第57話:影の羊皮紙
光神教の荷車は、救済の名のもとに村を出ていく。
ジゼリアはまだ、その光を疑っていない。
だがチヨネの影は、荷車の下で不穏な羊皮紙を拾っていました。
光神教の荷車は、村跡の外れで列を整えていた。
白い布をかけられた遺体。
傷ついた女たち。
助け出された子供。
司祭たちは弔いの鈴を鳴らし、祈りの言葉を重ねていく。
ジゼリアはその前に膝をつき、静かに頭を垂れていた。
疑っていない。
彼女にとって、光神教は弱き者を救う場所なのだ。
吉継は、その背を見ていた。
右腕の包帯の下が熱い。
オルレアンの乙女の光は、まだ肉の奥に残っている。痛みではない。焼けた跡が内側から広がるような、不快な熱だった。
「治療を受けろ。その袖の焦げ方は、少しの傷ではない」
ジゼリアが振り向いた。
吉継は袖を直し、焦げた布を隠す。
「貴殿の光は、人を救う。俺には少し合わぬだけだ。だから、責める相手を間違えるな」
「少し、で済む顔ではない」
「顔は見えぬだろう。見えぬものまで心配するとは、貴殿は忙しいな」
ジゼリアは一瞬だけ黙った。
冗談として受け取るには、声が静かすぎたのだろう。
「なぜ、そこまでして私の後ろに立った。私は、あなたを疑っていたのだぞ」
「貴殿が倒れれば、助かる者が減る。真っ先に火へ飛び込む者ほど、後ろに立つ者がいる」
「それだけで、焼かれながら背を守れるものか」
吉継は答えなかった。
代わりに、軍配を軽く閉じる。
それだけではない。
ジゼリアの目は、あまりに真っ直ぐだった。
吉継は、前世で見た真田幸村――その頃の名でいえば、真田の左衛門佐信繁を思い出していた。
義と信念を抱えたまま、勝てぬと分かっている場所へ踏み込む者の目。
真っ直ぐすぎる者は、折れる時も早い。
だから、助けたかった。
だが、それを何度も言葉にするほど、彼は器用ではなかった。
足元の影が、裾を小さく引いた。
チヨネだ。
彼女はいつものように音もなく現れ、吉継の袖の内側へ何かを滑り込ませた。
小さな羊皮紙。
吉継はそれを開かず、袖の中で指だけを動かした。
紙の厚み。
折り目。
端についた蝋。
ただの祈祷文ではない。
「ふん……」
チヨネの鼻鳴らしは、いつもより低い。
怒っている。
「分かった。今は飲み込め。あとで必ず見る。お前が気づいた違和感を、俺は軽く扱わぬ」
こくり。
それでもチヨネは、ジゼリアを一度見た。
敵意ではない。
教えたいのに、今は言えないという顔だった。
◆
荷車が出る前、吉継はアリスティを呼んだ。
「護衛を二人、荷車につけられるか」
「光神教の護衛なら、もういる。……それでも足りないという顔だな」
「あの荷車を、俺の目でも見ておきたい。助けたはずの者が、どこへ消えるのかをな」
アリスティの目つきが変わる。
傭兵の顔だ。
「疑っているのか」
「行き先が気になる。救済を名乗る荷が、人目を避ける理由は少ない」
「人ではなく、道か。嫌な話だ」
「光神教の者は、宿を経由して本部へ移すと言っていた。だが、この辺りで使える宿は少ない。近道もある。それなのに、わざわざ人通りの少ない道を選ぶなら、理由がいる」
アリスティは小さく笑ったが、目は笑っていなかった。
「なるほどな。臭い。実に嫌な臭いだ」
「面倒な相手だからな。宗教は、善意の顔で人を動かす」
吉継は袖の中の羊皮紙を意識する。
ここで司祭の胸倉を掴めば、ジゼリアは止めに入る。
光神教は被害者を保護しているだけだと言う。
証拠を突きつけても、写しも証人もなければ、紙一枚は風で消える。
怒りで動けば、女たちはさらに奥へ隠される。
それでは救えない。
「少人数で良い。あの荷車の行方を追え」
「もし本当に横道へ入ったら?」
「止めるな。斬るな。木に印を残して戻れ。焦って女たちを消されては終わりだ」
アリスティは頷いた。
「分かった。足の軽い者を出す。こういう汚い追いかけっこは、傭兵の得意分野だ」
「もう一つ。白蝶城の薬布と干し肉を渡す。その中に、短刀と細い鉄棒を隠しておけ」
「お前、今度は何を仕込む気だ」
「半分は本気の親切だ。飢えた者に食わせるのは当然だろう」
「残りの半分が怖いな」
「荷の中に武具を隠しておけ」
アリスティは目を細めた。
「途中で奪い返す気か」
