↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大谷吉継 転生録 〜義は滅びず、再び剣を取る〜  作者: ひさめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/81

第35話:綿花商の鎖

自由市に反発した綿花商の使い。その影印を追って、吉継たちは青綿会の染物小屋へ向かいます。

白霧境が綿花から逃れられなかった理由が、少しずつ見えてきます。

チヨネの影印は、夜になっても消えていなかった。

 市の外れから逃げた綿花商の使いは、旧街道を北へ向かい、霧の中にある古い染物小屋へ入った。

 翌朝、チヨネはその場所を地図の上に指で示した。

「ふん」

 ここ、という音。

 吉継は頷き、エルネとロウエンを呼んだ。

 古い館の一室には、白霧境の粗い地図と、市の帳面が広げられている。

 ロウエンはまだ落ち着かない顔をしていたが、昨日より背筋は伸びていた。

「その染物小屋は誰のものだ」

 吉継が聞くと、ロウエンはすぐ答えた。

青綿会せいめんかいの倉です。王都の綿花商たちが作った組で、この領の綿はほとんどそこへ流れます」

「青綿会」

 エルネが帳面に書く。

「白霧境の農民に種や道具を貸し、収穫した綿で返させる仕組みですね。借りた時は助かるけれど、毎年返済に追われる形です」

「米を作る余裕がなくなる」

「はい。綿で返す約束が先にあるので、畑を綿花に回さざるを得ません」

 吉継は地図を見た。

 水路のある土地ほど、本来なら米に向く。

 だが、そこにも綿花が植えられていた。

 水の届く良い土地を、腹を満たさぬ作物で押さえられている。

 これは商いではある。

 だが、縄でもある。

「ロウエン」

「はい」

「お前は青綿会と話ができるか」

「できます。顔は知っています。ですが、向こうは私をもう信用しないかもしれません」

「信用されなくてよい。会わせろ。相手が信用する顔かどうかは、こちらで見る」

 ロウエンは喉を鳴らした。

「領主様、あの者たちは銭を持っています。王都にも顔が利く。怒らせれば、道具も種も入らなくなります」

「今のままなら、米が入らなくなる。銭の道が太くても、腹へ届かねば意味がない」

 吉継は静かに言った。

「選ぶ順が違う。先に民の腹だ。商いは、生きている者がいて初めて回る」

 チヨネが机の端で、綿の切れ端を小さく丸めている。

 ふわふわした玉を、影の輪に通そうとして失敗した。

「ふん……」

 悔しそうだった。

 エルネがそれを見て、少しだけ口元を緩める。

「綿は軽すぎますね」

「ふん」

 チヨネは不服そうに、もう一度挑戦した。

 吉継はその様子を見てから、地図へ視線を戻した。

「染物小屋へ行く」

   ◆

 青綿会の染物小屋は、霧の中で青く沈んでいた。

 壁には古い染みがあり、軒下には乾いた綿布が吊られている。

 中から出てきたのは、細い髭を整えた男だった。

 名はベルノ。

 青綿会の白霧境担当だという。

「新しい領主様が、わざわざこのような小屋まで」

 ベルノは丁寧に頭を下げた。

 だが、目は笑っていない。

「用件は分かっているだろう」

「綿畑の件でしょうか。困りますな。白霧境の綿は、王都でも需要がございます。急に米だ麦だと言われましても、商いには契約がある」

「契約は見る」

 吉継が言うと、ベルノは笑みを深めた。

「残念ながら、契約書は王都の本店にあります」

「なら、写しは」

「こちらにはございません」

 エルネの眉が動いた。

「農民から綿で返済を受けるのに、写しがないのですか」

「慣習です」

「便利な言葉ですね」

 エルネの声は冷たい。

 ベルノは彼女を一瞥し、吉継へ戻った。

「領主様、綿は銭になります。銭があれば穀物は買える。わざわざ畑を戻す必要はありません」

「買えなかったから、民は痩せている。帳面では潤っても、頬はこけている」

「それは前領主の采配では」

「今は俺の領だ」

 吉継は一歩進んだ。

「水の届く土地は食糧に戻す。綿花は余った土地に絞る」

 ベルノの笑みが消えた。

「青綿会は、種も農具も貸しております。それを止めれば、この領は困るでしょうな」

「困る。だから、今ここで首を預けたら終わりだ」

 吉継は認めた。

 ベルノの目に、勝ったという色が浮かぶ。

 だが、吉継は続けた。

「だから、困らぬようにする」

 吉継はエルネへ視線を向けた。

 エルネが帳面を開く。

「昨日見つかった帳面外の米と豆。その一部を種に回します。農具は廃砦の倉に古い鍬と鋤があります。修理が必要ですが、鍛冶屋に仕事を出せます」

