第4話:街道の光
チヨネを連れて黒森を出た吉継。
しかし街道には、光神教の追手が待ち構えていました。
黒森を抜けた先に、白い街道があった。
踏み固められた土の道の両脇には、低い石柱が並んでいる。
石柱のひとつひとつには、太陽を模した聖印が刻まれていた。
サンクトゥス・レガリア王国。
光神教の影響が強い国だと、施療院の者は言っていた。
その言葉どおり、街道ひとつにも信仰の印が置かれている。
大谷吉継は、白布の下で静かに息を吐いた。
右腕の包帯は熱を持ったままだ。
光の回復魔法に焼かれた痕が、まだ皮膚の奥で疼いている。
病毒魔法を使えば、痛みは鈍らせられる。
だが、それは己の肉体をさらに蝕む。
今は使うべきではない。
「ふん……」
足元で、小さな鼻鳴らしがした。
チヨネが、吉継の裾を掴んでいる。
黒森で救い出した少女。
言葉を持たず、影を操る子。
泥で固まっていた髪は、森の小川で少しだけ洗った。
服はまだぼろぼろだが、吉継の外套を肩にかけている。
大きすぎる外套に包まれた姿は、まるで布の中から顔だけを出した小動物のようだった。
ただし、その足元の影は別だ。
チヨネの影は、街道に刻まれた聖印を警戒するように、細く震えている。
「怖いか。無理もない。道は広いのに、逃げ場は少ない」
チヨネは少し迷い、それから首を横に振った。
「ふん」
怖くない。
そう言いたいらしい。
だが、指先は吉継の裾を離さない。
「無理をするな。怖い時は、袖を掴め」
「ふん……」
小さな鼻鳴らしには、少しの不満と、少しの甘えが混じっていた。
吉継は、まだ彼女の感情辞典を覚え始めたばかりだった。
それでも不思議と、意味は伝わる。
言葉を持たぬ者の心を読むには、目と影と呼吸を見ればよい。
戦場と同じだ。
旗が折れれば兵は揺れ、足並みが乱れれば恐怖が走る。
声を上げずとも、人は必ず何かを発している。
チヨネの場合、それが鼻鳴らしと影なのだ。
「まずは人里を探す。腹も傷も、意地だけでは保たぬ」
吉継は街道の先を見る。
「衣服、食料、地図。この世界の情報も要る」
チヨネがこくりとうなずく。
そして、胸を張った。
「ふん」
「役に立つ、と言っているな。頼もしいが、無茶は仕事に入れていない」
こくこく。
吉継は目を細めた。
「では、役目を与える。周囲の影を見るだけでよい。危険があれば、裾を二度引け」
チヨネの目が大きく開いた。
命令ではない。
役目。
その違いを、彼女は敏感に感じ取ったらしい。
「ふんふん」
小刻みな鼻鳴らし。
安心。
納得。
少しの誇り。
二人は街道を歩き出した。
吉継の足取りは一定だった。
だが、身体の内側では疲労が積み重なっている。
関ヶ原の最期よりも若い身体。
刀を振るえる腕。
走れる脚。
それは確かに得た。
だが、この身は完全ではない。
病毒の呪痕は魂に刻まれている。
光には焼かれる。
病毒魔法を使えば、自らも削れる。
このままでは、また守れない。
魔法を学ぶ必要がある。
この国の者たちが使うという、火、水、土、風の四大魔法。
その理を知り、兵法に組み込む。
さらに、気力。
施療院で聞いた兵士の愚痴の中に、その言葉があった。
魔法使いに抗う武人の力。
武器や拳に宿し、魔法障壁を打ち砕くもの。
この世界では、それをオーラと呼ぶらしい。
魔力と気力。
どちらも、人に宿る。
ならば、吉継も鍛えられるはずだ。
もっとも、今の吉継にあるのは、前世の武士としての身体感覚だけだった。
この世界の気力の扱い方は知らない。
魔法の詠唱も知らない。
魔力の流し方も知らない。
知らないことばかりだ。
それが、少しだけ愉快だった。
「学べることがあるなら、まだ死ぬには早い。三成殿に顔向けできぬ」
吉継が呟くと、チヨネが見上げた。
「ふん?」
「独り言だ」
