第32話:辺境領の白頭巾
嘆きの野の鎮圧を終え、吉継は王宮へ呼ばれます。
今回から、戦場だけでなく領地と内政の物語も動き始めます。
王宮の大広間は、戦場よりも静かだった。
静かすぎる、と吉継は思う。
人はいる。
王国の貴族、軍務局の将校、神殿から来た司祭、政務院の官吏。広間の左右には、身分の高そうな者たちが並んでいる。
だが、誰も声を大きくしない。
その理由は、玉座にあった。
サンクトゥス・レガリア王国の王、エドワード・レガリア。
彼は玉座に座っている。
しかし、座っているだけだった。
頬は痩せ、目の奥には濁った疲労がある。指は肘掛けに置かれているが、力が入っていない。厚い王衣が、かえってその弱り方を隠せていなかった。
名君だったという話は聞いた。
だが、今の王は、王国そのものをかろうじて形にしている灯に見えた。
吉継は白頭巾の奥で、静かに息を整える。
背中の矢傷は塞がり始めている。
歩ける。
だが、痛みはまだ残っている。
その痛みが、王宮の床の冷たさと混ざった。
ミセリア・イシダは、玉座の右下に立っていた。
淡い銀紺の髪。
感情を見せぬ瞳。
手には、政務院の記録板。
王が口を開けぬ代わりに、彼女が前へ出る。
「嘆きの野における野盗討伐。結果を確認する」
声は広間によく通った。
大きいわけではない。
ただ、余分な揺れがなかった。
「野盗集団、壊滅。捕縛者十二名。死亡者二十一名。補給拠点、王都外縁南三番馬房にて確認。押収証拠、灰羽の荷札、神殿施療薬の横流し品、馬用干し豆、枯れ川の地図、ガリア家下位紋付き留め具」
広間の空気がわずかに動いた。
ガリアの名が出たからだ。
バルトロメウス・フォン・ガリアは、列の奥にいた。
顔色は変えない。
だが、指だけが袖の中で動いた。
吉継は見逃さない。
恐れではない。
怒りだ。
ならば、こちらを敵と見た。
それでよい。
見えぬ敵ほど厄介なものはない。
ミセリアは続ける。
「大谷吉継。王家直臣末席としての仮登録を、正式登録へ移行する」
ざわめきが起きた。
病毒持ち。
異邦人。
白頭巾の男。
そう呼ばれてきた者が、正式に王家直臣の末席へ入る。
反発がないはずはなかった。
だが、今回は誰もすぐには声を上げない。
嘆きの野の戦果がある。
捕縛者がいる。
証拠がある。
フェイが証言している。
ミセリアが記録している。
紙と血が、吉継の立場を支えていた。
「さらに、王家より辺境領を下賜する」
今度は、ざわめきが大きくなった。
吉継は頭を下げたまま、目だけをわずかに上げる。
ミセリアの声は変わらない。
「地名、白霧境。王国北西、旧街道沿いの小領。村三つ、廃砦一つ、耕作放棄地多数。税収は低く、過去十年の間に領主が二度交代している」
なるほど、と吉継は思った。
報償ではある。
だが、甘い菓子ではない。
貧しい。
荒れている。
誰も欲しがらぬ土地。
だからこそ、渡せる。
広間の端で、誰かが小さく笑った。
辺境の泥を押しつけた。
そう思ったのだろう。
吉継は不快にはならなかった。
むしろ、都合がよい。
荒れた土地なら、作り直せる。
作り直せるなら、そこに力を蓄えられる。
王宮へ戻る道中、吉継はミセリアにそう話していた。
◆
枯れ川から王都へ戻る馬車の中で、ミセリアは吉継の背中を見ていた。
矢傷は塞がり始めている。
だが、血の跡は残っていた。
「貴殿の回復は、通常の理から外れている。味方にも敵にも、見せすぎてはいけない」
「そうだな」
「隠すべき」
「同感だ」
吉継は窓の外を見た。
嘆きの野は遠ざかっている。
枯れ川の土色が、夕暮れの赤に沈んでいく。
「ガリアが後ろで動いている。これで確かになった」
「証拠は下位紋。直接証拠としては弱い」
「弱くても、糸は糸だ。引けば、いずれ向こうもこちらを断ちに来る。なら、こちらも備える」
ミセリアは否定しなかった。
吉継は続ける。
「衝突はいずれ起こる。王宮の中で守るだけでは足りぬ。俺は備えねばならない」