 ロウエンが続ける。

「北村に元鍛冶の男がいます。目を悪くして店を閉めましたが、弟子は二人残っています」

 ベルノの顔が固まる。

 吉継は言った。

「青綿会に頼る分は減らす。必要な分は買う。だが、首を預ける気はない。白霧境の腹は、白霧境で守る」

「領主様は、商いを軽く見ておられる」

「軽く見てはいない。むしろ重く見ている」

 吉継は静かに言った。

 ただ異世界の知識を持ち込み、商売を自由にすれば豊かになる。

 それだけなら、吉継でなくとも言えたかもしれない。

 だが、吉継は知っている。

 前世の国では、座も、寺社も、商人も、道と銭を握ることで政に口を出した。水を握る者は田を握り、田を握る者は兵糧を握る。

 商いは国を生かす。

 同時に、国を縛ることもある。

「商いは尊い。だが、水門と作付けを商人が決めるなら、それは商いではない。政だ」

 吉継はベルノを見た。

「商人が政に口を出すな」

 チヨネがベルノの足元を見た。

 彼の靴に、黒い泥がついている。

 昨日、毒土の水路で見たものと同じ色だった。

「ふん」

 チヨネは吉継の袖を引く。

 吉継も気づいた。

「ベルノ。水路へ行ったか」

「水路?」

「靴に毒土がついている」

 ベルノの顔が、ほんのわずかに強張った。

「商人が水路を見てはなりませんか」

「見てもよい。だが、詰まった水門の鍵を商人が持つ理由はない」

 吉継はベルノの腰を見た。

 鍵束がある。

 その中に、古い水門の鍵と同じ形のものが一本混じっていた。

 エルネが息を呑む。

「水門を止めていたのですか」

 ベルノは黙る。

「米が作れぬように水を止め、綿を作らせた」

 吉継の声は静かだった。

「違うなら、今ここで水門を開ける。水が通れば、疑いは薄くなる」

 ベルノは後ずさった。

 染物小屋の奥で、誰かが動く気配がした。

 チヨネの影が、すっと伸びかける。

 吉継は片手を上げた。

「動くな」

 チヨネは止まった。

 奥の者も、出てこない。

 吉継は刀へ手をかけない。

 軍配も振らない。

 必要なら脅しも使う。

 だが、今はその時ではない。

 ここで刃を見せれば、青綿会は被害者の顔をする。

 商人を斬って政を通した、と噂を作られる。

 それは下策だった。

「ベルノ。鍵は領主預かりとする」

「拒めば」

「拒否した事実を記録する。水門を見せられぬ理由があると、俺は判断する」

 エルネがすぐに帳面を開いた。

 ロウエンも震える手で証人名を書き始める。

 ベルノは二人を見た。

 武器よりも、紙が動いている。

 それを理解した顔だった。

 ベルノは唇を噛み、腰の鍵束から一本を外した。

「一時的に、お預けするだけです」

「記録した」

 エルネが短く言う。

 ロウエンが青い顔で言った。

「水門の鍵を、なぜ青綿会が」

「水を握れば、畑を握れる」

 吉継は受け取った鍵を見た。

「水門へ行く」

   ◆

 毒土の水路は、黒い泥に半分埋もれていた。

 古い水門は閉じられている。

 鍵穴には、青綿会の鍵が合った。

 ゆっくりと水門を開けると、濁った水が動き始める。

 吉継は水際に膝をついた。

「また、それをするんですか」

 エルネが心配そうに言う。

「毒は残せぬ」

「体にいいとは思えません」

「俺には、毒が薬になる」

「普通は最悪の言葉です」

 吉継は少しだけ笑い、手を水へ入れた。

毒脈呑浄どくみゃくどんじょう

 黒い筋が水の中から吉継の掌へ集まる。

 昨日より、流れが速い。

 水門が開いたことで、毒も動き出したのだ。

 チヨネが袖を掴む。

「ふん……」

「大丈夫だ。無理はしない」

 吉継はそう言って、吸い上げる量を抑えた。

 すべてを一度に呑めば、体がいくら持っても危うい。

 水の黒さが少し薄くなる。

 水路の底に、石が見えた。

 ロウエンが呆然と呟く。

「水が、通った」

 吉継は立ち上がった。

「明日から、水路掘りを始める。米を植える土地を戻す」

 ベルノは押さえられたまま、低く笑った。

「青綿会を敵に回した。後悔しますぞ」

「後悔する暇があれば、田を起こす」

 吉継は軍配を握った。

「綿花は売る。だが、白霧境の腹までは売らぬ」

 霧の向こうで、水が細く流れ始めた。

 それは小さな音だった。

 だが、白霧境にとっては、戦の勝ち鬨よりも重い音だった。

お読みいただきありがとうございます。

綿花商は種と農具だけでなく、水門まで握っていました。吉継は水を取り戻し、米を植えるための第一歩を踏み出します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。