チヨネは納得したようにうなずき、また前を見る。
その直後。
裾が、二度引かれた。
吉継は足を止める。
風が止まった。
街道の先。
小さな石橋の向こうに、三人の男が立っていた。
白い外套。
胸元の聖印。
腰の短剣。
光神教の巡察兵。
施療院の司祭マルクと同じ系列の者だろう。
先頭の男が、吉継とチヨネを見て眉をひそめた。
「白布の男と、影使いの小娘。報告どおりだな」
吉継は、チヨネを背に隠すように半歩前へ出た。
「通行の邪魔だ。どけと言う前に、理由を聞こう」
「病毒持ちが王国街道を歩くな。不浄が移る」
「病は歩いただけでは移らぬ。恐れまで人に移すな」
「貴様らの理屈など聞いていない」
巡察兵は剣を抜いた。
剣身に、淡い白光がまとわりつく。
魔法剣か。
いや、剣に光魔法を薄く乗せているだけだ。
吉継にはそう見えた。
だが、今の自分には十分に厄介だ。
あの光に触れれば、傷は悪化する。
「チヨネ」
「ふん」
「私の影から離れるな。怖ければ、裾ごと掴んでいろ」
チヨネはうなずく。
その影が、吉継の影へぴたりと寄り添った。
巡察兵の一人が鼻で笑う。
「影に隠れるか。やはり不浄の類だ」
別の兵が、左手を掲げた。
「火よ、壁となれ。火壁」
街道の左右に、薄い炎の壁が立ち上がる。
逃げ道を塞ぐための魔法。
火の四大魔法。
それに簡単な形状付与を加えたものだろう。
吉継は、炎を見た。
威力は高くない。
だが、牽制としては十分。
火の熱に押され、チヨネが小さく震えた。
「ふ……」
吉継は左手で、チヨネの前に外套の端を垂らす。
「見るな。足元だけでよい。火を見ると、身体が先に怯える」
こくり。
巡察兵が踏み込んでくる。
三人。
右の兵は光をまとった剣。
左の兵は火壁を維持。
中央の兵は短い詠唱を始めている。
戦場識。
吉継の頭の中で、街道が戦場図へ変わる。
石橋。
炎の壁。
聖印の石柱。
三人の足幅。
魔法維持に割かれた集中。
チヨネの位置。
自分の負傷。
勝つ必要はない。
突破すればよい。
吉継は刀を抜いた。
若い身体が、前へ出たがる。
だが、焦るな。
兵法とは、己の有利で戦うこと。
吉継は一歩だけ後退した。
「逃げるか!」
右の兵が追ってくる。
その足が、石柱の影を踏んだ。
チヨネの影が、ぬるりと伸びる。
影纏。
黒い影が兵の足首に絡んだ。
兵の動きが一瞬止まる。
チヨネが驚いたように目を見開いた。
自分でも、咄嗟に出た力だったのだろう。
「上出来だ。今の影は、俺の命を一つ拾った」
吉継は短く言った。
その一言で、チヨネの目に光が戻る。
吉継は踏み込んだ。
光の剣を受けない。
刃と刃を合わせれば、光がこちらへ移る。
だから、手首。
鞘打。
抜いた刀ではなく、左手に残した鞘の縁で、兵の手首を打つ。
剣が落ちる。
続けて、刀の峰で鳩尾を押した。
兵が膝をつく。
殺さない。
今は、殺す必要がない。
「こいつ、影使いと連携を」
中央の兵が詠唱を早めた。
吉継はその口元を見る。
舌。
呼吸。
魔力の集まり。
詠唱は、発動のための拍子だ。
ならば拍子を崩せばよい。
吉継は懐から、小石を一つ弾いた。
石は中央の兵の喉元へ当たり、詠唱が途切れる。
「ぐっ」
魔力が霧散した。
左の兵が叫ぶ。
「火壁を閉じる! 焼き殺せ!」
左右の炎が、二人を挟むように近づいてくる。
チヨネの影が怯えた。
「ふ、ふん……」
吉継は、右腕の包帯を押さえた。
病毒魔法を使えば、火壁を維持する兵を倒せる。
だが、今は距離がある。
無理に届かせれば、身体を削る。
それに。
この戦場には、別の手がある。
「チヨネ。石柱の影へ」
チヨネが吉継を見る。
「行けるか」
ほんの一瞬の迷い。
それから、強くうなずいた。
「ふん」
チヨネの身体が、吉継の影に沈む。
いや、溶けるように消えた。
次の瞬間、石柱の影から小さな手が伸びる。
