第31話:矢傷の軍配
枯れ川の戦いは勝ちに傾きました。けれど吉継の背には矢が刺さったまま。
今回は、光の回復が吉継にとって毒になること、そして逃げる指示役を捕らえる場面を描きます。
枯れ川に、土煙と血の匂いが残っていた。
野盗たちは崩れた。
フェイが正面を割り、吉継が側面を突いたことで、敵は逃げる道を失った。弓手は武器を捨て、火魔法を使っていた者たちは杖を落とし、何人かは川底に膝をついている。
だが、戦はまだ終わっていない。
吉継の背には、矢が刺さったままだった。
白と青の陣羽織が、背中から赤く染まっている。矢羽が呼吸に合わせて小さく揺れ、そのたびに肉の奥が軋む。
チヨネはミセリアの前に立っていた。
吉継に言われた通り、敵を見ている。
だが、視線だけが何度も吉継へ戻りかける。
「ふん……」
泣きそうな音だった。
吉継は軍配を下げない。
「チヨネ。まだ敵を見る。俺の傷に目を奪われるな」
チヨネの肩が震えた。
それでも、彼女は前を向いた。
ミセリアは記録板を握ったまま、吉継の背を見ている。
「矢を抜く必要がある」
「今は抜くな」
「出血している」
「抜けば増える」
吉継は短く答えた。
痛みはある。
だが、まだ立てる。
立てるうちは、指揮できる。
フェイが蛇矛を担ぎ直して近づいてきた。
「おい、吉継。倒れるなら今のうちだぞ。俺が残りを殴っておく」
「倒れる時は、終わってからにする。今倒れれば、勝ちを敵へ返すことになる」
「面倒な奴だな」
フェイは笑ったが、目は笑っていなかった。
その時、王都兵の一人が駆け寄ってきた。
「傷を見ます! 光癒を」
若い兵だった。
手のひらに、淡い光が灯る。
ミセリアが頷きかけた。
普通なら、それが正しい。
傷を塞ぎ、血を止める。光の回復魔法は、この世界ではありふれた救命の術なのだろう。
だが、吉継には毒だった。
「やめろ」
吉継の声は静かだった。
しかし、兵は止まれなかった。
「ですが、このままでは」
光が背中に触れた。
次の瞬間、傷口の奥が焼けた。
肉が腐る音など聞こえるはずがない。
それでも、吉継には分かった。
光が病毒とぶつかり、傷の内側で火花を散らしている。
背中の皮膚が熱を持ち、矢の周りが急に重くなる。
チヨネの影が跳ねた。
「ふん!」
兵の足元を縛ろうとする。
「チヨネ」
吉継が名を呼ぶと、影は寸前で止まった。
兵の顔が青ざめる。
「な、何が」
「善意だとは分かっている。だが、俺に光は使うな。助けようとした手で、俺を焼くことになる」
吉継は息を整えた。
声を乱せば、周りが動揺する。
「この傷は、俺の魔力で押さえる」
ミセリアが一歩近づく。
「光が逆効果なのか」
「ああ」
「理由は」
「俺の体が、病毒に適応している。光はそれを正常に戻そうとする。だが、正常に戻す力が、俺の肉を壊す」
ミセリアの目が、わずかに細くなった。
「つまり、通常の治療が凶器になる」
「そうだ」
チヨネが振り向きそうになる。
吉継はもう一度言った。
「前を見ろ」
「ふん……」
不満と心配が混じった音。
だが、チヨネは従った。
エルネが血の気の引いた顔で、荷馬車の陰から声を出す。
「なら、包帯と圧迫です。光なしで止血します。矢は抜かない。固定だけ」
「できるか」
「やります。できる人が今ここに少ないなら、私がやるしかないでしょう。手が震えても、止血はします」
手は震えている。
だが、言葉はしっかりしていた。
エルネは布を裂き、矢の周囲を固定する。乱暴ではない。読み書きで鍛えた指先は細かく、血で滑る布も手際よく押さえた。
「痛いなら言ってください」
「痛い。だが、我慢できる」
エルネの手が止まる。
「言うんですね」
「嘘をつく意味がない」
「それなら、動かないでください」
