第41話:白蝶城起つ
青綿会本部の訴えにより、白霧境の財務処理が凍結されます。
金を止められた吉継が選んだのは、民と土と木で城を起こすことでした。
王都政務院からの二通目は、翌朝に届いた。
使者は昨日よりも顔色が悪かった。封書を差し出す手が、雨に濡れた枝のように細かく震えている。
エルネが文面を読み上げる。
「青綿会本部からの訴えを受け、白霧境の一部財務処理を調査終了まで保留。政務院からの補助金、旧領主時代の未払い返還、青綿会関連倉の売却許可、すべて凍結」
倉の中が静まり返った。
ロウエンが低く呻く。
「それでは、砦の修理費が出ません」
「傭兵団への残りの支払いも遅れます」
エルネの声は冷静だったが、指先は紙の端を強く掴んでいる。
「青綿会の狙いは、こちらの金を止めることか」
吉継は聞いた。
「はい。こちらが倉を動かせず、米も銭も回せなくなれば、民はまた青綿会から借りるしかなくなります」
「自分で首輪を外した民に、腹を空かせて首輪を拾わせる策か」
アリスティの声が低くなった。
傭兵団長の目は、銭の切れ目が兵の切れ目になることをよく知っている。
「大谷殿。金が止まれば、こちらの契約も揺らぎます。私の団は義だけでは食えません」
「分かっている。義だけで腹が膨れぬことは、こちらも同じだ」
吉継は責めなかった。
兵は飯で動く。
飯の見通しがない命令は、忠義ではなく無謀だ。
エルネが続ける。
「砦の整理も止まります。門は歪んだまま、柵は腐ったままです。見張り台も半分崩れています」
「道も荒れています」
ロウエンが言った。
「旧街道から砦まで、荷車が入れません。材木を買う金もない。石工を呼ぶ金もない」
チヨネが吉継の袖を掴む。
「ふん……」
どうするのか、と聞いている。
吉継は軍配を閉じた。
「金がなければ、金で買うものを減らす」
エルネが顔を上げた。
「どういうことですか」
「実際に見た方が早い。銭が止まっても、手足までは止められていない」
吉継は外へ出た。
霧は薄い。
廃砦の向こうに、低い山が見える。斜面には曲がった木が多く、道に近い場所は手入れされず荒れていた。放置すれば獣が隠れ、盗賊が潜む。だが伐れば、材になる。
「ロウエン」
「はい」
「民へ知らせろ。今日から三日、伐採と運搬の人手を募る。賃は銭ではなく、救い米、塩、冬前の薪の取り分で払う」
「銭ではなく、現物払いですか」
「現在のところ、米の物価は高い。銭よりも米の方が需要が高いだろう」
ロウエンは目を見開き、すぐに頷いた。
「アリスティ殿」
「何をさせますか」
「傭兵団は伐採場の警護と、木の運搬路の確保。斧を持てる者は斧を持て。戦えぬ者にも、枝払い、縄掛け、杭打ちの仕事がある」
「砦を直すのですか」
「直すだけでは足りぬ」
吉継は廃砦を見た。
石は崩れ、土は流れ、門は傾いている。
だが、立地場所は悪くない。
背後を天然の川で守られ、砦は丘の上に築かれている。旧街道も整理すれば、職人や商人が行き来できる重要拠点になれる。
守る形は、すでにそこにある。
「砦を、城に変える」
◆
昼までに、人が集まった。
老人は縄を撚り、女たちは枝を束ね、子供は小さな杭を運ぶ。傭兵たちは斧を振るい、倒す木を選び、運びやすい長さへ切った。
最初は恐る恐るだった民も、米と塩の札を受け取ると目の色が変わった。
「これ、本当に今日の分で貰えるのか」
「働いたら最低限の物資を渡す。そして、一番早く伐採をした者には、それ相応の報償も渡す」
「青綿会の許可は」
「いらぬ」
吉継は静かに言った。
「この山は白霧境の山だ。この領の民が、この領を守るために木を伐る。誰の許可もいらぬ。自分たちの家を守るための仕事だ」
その言葉が、民の背を押した。
斧の音が増える。
縄が鳴る。
木が倒れるたび、湿った地面が震えた。
チヨネは切り株の影から影へ移り、危ない枝が落ちる場所を影で指した。言葉はない。だが、民はもう彼女の「ふん」を少しだけ読めるようになっていた。
「そっちに倒すなってことか」
「ふん」
「分かった、分かった」
チヨネは少しだけ胸を張った。
吉継は斜面の上へ立つ。
白頭巾の下で、呼吸を整えた。
水と土の理は、まだ入口にすぎない。
だが、城は土だけで作るものではない。
敵を引き込む場所。
周囲を守る城壁。
民の慰撫にもつながる巨大な縄張り。
反乱分子を押さえつける威圧。
それらを組み合わせれば、誰にも容易に侵入されぬ巨大な城となる。
