第30話:枯れ川の挟撃
襲撃場所を読んだ吉継は、フェイに偽装本隊を任せ、敵を枯れ川へ誘い込みます。
今回は知略、挟撃、吉継自身の戦闘、そしてミセリアを守る場面を入れた戦闘回です。
枯れ川は、嘘をつくにはよい場所だった。
水はない。
だが、川底だけは深く残っている。両側の土手は人の背より高く、馬で下りれば足を取られる。逃げようとすれば、自然と同じ道へ誘われる。
過去の討伐隊が、ここで崩された理由は分かる。
ここは退く者を殺す地形だ。
だからこそ、吉継はそこを選んだ。
「本当にここで待つのか」
フェイが丈八蛇矛を肩に担ぎ、にやりと笑う。
彼女の背後には、王都から借り受けた兵が二十名ほど並んでいた。多くは正規軍ではない。外縁警備隊、馬房組合から出された荷運び上がりの男、弓を持てるだけの若者も混じっている。
立派な本隊には見えない。
だが、遠目には荷馬車を守る討伐隊に見える。
それで十分だった。
「ああ。貴殿は本隊に見せかけて、ここへ入る。敵が襲ってきても、深追いするな。崩れず、受け止めろ。追えば、相手の川に落ちる」
「受け止めるだけか」
「貴殿ならできる。突っ込むより難しい役だがな」
フェイは一瞬だけ不満そうな顔をした。
だが、すぐに口角を上げる。
「俺を壁にするのが上手くなったな」
「壁であり、槌だ。振る時は合図する。声は使わぬ。俺の軍配に結んだ白布が一度落ちたら、受け止める。二度落ちたら、押し返せ。声を出せば、伏せた兵まで起こす」
「よし。白布を見る」
フェイがそう言うと、兵たちの顔に少し血の気が戻った。
彼女が笑うだけで、周りの恐怖が削れる。
それもまた、一つの武器だった。
吉継は軍配を伏せ、ミセリアのいる荷馬車へ視線を向けた。
ミセリアは護衛の内側に立ち、淡々と記録板を持っている。
「宰相殿がここまで来る必要はない」
「必要はある。今回の討伐は政務院の記録と王家直臣末席の任務に関わる。現地確認が必要」
「危険だ」
「危険は承知。貴殿が危険を承知で動くなら、私も記録する。紙の上だけで戦を見たくない」
表情は変わらない。
だが、言葉は引かない。
吉継は短く息を吐いた。
「ならば、俺の後ろにいろ。記録する目を、矢に渡す気はない」
「合理的」
ミセリアはそう言って、本当に吉継の後ろへ移った。
チヨネがその横で、影に小石を乗せてころころ転がしていた。
遊んでいるように見える。
だが、小石が止まるたび、彼女の目は土手の上へ向く。風の切れ方、人の足音、鳥の逃げ方を見ている。
「チヨネ」
「ふん」
「ミセリア殿を守れ。俺より優先だ。俺を見るな。あの方の影を見る」
チヨネは一瞬だけ、首を横に振りかけた。
吉継は静かに続ける。
「命令だ」
チヨネの肩が小さく震えた。
それから、こくりと頷く。
エルネは荷馬車の内側で、地図と荷札を抱えていた。
「私も一応聞きますけど、戦わなくていいんですよね」
「戦わなくていい。見たものを記録しろ。お前の紙が、後で逃げ道を塞ぐ」
「それならできます」
声は少し硬い。
しかし、逃げる気はない。
吉継は枯れ川の両側を見た。
敵は必ず上から撃つ。
矢。
石。
火の魔法。
こちらが川底で足を止めれば、上から削られる。
だから、フェイの偽装本隊には川底へ入りすぎないよう命じてある。
そして、吉継自身は十名の兵とともに、枯れ川の西側へ回り込んでいた。
こちらが本命だ。
敵がフェイに食いついた瞬間、側面へ出る。
◆
最初の矢は、乾いた音を立てて荷馬車の側板に刺さった。
