
そして戦いの後、光神教の荷車が到着します。
ジゼリアは救済だと信じていますが、チヨネだけが不穏な羊皮紙を密かに拾います。
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