第54話:休息の報告書
ケイブとして得た制御の成果を、痕跡を残さず白蝶城へ持ち帰った吉継。
薬草資源の保護、募集札の準備、そして棘野犬を使った犬追物へと動く中、光神教から使節が訪れます。
白蝶城へ戻る前に、吉継は小川で手を洗った。
石灰粉は爪の間に残りやすい。
火の匂いは布に移りやすい。
泥は靴底の溝に残る。
戦場で足跡を読んできた者が、自分の足跡を消せないはずがない。
灰色の外套は畳み、変面膏は布で拭い取った。付け髭と喉輪は革袋へしまう。靴底の泥は水で落とし、袖は替え布で拭った。
ケイブ・アッシュは、そこで消えた。
白布を巻き直し、白と青の陣羽織を羽織る。
軍配を手に戻した瞬間、白蝶城へ戻る大谷吉継になる。
門をくぐると、影が足元で小さく揺れた。
チヨネが、石畳の陰から顔だけを出している。
「ふん……?」
心配している。
「戻った。休んだぞ。顔を見るな、疑いが深くなる」
チヨネは吉継の袖を見た。
靴を見た。
白布を見た。
異常がないと分かったのか、少しだけ肩の力を抜く。
「ふんふん」
小刻みふんふん。
安心したらしい。
そこへ、書類束を抱えたエルネが駆けてきた。
「大谷様。お戻りでしたか」
「ああ。よい休息だった。少し森の空気を吸ってきただけだ」
エルネはほっとした顔をした。
「顔色は悪くありませんね」
「そこまで見られているのか。領主の顔色まで帳面に載せる気か」
「倒れられるよりはましです」
チヨネが全力で頷いた。
「ふんふん!」
興奮している。
吉継は苦笑し、城内の坂道へ歩き出した。
「報告を聞こう」
エルネは書類をめくった。
「西街道の薬草採りが、棘野犬に襲われました」
吉継は目を細めた。
「怪我は」
「軽傷でした。通りがかった冒険者が助けたそうです」
「そうか」
吉継はそれだけ答えた。
チヨネは影の中で耳を澄ませている。
エルネは続けた。
「問題は、その場所です。薬草採りが使っていた採取道で、白蝶城の傷薬に使う草が多く取れます。棘野犬が増えれば、薬草が足りなくなります」
「兵の訓練が進めば、怪我人も増える。水路の修繕でも手傷は出る。傷薬が減るのはまずい」
「はい。薬草の値も上がり始めています」
エルネは帳面の端を押さえた。
「アリスティ殿の傭兵団へ薬草道の護衛を頼む案もあります。ただ、常時つけると費用がかさみます」
「なら、道を決める」
「道、ですか」
「薬草採りが好きな場所をばらばらに歩けば、守る側も追いつけない。採取する場所、通る道、退く場所を決める」
「自由に採らせない、ということですか」
「その通りだ。それに、薬草をすべて刈り取ってしまえば、来年の収穫量がかなり激減するだろう。その予防策も取れる」
エルネは少し考えた。
「採る場所と残す場所を分ける。守る側も守りやすい」
「そうだ。薬草は兵糧と同じだ。今日だけ食い尽くせば、明日から飢える」
吉継は足を止めた。
城下の広場へ続く道が見える。
「エルネ。募集札を出せ」
「募集札ですか」
「薬師、薬草を知る者、栽培に詳しい者を優先する。森で採るだけでは限りがある。育て方を知れば、傷薬を今より効率よく得られる。戦う者だけ集めても、領は保たぬ」
チヨネが首を傾げた。
「ふん……?」
吉継は答えず、胸の奥でだけ考える。
俺は聖属性の治癒を受けられぬ。
光で癒やせぬなら、別の道を探す者がいる。
薬師。研究者。武術者。政務に明るい者。
いずれ、白蝶城にはあらゆる人材が必要になる。
だが、今は始めたばかりだ。まずは薬草を守り、傷薬を増やす。その名目でよい。
吉継は軍配で城下の方を指した。
「もう一つ。棘野犬を使い、犬追物を行う」
「犬追物、ですか」
「馬上で犬を追う遊びではない。白蝶城では、兵の統率を見る軍事訓練にする。囲む者、追う者、射る者、逃がさぬ者を分ける。実戦に近い形で兵に経験を積ませる。見せ物に見えても、中身は戦だ」
