第43話:青糸の陣幕
偽札と青い糸を大義に、吉継は青綿会北西本部へ向かいます。
ただし、正面から攻めるだけが戦ではありません。
ミセリアからの返書は、早かった。
青い糸を封じた証拠袋、偽札、荷車の指示書、倉前で捕らえた男の供述。
それらを政務院へ送った翌朝、白霧境へ宰相印の入った命令書が届いた。
「読みます」
エルネが羊皮紙を広げた。
「青綿会北西本部に対し、偽造札、領主支給の詐称、民衆騒乱誘導、殺傷未遂の疑いあり。白霧境領主、大谷吉継に家宅捜査の執行を認める。抵抗があった場合、王国法に基づき制圧を許可する」
最後に、短い一文が添えられていた。
「大義は成立した。証拠を失うな」
ミセリアらしい。
余計な慰めはない。だが、必要なものはすべてある。
吉継は黒印を懐へ戻し、軍配を取った。
「行く」
「何人で」
アリスティが問う。
「正面は少数でよい。多く見せる必要はない」
「多く見せないのですか」
「相手に、勝てると思わせる。勝てると思った者ほど、前へ出る」
チヨネが吉継の袖を小さく掴んだ。
「ふん……?」
「心配はいらぬ。お前には正面ではなく、奥を頼む。いちばん危ない場所だが、お前にしか任せられぬ」
チヨネの目が細くなる。
それは怒りではない。
仕事を与えられた時の、静かな集中だった。
◆
青綿会北西本部は、白霧境と王都を結ぶ旧街道の分岐にあった。
石造りの三階建て。
青く染めた布を軒に垂らし、門の両脇には綿俵を積んでいる。商家というより、小さな砦に近い。
本部長の名はダリオ・グラム。
丸い腹に金鎖をかけた男で、商人らしい笑みを顔に貼りつけている。だが、報告を聞いた瞬間、その笑みは怒りで剥がれた。
「大谷吉継が、少数で来ただと?」
番頭が頷く。
「はい。白い頭巾の男と、粗末な槍を持った寄せ集めが十数名ほど。店前に陣幕を張り、周囲に立て札を立てています」
「陣幕だと。商家の前で野宿とは、完全な挑発ではないか」
ダリオは机を叩いた。
「よい。向こうから武力行使に出たなら、こちらの勝ちだ。護衛を集めろ。金は倍払う。あの白頭巾を引きずり出せ」
青綿会本部の門前で、吉継は本当に陣幕を張っていた。
白い布ではない。
黒く古びた布を四本の杭で支えただけの、粗末な陣幕だ。
その周りに、立て札が並ぶ。
青綿会が水門を閉じた疑い。
綿量の過少申告。
白霧境倉の帳簿隠し。
領主支給を騙った偽札。
荷車による民衆殺傷未遂。
そして、宰相印の命令書の写し。
通りかかった商人や職人が、足を止めて読む。
青綿会の番頭が怒鳴る。
「撤去しろ! 名誉毀損だ!」
吉継は陣幕の中で膝を折り、軍配を膝上に置いていた。
「名誉があるなら、帳簿で示せ。声の大きさではなく、数字でだ」
「貴様、商会を敵に回す気か!」
「商会ではない。偽造と殺傷未遂を疑われた者を相手にしている」
声は静かだった。
だからこそ、周囲の者は耳を傾ける。
ダリオの怒りは頂点に達した。
「出ろ! あの幕を踏み潰せ!」
本部の門が開き、護衛兵が溢れた。
剣、棍棒、狩弓。
急ぎ集めた者たちで統一はない。だが数は多い。
吉継の後ろに並ぶ傭兵たちは、粗末な上着をまとい、平民の寄せ集めに見えるようにしていた。
アリスティの本隊ではない。
選ばれた十数名だけだ。
彼らはすぐには逃げなかった。
粗末な槍を前へ出し、安い木盾を構え、腰の引けた形で一度だけ受けた。
護衛兵の棍棒が盾に当たる。
乾いた音とともに、盾が割れた。
「左が薄い!」
一人が叫ぶ。
「支えられない、下がれ!」
別の者が膝をつき、わざと肩を押さえた。血袋が破れ、粗末な上着へ赤が広がる。
寄せ集めの兵は、そこで初めて乱れた。
前列が下がり、後列が支えようとして失敗する。
槍が一本、石畳に落ちる。
崩れ方は、恐怖に負けた素人のそれに見えた。
青綿会の護衛兵が歓声を上げる。
「臆病者どもだ!」
「追え! 白頭巾も逃がすな!」
吉継は立ち上がった。
逃げる味方の背に合わせて、ゆっくり後退する。
ただし、無防備ではない。
最初に飛び込んできた男の棍棒を、刀の峰で流す。腕の内側へ一歩入る。
一足一刀。
刃は首ではなく、脇腹を斬り裂いた。
血が石畳に散る。
次の男は短剣を突き出す。吉継は軍配で手首を弾き、刀の柄で顎を打ち抜いた。歯が鳴り、男が崩れる。
三人目は弓を引こうとした。
吉継の左手から、黒い糸が走る。
「腐蝕糸」
弓弦が湿った音を立てて切れた。
矢は放たれず、弓兵の指だけが空を掴む。
「次だ。下がれ。深追いするな、怒った敵ほどこちらへ来る」