兵の足元を、ぺし、と叩いた。
「なっ」
左の兵が下を見る。
その集中が切れた。
火壁が揺らぐ。
吉継はその隙間を見逃さない。
チヨネのいる石柱へ向かって走る。
炎の熱が白布の端を焦がした。
右腕の傷が熱を持つ。
だが、抜けた。
吉継は石柱の横でチヨネを抱き上げ、橋の外側へ身を投げる。
下は浅い川だった。
水音。
冷たさ。
右腕に激痛。
吉継は歯を食いしばった。
チヨネを庇うように抱えたまま、川底へ膝をつく。
巡察兵たちは、橋の上からこちらを見下ろしていた。
「追え!」
「待て、下は黒森から流れる瘴気水だ!」
「不浄どもめ……」
彼らは追ってこない。
光を信じる者ほど、瘴気を恐れる。
吉継はゆっくりと立ち上がった。
チヨネが腕の中で震えている。
「怪我は。隠すな。お前の痛みは俺が見る」
チヨネは首を横に振る。
そして、すぐに吉継の右腕を見た。
包帯が赤黒く濡れている。
「ふん……!」
無言の抗議。
いや、心配だ。
吉継は白布の下で苦笑した。
「大したことはない。……と言いたいところだが」
チヨネが無言でプルプル震えた。
「……大したことは、少しある。だから、その顔をするな」
チヨネの震えが止まった。
納得したらしい。
吉継は川岸へ上がり、街道から離れた茂みへ入る。
追手の声は遠ざかっていた。
逃げ切った。
勝ったわけではない。
だが、生きている。
それで十分だ。
吉継は木の根元に腰を下ろした。
右腕が重い。
光の傷に川の冷たさが染み、病毒の魔力が不規則に脈打つ。
このまま無理をすれば、動けなくなる。
魔力も、体力も、まだ足りない。
もし魔力を枯らせば、死ぬこともある。
この世界では、それが常識だという。
だが、吉継の内側には奇妙な感覚があった。
死の縁まで魔力を使い切ったなら、何かが変わる。
増える。
深くなる。
器が広がる。
そんな予感。
だが、試すべきではない。
命は賭け金ではない。
少なくとも、守るべき者を抱えた今は。
「チヨネ」
「ふん」
「先ほどの影、よくやった。お前がいなければ、俺は火の中だった」
チヨネの肩が跳ねた。
それから、ゆっくりと吉継の前に来る。
頭を差し出す。
期待に満ちた上目遣い。
吉継は、少しだけ困った。
「報酬か」
こくこく。
吉継は左手で、チヨネの頭を撫でた。
「助かった。礼を言う、チヨネ」
「ふんふん!」
全力の喜び。
だが、その喜びの途中で、チヨネはふと吉継の右腕を見た。
そして、小さく鼻を鳴らす。
「ふん……」
心配。
怒り。
置いていかないで、というような不安。
吉継は、目を伏せた。
「無茶は控える。お前にそんな顔をされるのは、少し堪える」
チヨネがじっと見る。
「できるだけ」
無言のプルプル。
「……善処する」
チヨネはまだ納得していない顔だった。
それでも、吉継の影に自分の影を寄せた。
影の抱擁。
言葉にならない誓い。
ずっと傍にいる。
そう言われた気がした。
吉継は空を見上げる。
街道を行けば、また光神教に見つかる。
森へ戻れば、奴隷狩りや魔物がいる。
この国で生きるには、身分も金も知識も足りない。
だが、行かねばならない。
レガリア王国の中心へ。
この世界の理を学ぶために。
魔法を学ぶために。
そして、三成の魂を探すために。
「まずは町だ」
吉継は立ち上がった。
「身を隠し、学ぶ場所を探す。知らぬままでは、守るものも守れぬ」
チヨネが頷く。
その影が、吉継の影に重なった。
白布の軍師と、影の少女。
二人は街道から外れ、獣道へと進む。
光を避けながら。
それでも、義の火だけは消さずに。
お読みいただきありがとうございます。
今回はチヨネとの初連携、そしてこの世界の魔法・気力の基礎に触れる回でした。
吉継はまだ四大魔法を使えません。ここから学び、鍛えていきます。