アリスティに渡す指示も決まった。
「棘野犬は、ただ殺さず捕らえる。町の広場へ移し、兵を鍛え、民に白蝶城の守りを見せる。退治して終わらせるより使い道がある」
◆
翌朝、吉継は西街道の薬草道へ出た。
連れているのは、薬草採りの青年が一人。
道案内だ。
そして、眠そうな顔のアリスティが腕を組んで立っている。
「大谷殿。私は傭兵団の警護兵を出せばよいと思って来たのですが」
「それも必要だ。だが、全員に護衛はつけられぬ」
「でしょうね。費用でエルネ殿が倒れます」
エルネが否定しなかった。
吉継は土の湿りを見た。
日当たり。
水場までの距離。
獣の足跡。
薬草が密に生えている場所と、踏み荒らされている場所。
「ここは採る場所ではない」
吉継は軍配で斜面の下を指した。
「なぜですか。よく生えています」
青年が不思議そうに聞く。
「水が近い。だが、獣道も近い。籠を背負っている時に棘野犬が来れば、逃げ道がない」
吉継は少し上へ登り、細い尾根を見た。
「採るならこちらだ。量は減るが、細く曲がっている。棘野犬が来ても、狭さを利用して逃げることは出来るだろう」
エルネが帳面へ書き込む。
「安全な採取場所を選ぶのですね」
「それだけではない」
吉継は、薬草の濃い群れの半分に木杭を打たせた。
「採る量は7割に抑え、残りは子孫を残すために刈らないようにしろ。これなら、少なくとも全滅することはなくなるはずだ」
青年はようやく頷いた。
「では、採る場所と残す場所を分けます」
「ああ、その通りにしろ」
草むらが揺れた。
青年の顔から血の気が引く。
低い唸り声。
背に棘を並べた野犬が、二匹、尾根の影から姿を出した。
「来たか」
吉継は軍配を半分だけ開く。
「走るな。狭い方へ下がれ」
青年は籠を抱きしめかけたが、吉継の目を見て、すぐに地面へ置いた。
棘野犬が跳ぶ。
アリスティの部下が網を広げたが、まだ投げない。
吉継が軍配を左へ倒す。
チヨネの影が、犬の足元を一瞬だけ撫でた。
動きを止めるほどではない。
ただ、踏み込みを半歩ずらす。
その半歩で、棘野犬は細い道へ入った。
「今だ」
アリスティの部下が網を投げる。
一匹目が絡まり、地面を転がった。
二匹目は横へ逃げようとしたが、細い尾根が邪魔をする。
チヨネが青年の籠を足元へ滑らせた。
籠につまずいた棘野犬へ、別の網がかぶさる。
「ふん」
チヨネが小さく胸を張った。
「よい働きだ」
吉継が言うと、チヨネの影が嬉しそうに揺れた。
アリスティは網の中で暴れる二匹を見て、肩をすくめる。
「これを広場で使うわけですか」
「そうだ。民に見せる。白蝶城の兵が何をできるかをな」
◆
昼前、白蝶城下の自由市広場に囲いが組まれた。
町のど真ん中だ。
その内側へ、薬草道で捕らえた棘野犬が二匹入れられている。
観覧用の柵の外には、商人、職人、子供を抱いた母親、薬草採りの青年が集まっている。
吉継は高台に立ち、軍配を開いた。
「我が兵の実力を民に知らしめる場だ。気を引き締めろ。民の前で崩れれば、守りそのものが疑われる」
太鼓が鳴る。
民兵が左右へ分かれ、低い盾を構えた。
弓兵はまだ射ない。
犬を追い立てる役が、長い棒で地面を叩く。
棘野犬が低く走った。
真正面へ突っ込む一匹を、盾役が膝の前で受ける。
牙が木盾を削った。
兵の肩が震える。
「退くな。次」
二人目が棒で鼻先を払う。
棘野犬が横へ跳ぶ。
そこへ弓兵が矢を放った。
足元の土を射る。
殺さない。
進む先を変える。
棘野犬は白線の内側へ戻され、最後に網を持った傭兵がかぶせた。
歓声が上がった。
もう一匹は弓兵の合図が遅れ、囲いの端まで走った。
アリスティが即座に部下を動かし、逃げ道を塞ぐ。
吉継はそれを見て軍配を閉じた。
「今の遅れを覚えろ。戦場なら、そこから敵が抜ける」
笑いは消えた。