「まだ襲わぬ。行き先を見て、確証を掴むのが先だ」
「なら、武具は何のためだ」
「中にいる者が、最後に自分を守るためだ。扉を閉じられてからでは、外の者だけでは間に合わぬことがある。助けを待つだけの者にしたくない」
アリスティは短く息を吐いた。
「本当に、戦をしているみたいだな」
「戦だ。相手が刀を抜いていないだけでな」
◆
吉継は司祭の前へ進んだ。
ジゼリアも隣に立つ。
「白蝶城から薬布と食料を出す。道中で使ってくれ」
司祭は柔らかく微笑んだ。
「ありがたき慈悲です。神もお喜びでしょう」
「慈悲ではない。領主として当然の務めだ。生き残った者に食わせるのは、神ではなく人の仕事だ」
アリスティの部下が、薬布と干し肉の包みを荷台へ積む。
布の奥には、短刀が二本。
細い鉄棒が一本。
外からは分からない。
だが、縛られた手でも触れられる位置にある。
ジゼリアは安堵したように息を吐いた。
「よかった。あの者たちには、食べる物も必要だ」
「ああ」
吉継は頷く。
彼女は間違っていない。
食べ物は必要だ。
薬布も必要だ。
祈りも、必要な者には必要だろう。
問題は、祈りの後にどこへ運ばれるかだ。
荷車が動き出す。
ジゼリアは女たちへ向けて、胸元の十字架を握った。
「光が、あなたたちを守る」
女たちは弱々しく頭を下げた。
その中の一人が、吉継の方を見た。
声は出ない。
だが、目だけが言っていた。
助けて、と。
吉継は軍配を握る手に力を込めた。
今すぐ奪い返せば、彼女は助かるかもしれない。
だが、まだ行き先が分からない。
途中で斬り込めば、奥にいる者たちは証拠を消す。
別の荷車があれば、それも見失う。
光神教と正面からぶつかれば、白蝶城の民まで火の粉を浴びる。
太閤殿下が寺社を力だけで潰さなかった理由が、今ならよく分かる。
信仰は、城より深く人の中へ入る。
だからこそ、切る時は根まで見なければならない。
◆
日が落ちる頃、チヨネが戻った。
吉継は村跡から少し離れた木陰にいた。
ジゼリアはまだ、村人たちの弔いを手伝っている。
チヨネは袖の中から、さきほどの羊皮紙を出した。
吉継は今度こそ開く。
そこには、女たちの人数、荷車の番号、移送先、そして商会名があった。
黒楡商会。
神殿の名ではない。
さらに、横に小さな数字が並んでいる。
年齢ではない。
体重でもない。
値だ。
吉継の目が冷える。
「ふん……!」
チヨネが小さく震えた。
怒りで影が床のように広がりかける。
吉継はその頭に、そっと手を置いた。
「まだ斬るな。怒りで刃を出せば、証拠が逃げる」
チヨネが見上げる。
「ふん?」
「斬る相手を間違えると、奥の者が逃げる。まずは道を押さえる」
チヨネは悔しそうに頷いた。
その時、アリスティの部下が森の道から戻ってきた。
泥に汚れ、息を殺して走ってきた顔だった。
「大谷殿」
「言え。何を見た」
「荷車は神殿へ向かう大路を進んでいました。ですが、途中で一台だけ列を外れました」
吉継の指が、羊皮紙の商会名を押さえる。
「どちらへ」
「西の旧道です。神殿の道ではありません」
チヨネの影が、静かに伸びた。
吉継は軍配を開く。
白い紙のような蝶紋が、夕闇の中で淡く浮かんだ。
「追うぞ」
声は静かだった。
だが、そこに迷いはなかった。
「ただし、ジゼリア殿にはまだ言うな」
「なぜ」
「彼女は光を信じている。紙切れ一枚で、その光を叩き折るわけにはいかぬ。折るなら、折れた先に立つ場所も用意してからだ」
吉継は羊皮紙を畳み、懐へ入れた。
「今夜は、荷車を追う。救済の名で人を売る者がいるなら、今度はこちらが道を選ばせる。二度と、助けを求める目を荷台の奥へ押し込ませぬ」
チヨネが頷いた。
「ふん」
短い返事。
だが、その影はもう泣いていなかった。
狩りの形になっていた。
今回は、すぐに斬り込まず「行き先を確認して確証を掴む」吉継の戦い方を描きました。
ジゼリアはまだ光神教を信じています。
だからこそ、彼女に真実を突きつけるには、感情ではなく証拠が必要になります。
チヨネの影が拾った羊皮紙。
救済の荷車は、本当に神殿へ向かうのか。
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