第44話:潰える青綿
青綿会北西本部の家宅捜査が始まります。
帳簿、偽造証文、水門の記録が次々と見つかり、青綿会の支配が崩れていきます。
青綿会北西本部の中は、香の匂いと染料の匂いが混じっていた。
帳場の棚には、綿の取引帳。
奥の書庫には、契約書。
地下の石蔵には、青く染めた布と、封を切られた古い証文。
吉継は入口に立ち、軍配を閉じたまま中を見た。
「燃やす前に押さえられたな」
「はい」
アリスティが頷く。
「書庫へ火を入れようとした男は拘束しました。火種も水桶へ沈めています」
チヨネは帳場の梁に座っていた。
手には青い糸。
彼女はそれを指先でぴんと張り、小さく鼻を鳴らした。
「ふん」
「まだある、か」
こくり。
チヨネは梁から降り、帳場の奥にある大きな綿俵を指した。
ロウエンが顔をしかめる。
「綿俵です。中を改めますか」
「もちろん」
吉継が言うと、ロウエンは短刀で縫い目を切った。
白い綿がこぼれる。
その奥から、油紙に包まれた帳簿が落ちた。
エルネが息を呑む。
「隠し帳です」
ミセリアの供回りが周囲を固める。
エルネは帳簿を広げ、指を走らせた。
「表帳では、白霧境からの綿は去年三百束。こちらの隠し帳では七百八十束。差分は王都へ送ったことにせず、別名義で売っています」
「税逃れか」
「それだけではありません」
エルネの声が少し硬くなった。
「種貸しの利息が、契約書と違います。表向きは二割。実際は六割。さらに返済済みの家にも、未返済印が押されています」
ロウエンが青ざめた。
「返したはずの借りを、また取っていたのか」
「そうなります」
エルネは別の紙束を開く。
「水門番への支払い記録もあります。水を止める日、開ける日、毒土の水路を迂回させる日まで指定している」
倉の中が静まり返った。
青綿会が、商いをしていたのではない。
水を握り、種を握り、帳面を握り、民の首を締めていた。
吉継は一枚の証文を手に取る。
手触りで分かる。
古い紙を削り、上から書き直している。
「偽造証文だ」
「はい。ここに同じ筆跡があります」
エルネが机の端を叩いた。
「偽札の文字、偽証文、荷車指示書。すべて同じ書き癖です」
ミセリアが記録板へ視線を落とす。
「証拠連鎖、成立」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
ダリオ・グラムは椅子に縛られ、顔を灰色にしていた。
「違う。私は知らん。帳簿は番頭が」
「番頭の署名はある」
ミセリアが淡々と言う。
「だが最終承認印は貴殿のもの。逃げ道はない」
「商会を潰す気か。北西の綿流通が止まるぞ。王都の織物屋も困る。貴族も、神殿も、皆が」
「困る者の名を出すのが遅い。困る民の顔は、今まで見ようとしなかったくせに」
吉継は静かに言った。
「本当にその者たちを守る気があるなら、民を飢えさせる前に言うべきだった」
ダリオの唇が震える。
「私は商人だ。利益を求めただけだ」
「商いは利益を求めるものだ。そこまでは否定しない」
吉継は否定しなかった。
「だが、水門を閉じ、種を縛り、偽札で民を乱し、荷車で子供を殺しかけた時点で、それは商いではない。ただの犯罪者にすぎん」
ミセリアが顔を上げる。
「ダリオ・グラム。王都へ連行する。罪状は、税逃れ、契約偽造、領主支給詐称、殺傷未遂、証拠隠滅、王国法執行妨害」
「待て。王都へ行けば」
「審理される」
「違う、私は」
「話す相手は、ここではない。泣き言は王都で聞いてもらえ」
ミセリアの声に温度はない。
供回りがダリオを立たせる。
金鎖が床に落ちた。
チヨネがそれを一瞥し、興味なさそうに吉継の影へ戻る。
◆
三日後。