「来たぞ!」
兵の一人が叫ぶ。
土手の上から、黒い布を巻いた男たちが現れた。
数は三十を超える。
ただの野盗にしては、動きがそろっている。弓を構える者、石を落とす者、火を灯す魔術師。役割が分かれていた。
吉継は声を出さない。
草の陰から、軍配に結んだ白布を一度だけ落とす。
フェイの目が、ちらりとこちらを見た。
フェイは蛇矛を地面へ突き立てた。
赤黒い気力が、彼女の体から湯気のように立ち上る。
「王国の兵ども! 俺の後ろにいろ! 前に出た奴から蹴るぞ!」
乱暴な命令だった。
だが、分かりやすい。
兵たちは迷わず、フェイの後ろへ固まった。
火弾が飛ぶ。
フェイが蛇矛を横に払った。
赤黒い気力が刃にまとわり、火の玉を叩き割る。
爆ぜた火が砂の上へ散った。
「ははっ! 熱いだけか!」
フェイは笑う。
その笑い声だけで、兵たちの背筋が伸びた。
だが、敵は崩れない。
土手の上から矢が続く。
魔術師は二人。
さらに奥に、指示を出す者がいる。
フェイを倒すつもりではない。
足を止め、矢と魔法で削るつもりだ。
吉継は西側の低い草地に伏せ、軍配を握った。
「まだだ」
連れてきた兵が息を呑む。
敵の矢が降るたび、前へ出たがる者がいる。
だが、ここで動けば早い。
敵の弓手が、フェイの正面へ意識を寄せる。
火の魔術師が一歩前へ出る。
指示役が、右手を上げる。
その瞬間だった。
「今だ」
吉継は立ち上がり、軍配を振った。
西側の草むらから、兵たちが一斉に飛び出す。
敵の側面へ。
矢をつがえていた男が、こちらを見て目を見開いた。
「横だ! 横にいるぞ!」
「遅い。こちらはもう横にいる」
吉継は刀を抜いた。
白と青の陣羽織が、乾いた風に揺れる。
最初の敵が短剣を抜く。
吉継は大きく振らない。
踏み込みは一歩。
一足一刀。
相手の腕が伸びきる前に、内側へ入る。
刀の峰が手首を打った。
短剣を握った手が跳ねた。
吉継はそのまま刃を返し、男の喉を斬った。
血が砂へ落ちる。
続く男が斧を振り下ろす。
吉継は半身でかわし、軍配で斧の柄を押した。力で止めない。向きをずらす。
斧は地面へ刺さった。
吉継は軍配を引き、刀を斧の柄へ沿わせた。
刃と柄がこすれ、火花が散る。
斧の力を受け止めるのではない。
流す。
敵の力をそのまま返す。
「返刃一閃」
刀が跳ね上がった。
斧を握った男の胸を、斜めに斬り裂く。
男は声もなく倒れた。
吉継の手に、奇妙な確かさが残る。
今の一太刀は、ただの偶然ではない。
敵の攻撃を受け、流し、返す。
戦場でしか生まれぬ理が、若い肉体へ刻まれた。
吉継の背中に痛みが走った。
一本の矢が、白い陣羽織をかすめたのだ。
浅い。
気にしない。
「前へ出すぎるな! 土手の上を取れ! 下へ降りる敵はフェイ殿に押し返させろ! 勝っている時ほど足を揃えろ!」
軍配が左右に動く。
側面から押された野盗たちは、隊列を失った。
フェイの前で踏みとどまっていた者たちが、後ろを振り返る。
その隙を、フェイが逃さない。
吉継は軍配の白布を二度、低く落とした。
「今だな!」
蛇矛が唸った。
気力解放。
赤黒い気力をまとった一撃が、土手の縁を砕く。
敵の足場が崩れ、三人が川底へ転げ落ちた。
野盗側は大混乱に陥った。
矢が味方の近くへ落ちる。
火弾が土手を焦がす。
怒号と悲鳴が混ざる。
吉継は混乱の中心へ入った。
敵の魔術師がこちらへ杖を向ける。
「火壁!」
赤い炎が地面から立ち上がった。
吉継の進路を塞ぐ。
熱が顔を焼く。
