第58話:西旧道の黒楡
神殿への大路を外れた一台の荷車。
吉継たちは、その行き先を追って西の旧道へ向かいます。
救済の名で隠された闇が、ついに形を持ち始めます。
西の旧道は、夜になると人の道ではなくなる。
木々が左右から身を寄せ、荷車の轍だけが黒い筋となって月明かりを受けていた。
吉継は白頭巾の端を押さえ、地面に膝をつく。
新しい轍がある。
車輪は一台分。馬の蹄は二頭。護衛らしき足跡が四つ。
そして、途中から足跡が増えていた。
「待ち合わせていたな」
吉継が呟くと、アリスティが鼻で笑った。
「救済の荷車が、人気のない旧道で待ち合わせか。ずいぶん慎ましい慈悲だ」
「皮肉は後だ。相手はまだ荷を持っている」
荷。
その言葉を使うたび、吉継の胸の奥に冷たいものが沈む。
助けた女たちを、人ではなく荷として扱う者がいる。
それを怒りで斬るだけなら簡単だった。
だが、簡単な刃は深い根を切れない。
「ふん」
チヨネが木の根元を指した。
小さな影印が、土の上で薄く揺れている。先に出した傭兵が残した印だ。
吉継は頷く。
「よく残した。チヨネ、先へ」
チヨネは袖を一度だけ掴み、離した。
行く。
そう言っている。
次の瞬間、彼女の体は木陰へ沈み、旧道の先へ消えた。
◆
旧道の外れには、古い炭焼き小屋があった。
屋根は半分落ち、壁は黒く煤けている。使われなくなって久しいはずの場所だ。
だが、今夜だけは違った。
小屋の前に荷車が止まっている。
白い布をかけられた荷台。
その脇に、黒い楡の葉を刻んだ木札を吊るす男が二人。
さらに、光神教の白衣を着た司祭が一人。
吉継は木陰から、それを見た。
証拠が、形になった。
「黒楡商会か」
アリスティの声が低くなる。
「知っているのか」
「名前だけは。奴隷に近い仕事を、きれいな契約書で包む連中だ。表では奉公斡旋。裏では、身寄りのない者を値札で動かす」
「そうか」
吉継は軍配を閉じた。
怒りはある。
だが、今は怒る順ではない。
小屋の中から、くぐもった音がした。
荷台の板を、内側から叩く音。
吉継が忍ばせた鉄棒だ。
中の誰かが、見つけた。
「生きている」
「突っ込むか?」
「まだだ」
吉継は司祭を見た。
司祭は震える手で羊皮紙を差し出している。黒楡商会の男がそれを奪い、鼻で笑った。
「数が足りん。三人と聞いたぞ」
「一人は衰弱がひどい。神殿で休ませる」
「嘘をつくな。値が落ちるから隠しただけだろう」
司祭は唇を噛んだ。
悪に染まりきった顔ではない。
怯えている。
だが、怯えながらでも売った。
それで十分だった。
「アリスティ殿。道を塞げ。馬だけは逃がすな」
「承知。商人の足を止めるのは得意だ」
「殺しすぎるな。喋る口がいる」
「難しい注文だな。努力はする」
アリスティは傭兵二人を連れ、森の横へ消えた。
吉継はチヨネを待つ。
小屋の裏の影が、少しだけ揺れた。
チヨネだ。
彼女は荷台の下へ潜り、黒い影を細く伸ばす。板の隙間から、内側の縄へ触れている。
「ふん……」
小さな鼻鳴らし。
怒りを抑えている音だ。
「よい。縄だけ切れ」
吉継はほとんど声にせず告げた。
影が動く。
荷台の中で、何かが緩む音がした。
◆
黒楡商会の男が、荷台へ近づいた。
「中で暴れるな。神殿へ戻りたいなら別だがな」
その手が布へ伸びる。
吉継は木陰から出た。
「その荷は、白霧境の領主が食料と薬布を入れたものだ」
男たちが振り向く。
司祭の顔が、紙のように白くなった。
「なぜ、ここに」
「道を間違えた荷車を、迎えに来た」
黒楡商会の男が短剣を抜く。
「領主様が夜道で散歩か。護衛も少ない。運が悪いな」
「いや」
吉継は軍配を開いた。
「運が悪いのは、そちらだ」
森の横で馬がいなないた。
アリスティの重力不変の土が、車輪の下の土を重く沈めたのだ。
荷車が傾く。
黒楡の男がよろめいた瞬間、荷台の布が内側から跳ね上がった。
細い鉄棒を握った女が、必死の顔で立っていた。
震えている。
それでも、彼女は自分の足で立った。
「よく立った」
吉継は静かに言った。
「チヨネ、守れ」
「ふん!」
チヨネの影が荷台を包む。
黒楡の男が舌打ちし、司祭の背を蹴った。
「てめえが漏らしたのか!」
司祭が地面に倒れる。
男の短剣が、その喉へ向いた。
口封じ。
吉継の足が動いた。
一足一刀。
白い袖が夜を裂き、古びた刀が短剣を持つ腕を断つ。
悲鳴が旧道に響いた。
「殺しはせぬ」
吉継は倒れた男を見下ろす。
「だが、二度と女を荷と呼ぶな」
◆
その時だった。
旧道の向こうから、白い光が差した。
ジゼリアが立っていた。
胸元の十字架を握り、顔を強張らせている。
彼女の後ろには、光神教の兵が二人。
どうやら追ってきたらしい。
「これは……何だ」
ジゼリアの声は震えていた。
怒りではない。
まだ、怒りに届いていない。
信じていたものが、目の前で形を失っていく時の声だった。
吉継は刀を下げる。
血は、刃先から一滴だけ落ちた。
「見た通りだ」
「違う」
ジゼリアは首を振った。
「そんなはずがない。神殿は、救う場所だ」
チヨネが荷台の影を広げ、女たちを隠す。
アリスティは司祭を押さえたまま、何も言わない。
吉継は、ゆっくりと羊皮紙を取り出した。
黒楡商会の名。
荷車番号。
女たちにつけられた値。
「なら、貴殿の目で確かめろ」
ジゼリアの指が、震えながら羊皮紙へ伸びた。
光が、かすかに揺れた。
そして彼女は、そこに書かれた数字を読んだ。
夜風が止まったように、誰も動かなかった。
ジゼリアの唇が、かすかに開く。
「……誰が」
その問いに、司祭は答えなかった。
ただ、目を逸らした。
今回は「追跡」と「確証」の回です。
吉継は怒りだけで斬り込まず、荷車の行き先、商会名、羊皮紙、現場を押さえました。
そしてジゼリアは、信じていた光の内側にある闇を自分の目で見ることになります。
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