王都から正式な通達が届いた。
青綿会北西本部の営業許可取り消し。
白霧境、嘆きの野周辺、旧街道北部における青綿会の徴収権、倉庫使用権、種貸し契約の凍結。
偽造証文に基づく負債は無効。
水門操作に関わった者は、王都で審理。
青綿会本部も王都政務院の監査下に置かれる。
文字通り、青綿会は潰された。
名だけは王都のどこかに残るかもしれない。
だが、白霧境を縛る鎖としての青綿会は、もう動けない。
倉前で、ミセリアが通達を読み終える。
民は最初、意味を理解できていなかった。
やがて、誰かが呟く。
「借りが、消えるのか」
別の者が言う。
「もう綿を作れって、言われないのか」
ロウエンが帳面を抱え、声を張った。
「偽造証文に基づく借りは無効です。本当に借りた分は再登録する。返済済みなら消す。二度取りは認めません」
かつて許可札で民を止めていた男が、今は帳面で民を守っている。
エルネが隣で補う。
「水の届く畑は米へ戻します。乾いた土地は麦と豆。綿は余った土地だけ。前に決めた通りです」
民の間に、震えるような息が広がった。
歓声ではない。
長く首に巻かれていた縄が、ようやく緩んだ時の息だった。
チヨネは吉継の袖を引いた。
「ふん……」
「分かっている。まだ終わりではない。鎖を外した後、歩ける足を作らねばならぬ」
青綿会を潰しても、畑はすぐには実らない。
水路も、倉も、白蝶城も、これから肉をつけねばならない。
それでも、動き出すための首輪は外れた。
◆
さらに二日後、王都から報償の使者が来た。
使者は、以前より丁寧に頭を下げた。
「白霧境領主、大谷吉継殿。王都政務院より、青綿会不正摘発および北西本部制圧の功に対し、報償を言い渡します」
羊皮紙が開かれる。
「一つ。押収された青綿会北西本部の倉庫三棟を、白霧境領主預かりとする」
ロウエンの目が見開かれる。
「倉が三つ……」
「一つ。没収した未申告綿のうち、三割を白霧境の復興資材として払い下げる」
エルネが素早く計算し始めた。
「布、縄、荷袋、包帯、冬支度に使えます」
「一つ。水路修繕費および白蝶城の防備整備費として、王都庫より銀貨五百枚を支給する」
アリスティが小さく息を吐いた。
「傭兵団への残払いも、これで滞りませんね」
「一つ。白霧境における自由市および作付け再編を、試験政として一年認可する」
ミセリアの筆跡が、最後にあった。
余計な言葉はない。
ただ、短く。
続けよ。
それだけが書かれていた。
吉継はしばらく、その二文字を見ていた。
前世で守れなかったもの。
今世で守ると決めたもの。
そのどちらにも、まだ答えは出ていない。
だが、一歩は進んだ。
「白蝶城へ運び込め。奪われていたものを、今度は民のために使う」
吉継は軍配を開いた。
白蝶城は、まだ未完成だ。
土塁も、空堀も、石垣も、形だけならば整いつつある。だが、城とは壁だけで成るものではない。道が荒れれば兵も商人も動けず、水が止まれば畑は死ぬ。治安が乱れれば、民は城壁の内側にいても怯えて暮らすことになる。
解くべき課題は多い。
白霧境には、まだ傷が残っている。
それでも、一つずつ潰していけばよい。
偽札を潰した。青綿会の倉を押さえた。水門を戻し、種籾を守り、民の不安を帳面と印で受け止めた。ならば次は、道を直し、水を通し、畑を起こす。
そうやって積み重ねていけば、この白蝶城はただの砦ではなくなる。
民を威圧する城ではない。
民を守り、商いを通し、敵の侵入を阻むための城。
文字通り、白霧境の守護神として在り続けられる。
吉継は、そう確信していた。
青綿会編の一区切りです。
潰したものを、今度は白霧境を生かす資材へ変えていく回でもあります。