吉継は短く言った。
寄せ集めに見せた傭兵たちは、また一度だけ受けた。
盾を捨て、槍を引きずり、互いの肩を押し合う。
逃げたいのに逃げ道が詰まっている。
そう見えるように、ゆっくり崩れる。
吉継は最後尾で二人を斬り伏せ、ようやく狭い通路へ退いた。
青綿会の護衛兵は勢いづいた。
数で押せる。
そう思った瞬間、彼らは通路の奥へ流れ込んだ。
◆
通路は、染物倉と木材置き場の間にある細い道だった。
左右は高い塀。
前は逃げる兵。
後ろからは、まだ本部の護衛が押し寄せる。
そこで、森陰が動いた。
「放て」
ミセリアの声だった。
数百の供回りが、木立の奥から姿を現す。
弓兵の一斉射。
矢は頭上から雨のように落ちた。
だが、ただ殺すための矢ではない。
足元、肩、武器を握る手。
逃げ道を塞ぎ、武器を落とさせ、隊列を崩すための矢だ。
「王国宰相ミセリア・イシダの名により命じる」
ミセリアは馬上ではなく、地に立っていた。
白い外套の裾が、霧に濡れている。
「青綿会北西本部の私兵は、直ちに武装を解除せよ。従わない者は、王国法に基づき制圧する」
護衛兵の顔から血の気が引いた。
「宰相……?」
「聞いてないぞ」
「本部へ戻れ!」
兵たちは慌てて退いた。
だが、本部の門は閉じていた。
閂が内側から落とされている。
「開けろ!」
怒号が飛ぶ。
窓が開いた。
そこに立っていたのは、アリスティだった。
濃紺の軍服ではない。青綿会の荷運び女に化けた粗末な服を着ている。
だが、琥珀色の目だけは隠せない。
「本部は、すでに押さえました」
その背後で、チヨネが無言で手を振った。
少しだけ得意げに。
大勢の護衛兵が吉継を追って出た瞬間、チヨネとアリスティは荷運びに紛れて裏口から入った。
帳場の鍵は影で抜いた。
番頭二人は、武器を抜く前にアリスティの泥足制圧で膝まで床に沈められた。
廊下へ出た護衛は、チヨネの影縫で足を縫われる。
書庫に火をつけようとした男は、アリスティに手首を取られ、机へ叩きつけられた。
「帳簿は燃やさせない」
アリスティは静かに言った。
その間に、チヨネは奥の倉へ入る。
青い粉。
削りかけの木札。
黒印を真似ようとして失敗した粘土型。
束ねられた青い糸。
すべて、机の上へ並べられていた。
制圧にかかった時間は、長く見積もっても数刻ではない。
数十分。
吉継が正面で幕を張り、怒らせ、追わせた時間で十分だった。
◆
ダリオ・グラムは、通路の入口で立ち尽くしていた。
前にはミセリアの供回り。
後ろには閉じた本部。
窓にはアリスティ。
屋根の影にはチヨネ。
そして、通路の奥から吉継が戻ってくる。
白頭巾に、青い紐。
軍配の先に血はない。
刀の刃には、まだ赤い線が残っている。
「ダリオ・グラム」
吉継は名を呼んだ。
「偽札、殺傷未遂、証拠隠滅、王国宰相命令への抵抗。加えて、私兵を用いた家宅捜査妨害」
「ま、待て。これは誤解だ。私は、商会を守ろうとしただけで」
「守るものを間違えたな。倉ではなく、民を守るべきだった」
ダリオの足が震える。
護衛兵が一人、最後の抵抗として吉継へ斬りかかった。
吉継は半歩ずれた。
剣筋を見切り、刃の腹で弾く。
返す刀で、男の胴を斜めに斬り下ろした。
男は悲鳴を上げて倒れる。
抵抗する者は、切り捨てる。
ここまで来て剣を振るう者を、生かしておく理由はない。
それを見て、残りの護衛兵は武器を落とした。
数分だった。
青綿会北西本部の正面戦力は、崩れた。
吉継は軍配を閉じる。
「ミセリア殿。証人を」
「配置済み」
「エルネ。記録を」
「もう書いています」
チヨネが屋根から音もなく降り、吉継の影へ自分の影を寄せた。
「ふん」
「よくやった」
チヨネは、ほんの少しだけ上を向いた。
頭ポン待ちの顔だ。
吉継は短く息を吐き、その頭に軽く手を置いた。
ミセリアがそれを見て、無表情のまま言った。
「制圧完了。所要時間、想定より短い」
「敵が怒りやすかった。怒りで動く者は、道を選ばぬ」
「貴殿が怒らせた」
「こんなことは日常茶飯事だったからな」
ミセリアは一拍置いて、記録板へ視線を落とす。
「……その日常は、記録する側にとって非常に厄介だ」
青綿会の青い旗が、風もないのに揺れた。
その下で、ダリオ・グラムは膝をつく。
白霧境を縛った綿の鎖は、今、帳簿ごと王国の目の前に引きずり出された。
今回は吉継らしい「怒らせて、追わせて、空にする」制圧戦でした。
ミセリア、アリスティ、チヨネの役割も一気に噛み合っています。




