第37話:傭兵団の使い道
青綿会との契約が止まり、バルシュタイン傭兵団は白霧境に残りました。
吉継は彼らを、兵のいない白霧境を守る仮の警護兵として使おうとします。
青綿会が残したものは、帳簿だけではなかった。
未申告の綿。
隠していた銭。
水門の鍵。
そして、行き場を失った傭兵団。
自由市の広場から人が引いた後も、バルシュタイン傭兵団はまだ白霧境に残っていた。
アリスティ・フォン・バルシュタインは、広場の端で部下たちを並ばせている。荒くれ者に見える者もいるが、勝手に村人へ近づく者はいない。
命令が行き届いている。
それだけで、ただの雇われ刃ではないと分かった。
吉継はエルネに青綿会の押収目録を読ませた。
「未申告綿、荷車六台分。銭箱三つ。農具の貸付証文、十九。水門鍵一式。青綿会白霧境倉の印章」
「水路修繕費には足りるか」
「最低限なら足ります。ただ、廃砦の修理や倉の建て直しまで含めると足りません」
「なら、使う順を決める」
吉継は地図を広げた。
毒土の水路。
旧街道。
廃砦。
三つの村。
白霧境は、どれも壊れている。
そして何より、兵がいない。
領地は得た。だが、王都から兵士を与えられたわけではない。廃砦は名ばかりで、門は傾き、見張り台も使えぬ。
このまま水路を直しても、奪う者が来れば終わる。
全部を一度には直せない。
だから、順がいる。
「第一に水路。第二に種籾の保管倉。第三に旧街道の穴埋め。廃砦はその後だ」
エルネが書き取る。
「廃砦は後でいいんですか」
「砦だけ直しても、腹は膨れぬ。飢えた民の背に城壁は背負わせられない」
ロウエンが頷いた。
「水が戻れば、民は動きます。今はそこです」
「だが、動いた民を守る者がいる」
昨日まで許可札小屋にこもっていた男が、少しずつ領の言葉を話し始めている。
悪くない。
その時、アリスティが近づいてきた。
「大谷殿。青綿会との契約は停止しました」
「知っている」
「ですが、傭兵団は食わねばなりません」
「当然だ。腹を空かせた兵ほど危ないものはない」
アリスティの目が細くなる。
「私たちを雇う気がありますか」
周囲が静まった。
エルネが小さく息を呑む。
チヨネは吉継の袖を掴んだ。
「ふん」
警戒している。
吉継はその手を軽く押さえた。
「まだ決めていない。だが、使い道はある。貴殿らを捨て駒にする気もない」
「戦ですか」
「違う」
アリスティの眉がわずかに動く。
「傭兵団を、白霧境の警護兵として仮採用する」
傭兵たちの間に、ざわめきが起きた。
「警護兵?」
「領兵ってことか」
「俺たちは王国兵じゃねえぞ」
不満は当然だった。
吉継は怒らない。
「王国兵になれとは言っていない。まずは七日だ。村、水路、倉、自由市を守る。作業場を荒らす者を止める。旧街道の巡回もする。白霧境が飯を作れる土地に戻るまで、目と足が欲しい」
アリスティが静かに聞く。
「警護だけで足りますか」
「足りぬ。だから水路の現場にも立て」
吉継は地図を指した。
「水路が直れば米ができる。米ができれば民が戻る。民が戻れば狙う者も増える。水路を守ることは、兵糧を守ることだ」
アリスティの目が変わった。
吉継は続ける。
「貴殿らは、この地の道を知っている。青綿会に雇われていた以上、どこを通れば村へ早く着くか、どこで待ち伏せがしやすいかも分かるはずだ。その知識は、今の白霧境に必要だ」
アリスティは一瞬だけ沈黙した。
「昨日まで敵だった者を、領の警護へ置くと」
「敵だったからこそ、悪路も抜け道も知っている。昨日の敵を、今日の地図にする」
「面白い使い方です」
「事実だ」
吉継は、水路の黒い筋を見た。
「それに、貴殿の重力不変の土は、敵の武器を重くするだけではない。道を塞ぐ大石を固定し、足場を崩させぬこともできる。警護兵が道と水路を知らぬままでは使い物にならぬ。初日は現場に立て。守りながら、土地を覚えよ」
吉継は部下たちを見た。
「報酬は払う。ただし、白霧境に今ある銭は限られる。半分は現金、半分は食糧と宿、そして今後の領内警護契約で払う」
傭兵の一人が鼻で笑った。
「先払いじゃねえのか」
アリスティが視線だけで黙らせる。
吉継はその傭兵へ向いた。
「不満はもっともだ。銭が先にない契約は弱い」
男が少し驚く。
「だが、青綿会の未申告分が政務院に認められれば、白霧境へ戻る銭が増える。それまでの間、この領で食う場所は用意する。働いた日数、守った場所、動かした石、すべて帳面に残す」
エルネがすぐに言った。
「日当帳を作れます。人数、作業、支給分、未払い分を分けます」
「未払い分も残すのか」
傭兵が聞く。
エルネは真顔で答えた。
「残します。消したら私が怒ります」
傭兵がなぜか少し引いた。
チヨネが小さく、ふん、と鳴る。
たぶん、エルネは強い、と言っている。
アリスティは吉継をじっと見ていた。
「あなたは、傭兵を駒としてだけ見ていない」
「駒は飯を食わぬ。人は食う。だから駒として扱えば、すぐ壊れる」
吉継は静かに言う。
「食わせられぬ契約は、すぐ裏切りを生む」
アリスティの表情がほんの少し動いた。
その言葉は、彼女の奥に触れたらしい。
「仮契約なら受けます」
「条件は」