「それは無理だ」
「でしょうね」
エルネは短く息を吐き、固定を終えた。
吉継は、背中に残る熱を確かめた。
光に焼かれた傷は悪くなっている。
だが、その奥で病毒が別の動きをしていた。
水門跡で喰骸瘴手を使った時、体が軽くなった。
あれは偶然ではないのではないか。
肉体を喰らうほど、こちらの傷が戻るのか。
その仮説が、矢傷の奥で重く光っている。
吉継は周囲を見た。
フェイは捕虜を押さえ、チヨネはミセリアを守っている。兵たちは散った武器を集めている。
誰の視線も、今は吉継へ集まっていない。
「少し、外す」
「何をするんです」
エルネがすぐに聞いた。
吉継は、できるだけ柔らかい声で返した。
「心配はいらぬ。見せぬ方がよい処置だ。お前たちの目に残したくない」
「その言い方が一番心配なんですけど」
「すまない。だが、必要だ」
吉継は崩れた土手の陰へ入った。
そこには、火魔法を使っていた敵の魔術師が倒れている。すでに息はなかった。
吉継は目を伏せた。
「お前にも、帰る場所はあったのだろう」
敵であっても、人である。
それを忘れれば、義はただの言い訳になる。
だが、ここで迷えば、次に守るべき者が死ぬ。
「すまぬ。俺は、お前の残したものを使う。守るためとはいえ、軽く扱うつもりはない」
吉継は軍配を伏せた。
「喰骸瘴手」
黒い瘴気が地面から伸びる。
腕のような影が、倒れた体を布ごと包み込んだ。骨も肉も見せない。ただ、黒い帳が静かに沈み、形だけが夜の水へ溶けるように消えていく。
ごきゅ、と湿った音が一つ。
吉継の背中が熱を持った。
矢の周りの肉が、内側から押し返す。
「っ……」
矢が抜け落ちた。
血が噴くはずの傷口は、黒い筋に縫われるように閉じていく。
痛みは消えない。
だが、歩ける。
息が深く入る。
仮説は、確信に変わった。
喰骸瘴手は、痕跡を消すだけの術ではない。
死した肉体を喰らい、こちらの肉を補う。
それだけではなかった。
額の奥に、知らない感覚が流れ込む。
魔力を細い筋にして指先へ集める感覚。
火を生む前に、空気の中へ熱の芯を置く感覚。
火弾の基礎。
火壁の初歩。
魔術師が何度も繰り返した訓練の残り香が、吉継の中へ入ってくる。
使える。
そう直感した。
だが、借り物だ。
すぐに自分の技になるわけではない。
この国の魔法を知らぬ自分に、入口だけが開いたのだ。
吉継は深く息を吐いた。
「……まだ、学ぶことが多いな」
そう呟き、土手の陰から戻る。
その時、土手の上で兵が叫んだ。
「一人逃げます! 黒い外套!」
吉継の目が細くなる。
指示役だ。
戦いの中で、声を出さず手だけで野盗たちを動かしていた男。彼だけが、崩れた後も逃げ道を見ていた。
捕らえるべき者。
殺すべき者ではない。
だが、逃がせば次の襲撃が来る。
「フェイ殿」
「任せろ」
フェイが走り出しかける。
「追いすぎるな。枯れ川の上へ出たら、右へ回れ。チヨネ」
チヨネがすぐに頷く。
「影印をつけろ。止めるのはフェイ殿だ」
「ふん」
チヨネの影が地面を走る。
今度は遊びの輪ではない。
細く、速く、黒い外套の男が踏んだ土の端へ印を残していく。
吉継は軍配を握った。
背中の矢が重い。
光に焼かれた傷が、熱を持っている。
それでも、地面へ魔力を流す。
「地脈俯瞰」
足元から、枯れ川の形が浮かぶ。
土手。
乾いた川底。
崩れた足場。
右へ逃げる黒い外套。
その先に、浅いくぼ地がある。
隠れて馬を置くには、ちょうどよい場所だ。
「馬を用意している。フェイ殿、右のくぼ地を塞げ!」
「分かった!」
フェイの返事は短い。
彼女は土手を駆け上がり、蛇矛を低く構えた。
黒い外套の男が、くぼ地へ飛び込む。
そこには馬が一頭つながれていた。
男が手綱を取る。