吉継は軍配を地面へ向けた。
「縄張起城」
低い声が、霧の中へ落ちる。
足元の土が唸った。
地面へ流した魔力が、細い糸のように広がっていく。力任せに持ち上げるのではない。水が低きへ流れるように、土にも力の逃げ道がある。
そこを読む。
そこへ押す。
廃砦の外側に、圧縮された土塁が盛り上がった。
一つではない。
二重、三重。
土はただ積まれたのではなく、内側で押し固められ、斜面へ食い込むように伸びていく。
土塁と土塁の間を、深く鋭い空堀が切り裂いた。
まっすぐではない。
敵が勢いのまま走れぬよう、折れ、曲がり、狭くなり、また開く。
その内側に、曲輪が広がる。
人が集まり、矢を置き、荷を逃がすための平場。
山の斜面には、縦に竪堀が刻まれた。上へ登ろうとする者の足を横へ逃がさず、真下へ落とすための溝だ。
民が息を呑む。
傭兵が斧を止める。
アリスティでさえ、声を失った。
吉継は止まらない。
砦跡の石を、土の圧で押し出す。
崩れていた石が転がり、線を作る。大きさも形も違う石が、噛み合う場所へ収まっていく。
野面積みの石垣が、低く、だが確かに現れた。
完全な城ではない。
門も、櫓も、板塀もこれからだ。
それでも、霧の中に城の形が立ち上がった。
敵の直進を許さぬ土塁。
足を断つ空堀。
兵を置く曲輪。
斜面を裂く竪堀。
石垣の骨。
白霧境の廃砦は、一瞬で別のものへ変わった。
アリスティが息を呑んだ。
「……城壁で囲うのではなく、土で敵を曲げる城、ですか」
傭兵の一人が、空堀の縁を覗き込む。
「石壁を高く積む砦や、魔法障壁を張る要塞なら見たことがあります。ですが、これは……道そのものが敵を殺す形をしている」
異世界の砦は、厚い壁と魔法の障壁に頼るものが多い。
だが、吉継が起こしたものは違う。
土塁で押し返し、空堀で落とし、曲輪で受け、竪堀で斜面を殺す。城そのものが、敵の足を折るための策になっていた。
吉継は白布の下で息を吐き、額の汗を手の甲で拭った。
チヨネがすぐ袖を掴んだ。
「ふん……!」
「大丈夫だ。汗をかいただけだ」
嘘ではない。
ただ、長くは続かない。
額に汗が流れ、右腕の奥が熱を持っている。土魔法は病毒魔法ほど肉を削らない。だが、慣れぬ魔力を広げすぎれば、魂の底が軋む。
アリスティが歩み寄った。
「大谷殿。これは、砦の修理ではありませんね」
「城の骨だ」
「骨だけで、これほど変わるとは」
「肉は民がつける。城は土だけでは立たぬ。人が入って、ようやく城になる」
吉継は伐られた木の山を見た。
「柵、門、見張り台、橋、薪、足場。すべて、あの木で作る。俺の魔法で城を作ったのではない。民が働ける形を先に見せただけだ」
ロウエンが震える声で聞いた。
「金がなくても、できるのですか」
「すべては無理だ。だが、無理だから座って待つ理由にはならぬ」
吉継は即答した。
「だが、始めることはできる。青綿会が止めたのは銭だ。腕ではない。山でもない。土でもない。民の腹と覚悟までは、まだ凍らせておらぬ」
民の間に、ざわめきが広がった。
青綿会から借りなければ何もできない。
許可札がなければ売れない。
銭がなければ動けない。
そう思い込まされていた者たちが、目の前の土塁を見る。
自分たちが伐った木を見る。
自分たちが運べる杭を見る。
領は、誰かに与えられるものではない。
自分たちの手でも、形を持ち始める。
エルネが帳面を抱えたまま呟いた。
「これは、政務院への返答にもなりますね」
「ああ」
吉継は頷く。
「白霧境は止まっていない。財政を凍らされても、民を食わせ、道を守り、城を起こす。その事実を送る」
「名前はどうしますか」
ロウエンが聞いた。
吉継は少しだけ沈黙した。
白い霧。
土の城。
民が帰る場所。
そして、胸元の対い蝶。
「白蝶城」
静かな声だった。
「白霧境を守る城だ。誰かを縛る城ではない。帰る者を迎え、攻める者の足を折る城とする。ここを見た民が、逃げ場はあると思える名にしたい」
チヨネが小さく、しかし誇らしげに鼻を鳴らした。
「ふん」
アリスティが笑った。
「小さな守護神だけでは足りませんね。城まで生えた」
「生えたのではない」
吉継は軍配を閉じた。
「起こしたのだ」
霧の中、白蝶城の土塁が静かに影を伸ばす。
青綿会が銭を止めた日。
白霧境は、初めて自分の足で立つ城を得た。
白霧境の廃砦が、白蝶城へ。
青綿会に依存せず、自分たちの手で立ち上がるための象徴になる回でした。