「七日。村、倉、自由市、水路、旧街道の警護。初日は水路修繕の現場警備を兼ねます。報酬は半額先払い。残りは帳面に残し、政務院から返金が来た時点で支払い。部下への食糧は毎日支給」
「妥当だ」
吉継は頷いた。
「エルネ、契約書を作れるか」
「作ります。かなり急ぎますけど」
「すまない」
「謝るなら、あとで文字の練習を増やしてください」
「承った」
チヨネがふんふん、と鳴った。
少し楽しそうだった。
◆
水路修繕と警護兵の実地配置は、その日の午後に始まった。
村人たちは最初、傭兵団を怖がっていた。
無理もない。
昨日まで青綿会に雇われていた者たちだ。
だが、アリスティの命令は短かった。
「村人へ近づきすぎるな。荷を奪うな。水路の入口と倉への道を押さえろ。酒は作業後。揉めた者は賃金半減」
傭兵たちは渋い顔をしながらも従った。
四人が水路の入口へ立つ。
三人が旧街道の曲がり角へ向かう。
二人が倉の前に残る。
荒くれ者に見えて、配置は早い。
この土地で飯を食ってきた者たちだ。どこから人が入るかを、身体で知っている。
水路には、大きな石がいくつも詰まっていた。
村人だけでは動かせない。
アリスティが水路の縁に立つ。
「重力不変の土」
石の周りの土が沈み、余計な小石が重く固まる。
動かす石と、動かしてはならない土が分かれる。
傭兵たちは縄をかけ、足場を崩さず石を引いた。
吉継はそれを見て頷いた。
「やはり使える」
「戦以外で使う発想はありませんでした」
アリスティはそう言った。
「私の魔法は、味方の武器も奪う。欠陥だと言われてきました」
「それは、戦う方法を武器ありきで固めすぎたのが原因だ」
吉継は水路を見た。
「兵器や魔法は、使いようによっては革命的なものに変わる。大切なのは、一つの使い方に固執せず、場に合わせることだ」
アリスティは答えなかった。
吉継は、縄を引く傭兵たちと、恐る恐る見守る村人たちを見た。
「ここでは、貴殿の魔法を民を守るために使ってほしい。それも、守護神として」
アリスティは少しだけ笑った。
「それはなんとも小さな守護神ですね」
「小さくてよい。守る場所があるなら、神はそこに立てる。大きさより、そこにいることが大事だ」
アリスティはそれ以上答えなかった。
だが、琥珀色の目に静かな熱が残った。
チヨネは水路の端で、小さな泥団子を作っていた。
影の輪に通そうとして、また失敗する。
「ふん……」
吉継は少しだけ笑う。
「泥は重い。綿より難しいか」
チヨネはこくりと頷いた。
エルネが横で帳面を書きながら言う。
「チヨネさん、その泥団子も作業量に入れます?」
チヨネは真剣に首を横へ振った。
遊びらしい。
その時、水路の奥で水が止まった。
流れの先に、折れた枝、腐った布、泥に沈んだ木片が絡みついている。
水路そのものが、喉を詰まらせたようになっていた。
村人たちが下がる。
吉継は手を伸ばそうとした。
チヨネが袖を掴む。
「ふん」
無理をするな、という音。
「少しだけだ。水の通り道を塞ぐものだけを食わせる」
吉継は柔らかく言い、指先を水路へ向けた。
「腐蝕糸」
黒く湿った糸が、指先から水面へ落ちる。
一本ではない。
糸は水の中で細く分かれ、網のように広がった。
枝に絡む。
腐った布に絡む。
泥に沈んだ木片へ絡む。
次の瞬間、黒い網が小さく震えた。
詰まりが、細切れになって崩れる。
布は繊維へ戻り、枝は黒い粉となり、泥に混じって流れた。
水路の奥で、こぽり、と音がした。
止まっていた水が動き出す。
吉継の指先に、針で刺したような痛みが走った。
回復ではない。
これは削る力だ。
だが、ここで必要なのは、毒を呑むことではなく、流れを開くことだった。
村人たちが息を呑んで見ていた。
「病毒持ちなのに……」
誰かが呟く。
「水路を、通している」
吉継は聞こえないふりをした。
聞こえている。
だが、今は答えない。
言葉より、水が流れる方が早い。
夕方近く、詰まっていた水路が一つ通った。
細い水が、乾いた田へ入り込む。
村人たちが声を上げた。
大きな歓声ではない。
まだ恐る恐るの声だ。
それでも、昨日までなかった音だった。
アリスティは水の流れを見ていた。
「大谷殿」
「何だ」
「七日後、正式な契約を改めて話しましょう」
「金額が上がるか」
「下がるかもしれません」
吉継は少しだけ意外に思った。
アリスティは淡々と言う。
「この領は、まだ金を持っていない。ですが、育つ可能性がある。育つ土地に早く関わるのも、傭兵団の投資です」
「商人のようなことを言う」
「傭兵も商いです。ただし、私は水門を閉じる商いが嫌いだ。守る場所がある傭兵団は強くなります」
その言葉に、吉継は静かに頷いた。
「なら、話は合いそうだ。白霧境は、まだ守る価値を育てている途中だ」
霧の向こうで、水の音が続いている。
白霧境は、まだ貧しい。
だが、今日一つ、流れが戻った。
水路だけではない。
人の流れも、少しずつ変わり始めていた。
お読みいただきありがとうございます。
アリスティの重力魔法は、敵を潰すだけでなく、水路を直す力にもなりました。吉継とアリスティの関係も、契約から少しずつ変わり始めます。