犬追物は昼過ぎまで続いた。
薬草採りの青年は、籠を捨てて退く練習をした。
民兵は、低い盾と棒で足元を止める練習をした。
傭兵は、逃げた棘野犬を受ける位置を覚えた。
待機していた薬師は、噛まれた時に洗う水と布を置く場所を決めた。
エルネはそれらを帳面に書き、募集札の文面も整えていた。
「白線、木杭、札。採取と訓練を分けるだけで、かなり整理できます」
「守る範囲と使う人を決めただけだ」
「それが難しいのです」
エルネは少しだけ笑った。
吉継は軍配を軽く鳴らした。
「明日から、採取道を開く。最初の三日は傭兵をつける。四日目からは民兵を混ぜる。募集札は自由市、城門、旧街道の三か所に出せ」
アリスティが頷いた。
「承知しました。小さな守護神として、道を守りましょう」
「頼む」
チヨネが吉継の袖を掴む。
頭ポン待ちだ。
「働いたのはお前だ」
吉継はそっと頭に手を置いた。
チヨネは目を細める。
「ふんふん……」
小さな甘えの音だった。
その時、城門の方から早馬の音が響いた。
兵が息を切らして駆け込んでくる。
「大谷様! 光神教の使節が到着しました!」
広場の空気が変わった。
吉継は手を止め、軍配を握り直す。
やがて、白と赤の鎧をまとった女が広場へ入ってきた。
陽光を弾く銀の胸甲には、赤い装甲が花弁のように重ねられている。
肩から流れる白い外套。
胸元には十字架の聖印が下がり、胸甲の下でも分かる豊かな胸の起伏を押さえていた。
腰には細身の剣。
腰鎧の左右は動きやすさを優先して切られ、太ももの肌が白く覗いている。
金に近い淡い髪を後ろで結び、青い瞳がまっすぐ吉継を射抜いている。
その後ろには、光神教の紋をつけた司祭が一人。
女は一歩前へ出た。
「私はジゼリア・ルミエール。光神教の聖騎将だ」
その瞬間、吉継の頭の奥に、別の名が響いた。
ジャンヌ・ダルク。
聞いたことのない名だった。
白い旗のような清烈さ。
兵を前へ歩かせる声を持つ者の気配。
この者は、多くの期待に応えた者だったのだろう。
戦いを恐れる民に望まれ、民に愛され、そして多くの目に背中を押されて立った者。
吉継はジャンヌ・ダルクという女を知らない。
だが、目の前のジゼリアがただの騎士ではないことだけは分かる。
ジゼリアは、隠すことなく吉継を見た。
「貴殿が大谷吉継か。病毒魔法を使う領主と聞いている」
場が凍った。
チヨネの影が、わずかに濃くなる。
吉継は軍配を下げたまま答えた。
「そうだ。疑われても仕方ない名だろう」
「ならば率直に言う。私は貴殿を信用していない」
悪意はない。
だが、言葉は刃だった。
ジゼリアは胸元の十字架に手を当てる。
「それでも、助けが必要だ。北西の村の一部が、ゴブリンに滅ぼされた。冒険者も向かったが、戻っていない。光神教の教祖より、近隣領主である貴殿へ協力要請が出ている」
司祭が封書を差し出す。
白い封蝋。
光の紋。
吉継はそれを受け取り、ジゼリアを見た。
病毒を敵と見る光の信徒。
そして、民を見捨てられぬ女。
「内容は分かった」
ジゼリアの青い瞳が揺れない。
「私は民を救いたい。貴殿が何者であろうと、村を見捨てることは許さない」
吉継は静かに頷いた。
「俺も同じだ。信じるかどうかは後でよい。今は村へ行く」
その答えに、ジゼリアは一瞬だけ眉を動かした。
信じてはいない。
だが、完全には斬り捨てられない。
光と病毒。
互いに相容れぬものが、白蝶城下の広場で初めて向かい合った。
今回は、ケイブとしての経験を白蝶城の薬草道防衛へ応用する回です。
白線、木杭、札で薬草の採りすぎを防ぎつつ、犬追物で兵の統率も鍛える形にしました。
最後には、光神教の聖騎将ジゼリア・ルミエールが登場しました。
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