「何を望む」
「土地だ」
ミセリアの目が、わずかに動いた。
「嘆きの野は渡せない」
「理由を聞こう」
「あそこは、野盗により領地を奪われた一族へ戻す手筈になっている。旧領主家の生き残りがいる。政務院は、彼らを復帰させる」
「それが義にかなうなら、奪う理由はない」
吉継は静かに頷いた。
「では、辺境でよい」
「条件が悪い土地になる」
「構わぬ」
「税収も低い。兵も少ない。道も荒れている」
「なら、そこから始める」
ミセリアは吉継を見る。
「なぜそこまでして領地を求める」
「人は、旗だけでは集まらぬ。食う場所、眠る場所、帰る場所がいる。義だけでは腹は膨れぬ」
吉継の声は穏やかだった。
「チヨネのように捨てられた者。エルネのように巻き込まれた者。フェイ殿のように力はあっても、政治の中では扱いにくい者。これから、そういう者は増える」
「増える根拠は」
「俺が増やす。捨てられた者を見れば、拾わずにはいられぬ」
ミセリアが少しだけ沈黙した。
吉継は続ける。
「ガリアと戦うなら、兵だけでは足りぬ。畑、道、倉、職人、文字を読む者。戦の前に、国の形がいる」
「内政に勤める、と」
「そうだ。俺はこの国の言葉も、法も、税もまだ知らぬ。学ぶ必要がある」
「貴殿は軍師ではないのか」
「軍師だからこそだ。兵糧がなければ兵は動かぬ。民が疲れれば、国は内側から崩れる。戦は、田から始まっている」
ミセリアの視線が、少しだけ柔らかくなった。
「白霧境なら、候補にできる」
「どんな土地だ」
「北西の小領。霧が深い。旧街道と廃砦がある。盗賊、魔物、税の未納が多い。貴族は欲しがらない」
「なら、俺がもらう」
「即答する土地ではない」
「捨てられた土地なら、拾う意味がある。捨てられた者が生きる場所にもなる」
吉継はそう言って、少しだけ笑った。
「俺には、そういう土地の方が似合う」
◆
大広間に、ミセリアの声が戻る。
「大谷吉継。白霧境を受けるか」
吉継は一歩前へ出た。
背中に痛みが走る。
だが、膝は折らない。
「謹んでお受けする」
広間の端で、バルトロメウスが低く笑った。
「辺境の泥に沈まぬとよいがな」
聞こえる程度の声だった。
吉継は顔を向ける。
怒りはない。
ただ、静かに言った。
「泥は嫌いではない。田も、城も、道も、泥の上に作るものだ。白いだけの義では、民は守れぬ」
広間が静まった。
バルトロメウスの笑みが、わずかに固まる。
フェイが列の後ろで肩を震わせていた。
笑いをこらえている。
チヨネは吉継の後ろで、無言で胸を張っていた。
たぶん、勝った、と思っている。
ミセリアは表情を変えない。
だが、記録板に何かを追記した。
「受諾を確認。以後、大谷吉継を王家直臣末席、ならびに白霧境領主として登録する」
王が、かすかに手を動かした。
それは拍手でも、命令でもない。
だが、ミセリアはすぐに膝を折った。
周囲もそれに従う。
吉継も頭を下げた。
弱った王の指先。
そのわずかな動きが、この場では王命だった。
エドワード王の唇が、ほんの少し動く。
声はほとんど聞こえない。
だが、吉継には一語だけ届いた。
「……守れ」
何を。
王国か。
民か。
ミセリアか。
あるいは、そのすべてか。
吉継は頭を垂れたまま答えた。
「承った」
それは、王への返答であり、前世で守れなかった者への誓いでもあった。
白霧境。
荒れた辺境。
そこが、吉継の最初の領地になる。
戦だけではない。
これからは、畑を起こし、道を直し、人を集め、兵を鍛えねばならない。
義を掲げるだけでは、誰も守れない。
義を食わせ、眠らせ、明日へ歩かせる場所がいる。
吉継は、軍配を胸元へ寄せた。
ならば作ろう。
捨てられた土地に、捨てられた者たちが帰れる場所を。
お読みいただきありがとうございます。
吉継は正式に王家直臣末席となり、辺境の小領・白霧境を得ました。ここから「捨てられた土地に、捨てられた者たちが帰れる場所を作る」内政編の芽が出ていきます。




