第52話:安い仕事と高い授業料
針角兎の討伐を終え、ケイブ・アッシュは依頼人の農夫へ報告に戻ります。
しかし、森の奥で響いた大きな音について問われてしまい……。
北畑へ戻るころには、昼の光が少し高くなっていた。
針角兎の亡骸は三つ。
ケイブは、角と耳を証拠として外し、残りは畑の端にまとめて布で覆った。肉は食えるらしいが、依頼人に確認する前に勝手に持ち去るのは後々面倒になる。
畑の向こうから、農夫が駆け寄ってきた。
年は四十ほど。
片足を少し引きずっている。太腿を刺されたという男だろう。粗い麻布を巻いているが、歩ける程度には回復しているらしい。
「あんたが、ギルドから来た人か」
「ああ、オレだ」
ケイブは顎髭を撫でた。
「針角兎は三匹だ。畑にいた分は片づけた。あとは、こいつらが別の巣を持っていないか見張っておけ」
農夫は布の下を見て、目を丸くした。
「三匹もいたのか……。一匹でも手に負えなかったのに」
「小さい魔物ほど面倒でな。大きければ、こっちも最初から身構える」
「助かった。麦をやられたら、今年は本当にきつかった」
農夫は深く頭を下げた。
ケイブはそれを見て、少しだけ視線を外した。
大谷吉継としてなら、民を守るのは当然だと返したかもしれない。
だが、今はケイブ・アッシュだ。
「礼ならギルドに言え。オレは金で動いただけだ。まあ、麦が残ったなら悪い仕事じゃない」
「それでも助かったんだ」
「なら覚えておけ。次からは畑の柵を低いままにするな。針角兎は跳ぶ。柵の外へ乾いた草を積むな。隠れ場所になる」
農夫は慌てて頷いた。
「分かった。すぐ村の者に言う」
そこで、農夫がふと雑木林の方を見た。
「そういえば、さっき奥で物凄い音がした。山でも崩れたのかと思ったぞ。あんた、何か見なかったか」
ケイブは表情を変えなかった。
人の胴ほどの岩が落ちた音だ。
さらに火球の爆ぜた音もあった。
正直に言えるはずがない。
「さあな」
「知らない?」
「オレが見たのは兎と畑だけだ。森の奥の騒ぎまで込みなら、別料金だ」
農夫は一瞬だけぽかんとした。
それから、苦笑する。
「あんた、冷たいな」
「安い仕事に愛想まで付けたら、オレが損をする。笑顔は別料金だ」
農夫は今度こそ笑った。
ケイブは布で包んだ針角兎を指した。
「肉を村で使うなら置いていく。角と耳は証拠、皮はオレの取り分だ。ギルドで値がつくか見る」
「肉は助かる。硬いけど、煮れば食える」
「なら二匹分は置く。一匹分だけ素材に回す」
「構わない。助かった」
農夫はもう一度頭を下げた。
ケイブは背を向けた。
畑の被害は止めた。
だが、雑木林の跡を見られれば、話が別になる。
早くギルドへ戻るべきだ。
◆
西街道の冒険者ギルド出張所は、昼前より少し賑わっていた。
荷運びの男たち。
薬草籠を背負った少女。
腰に短剣だけ差した若者。
いずれも、王都騎士のような整った者たちではない。靴底は減り、外套は擦れ、手には傷がある。
ケイブは受付へ証拠の角と耳を置いた。
「針角兎三匹。北畑の仕事だ」
受付の男が目を上げる。
「早いな」
「向こうだけが足自慢じゃなかったらしい。年寄りを舐めると、兎でも痛い目を見る」
「冗談を言う顔か、それ」
「顔で稼げるほど男前じゃないんでね」
受付は鼻で笑い、角を手に取った。
針のように細い角は、根元だけ少し硬い。武器にするほどではないが、針、留め具、薬研で砕く素材としては使えるらしい。
「確かに針角兎だ。三匹分。依頼達成。農家からの確認印は」
ケイブは農夫にもらった木札を出した。
受付はそれを見て、板へ印を入れる。
「基本報酬、銅貨八枚。追加二匹で銅貨六枚。角と耳の素材で銅貨三枚。皮は?」
「一匹分だけだ」
ケイブは布包みを出した。
受付の奥から、鑑定役らしい老女が出てくる。
彼女は皮を見て、矢傷を指でなぞった。
「綺麗に抜いてるね。穴が少ない。銅貨二枚」
「渋いな」
「焦げていないだけましだよ」
ケイブは一瞬、黙った。
焦げた雑木林が頭をよぎる。
受付の男が首を傾げた。
「どうした」
「いや、焦がさない方が金になると学んだだけだ。授業料は高かったがな」
「当たり前だ」
老女が銅貨を数えた。
全部で銅貨十九枚。
安い。
だが、冒険者としての最初の報酬としては悪くないのだろう。
ケイブは硬貨を革袋へ入れた。
その重さは軽い。
けれど、今日得たものは金ではない。
水は散る。
岩は落ちる。
火は広がる。
それを知るための授業料としてなら、銅貨十九枚は高すぎるほどだった。
◆
受付の横に、小さな棚があった。
冒険者向けの雑貨だ。
包帯、火打石、安い水袋、矢筒の紐、獣避けの粉、木杭、白い粉の入った小袋。
ケイブは白い粉を手に取った。
「こいつは」
受付の男が答える。
「石灰粉だ。足跡を見る時や、野営場所の線引きに使う。雨が降ると流れる」
「線引きか」
ケイブはその言葉を繰り返した。
線を引く。
範囲を決める。
ここから先へ出すな。
ここから先へ入れるな。
魔法にも、同じものが必要だ。
水を散らすなら、散る幅を決める。
岩を落とすなら、落ちる場所を決める。
火を撃つなら、燃えてよい範囲を決める。
威力ではない。
枠だ。
「こいつを二袋。水袋を一つ。木杭を十本。安い縄も頼む」
受付が眉を上げる。
「針角兎の報酬がほとんど飛ぶぞ」
「金は回してこそだ。財布の中で寝かせても増えやしない」
「さっき金がないって言ってなかったか」
「だから安物で済ませている。賢いだろう」
受付は呆れたように笑った。
ケイブは銅貨を置き、品を受け取る。
革袋はまた軽くなった。
だが、必要なものは手に入った。
次は、ただ撃つのではない。
水をどこまで散らすか。
岩をどこに落とすか。
火をどこで止めるか。
そのためには、まず地面に線を引く。
◆
ギルドを出ると、道の向こうから風が吹いた。
灰色の付け髭が、頬に少しだけ触れる。
変面膏は、まだ剥がれていない。
だが、汗をかけば崩れる。
火のそばでも危うい。
変装にも限界がある。
魔法にも限界がある。
限界を知らずに使う者は、味方を殺す。
限界を知り、線を引ける者だけが、戦場で力を道具にできる。
ケイブは買った木杭を肩に担ぎ、白蝶城とは逆の小道へ入った。
まだ戻らない。
今日だけは、領主ではなく冒険者でいる。
安い仕事は終わった。
だが、高い授業は、まだ始まったばかりだった。
今回は、冒険者としての初仕事を締める回です。
報酬は安くても、吉継が得た学びは大きい。
次は威力ではなく、魔法をどこで止めるかを学ぶ段階へ入ります。
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