だが、馬は動かない。
チヨネの影が、手綱の先を地面へ縫い止めていた。
「ふん」
小さな勝ち誇り。
男が短剣を抜いた。
フェイが笑う。
「それで俺を止めるのか」
蛇矛は使わなかった。
フェイは一歩で距離を詰め、男の胸倉を掴む。地面へ叩きつけるのではなく、膝を土へ落とさせた。
「殺すな」
吉継の声が届く。
フェイは舌打ちした。
「分かってる。こいつを吐かせるんだろ」
「ああ」
吉継は歩き出した。
エルネが慌てる。
「歩かないでください。矢が刺さっています」
「もう抜けた。傷も塞がり始めている」
エルネが目を見開いた。
「そんなはずありません。さっきまで、確かに刺さって……」
「俺の術で戻した。完全ではないが、歩ける。理由は、俺にもまだ分かりきっていない」
「回復が早すぎます。人の治り方じゃありません」
「否定はしない」
吉継は少しだけ声を和らげた。
「怖がらせてすまない。だが、今は口を割らせる。ここで逃せば、また誰かが矢を受ける」
「それは後でもできます」
「後では、誰かが殺す。口を閉じさせたい者は、必ず動く」
ミセリアが吉継の隣に立った。
「私が記録する。勝手な処刑は許さない」
その声は静かだった。
だが、周囲の兵たちが背筋を伸ばすだけの重さがあった。
吉継は彼女を見た。
「助かる」
「礼より止血を優先すべき」
「分かっている」
「分かっていない」
短い言葉だった。
だが、ミセリアの声には温度があった。
黒い外套の男は、フェイに押さえられたまま吉継を見上げた。
「病毒持ちが……化け物め」
チヨネの影が揺れる。
吉継は手で制した。
「誰に命じられた。黙れば、命じた者だけが助かるぞ」
男は笑った。
「言うと思うか」
「思わぬ」
吉継は男の外套の留め具を見た。
黒い金具。
そこに、削られた紋が残っている。
完全には消せていない。
二枚の葉を重ねたような紋。
吉継には家名は分からない。
だが、ミセリアの目が変わった。
「ガリア家の下位紋」
その場の空気が冷えた。
バルトロメウス・フォン・ガリア。
守旧派の中心。
ミセリアの政敵。
この襲撃の糸が、そこへ伸びている。
男の顔から笑みが消えた。
吉継は軍配を下げた。
「言葉はいらぬ。紋が喋った。お前より正直だ」
ミセリアは記録板へ淡々と記した。
「証拠保全。捕縛者一名。ガリア家下位紋の留め具確認」
チヨネが吉継の袖を掴んだ。
今度は、命令を待つ手ではない。
止まってほしい手だった。
「ふん……」
吉継は彼女を見る。
そして、ようやく軍配を下ろした。
「終わりだ」
その言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜けかけた。
だが、倒れない。
背中の傷は塞がり始めている。痛みはまだ残るが、意識は保てる。
チヨネが袖を握ったまま離さない。
「ふん……」
吉継は、できるだけ優しくその頭に手を置いた。
「心配をかけた。怒るなら、あとで聞く」
チヨネは首を横に振った。
怒っている。
心配している。
たぶん、その両方だ。
ミセリアが一歩前に出た。
記録板を抱える指は、まだ白い。
「吉継。命令を訂正する」
「何の命令だ」
「貴殿は、自分を最後に置きすぎる。今後は、私の護衛対象に貴殿自身も含める」
吉継は返事に迷った。
ミセリアの声は淡々としている。
だが、それは命令というより、願いに近かった。
「……難しい命だ。俺が一番、守る順を間違える」
「訂正は受け付けない」
吉継は小さく笑った。
「承った」
お読みいただきありがとうございます。
光癒が逆に吉継を傷つける場面、そしてガリア家につながる紋が出てきました。ミセリアの「命令を訂正する」という言葉が、次回の吉継との関係に響いていきます。