普通なら止まる。
だが、止まれば敵が整う。
吉継は左手の軍配を炎へ向けた。
「腐霧帳」
黒灰色の霧が広がる。
炎は消えない。
だが、形を崩した。
吉継は霧の薄いところを見切り、体を低くして抜ける。
袖の端が焦げた。
肌に熱が刺さる。
構わない。
魔術師の懐へ入る。
刀を逆手に持ち替え、腹を裂いた。
男の息が止まる。
続けて、隣の魔術師へ鞘を投げつける。杖を持つ手が揺れた瞬間、踏み込み、首筋を斬る。
魔術師が倒れた。
「杖を奪え! 魔法を撃たせるな!」
兵たちが動く。
敵の弓手が逃げようとした。
チヨネの影が、足元を縫う。
「ふん!」
影縫い。
弓手の足が止まる。
その時だった。
乱れた敵の一人が、狙いも定まらぬまま矢を放った。
矢は吉継ではなく、後方へ流れた。
荷馬車のそば。
ミセリアの立つ場所へ。
チヨネが振り向く。
間に合わない。
吉継は考えるより先に走った。
足が地面を蹴る。
炎を抜けた時の痛みが背に残っている。
それでも、届く。
「ミセリア殿!」
ミセリアが顔を上げた。
矢が迫る。
吉継は彼女の前に出た。
背中に、鈍い衝撃。
矢が刺さった。
白と青の陣羽織が、赤く濡れる。
ミセリアの目が、わずかに開いた。
「吉継」
声が揺れた。
チヨネが駆け寄る。
「ふん……!」
泣きそうな音だった。
吉継は膝をつかない。
矢が浅くないことは分かる。
息を吸えば、背中が軋む。
だが、今ここで止まれば、勝機を逃す。
「チヨネ。俺の顔を見るな」
「ふん」
「ミセリア殿の前に立て。俺を見るな。敵を見ろ。俺はまだ倒れぬ」
チヨネの顔が歪む。
それでも、彼女は頷いた。
ミセリアが手を伸ばしかける。
「治療を」
「後だ。今止まれば、矢一本より多く死ぬ」
「矢が刺さっている」
「見れば分かる。だから今は、見なかったことにする」
吉継は軍配を握り直した。
指先に血がつく。
だが、軍配は落とさない。
「フェイ殿! 右を割れ! 敵の逃げ道を枯れ川へ落とせ!」
「お前、刺さってるぞ!」
「聞こえなかったか。俺の背中より敵を見ろ」
フェイが歯を食いしばる。
「分かった!」
蛇矛が振るわれる。
土手がさらに崩れ、逃げようとした敵が川底へ落ちる。
「弓手を下へ追え! 魔術師を残すな! 殺すより先に杖を落とせ!」
吉継の声は静かだった。
だが、枯れ川全体に届いた。
背中の痛みが、熱に変わる。
病毒が傷口へ集まってくる感覚があった。
矢を押し出すのではない。
肉が黒く締まり、血を止めようとしている。
気味の悪い回復。
だが、今はありがたい。
吉継は軍配を振る。
西の兵が前へ出る。
フェイが正面を割る。
チヨネがミセリアの前で影を構える。
野盗たちは、ついに逃げる向きを失った。
枯れ川は、もはや吉継たちを殺す地形ではない。
敵を閉じ込める陣になった。
ミセリアは、血に濡れた吉継の背を見ていた。
表情はほとんど変わらない。
だが、記録板を握る指だけが、白くなっている。
「なぜ」
小さな声だった。
吉継は振り返らない。
「守ると決めた。矢一本で変えるほど、軽い決め方はしていない」
それだけ言って、軍配をもう一度振った。
敵の悲鳴が、枯れた川底に落ちていく。
勝機は、今ここにある。
ならば、背中の矢一本で止まる理由など、どこにもなかった。
お読みいただきありがとうございます。
フェイを壁に、吉継が側面を取り、枯れ川の罠を逆に敵の檻へ変える回でした。矢を受けても軍配を振る吉継に、ミセリアとチヨネの心も大きく揺れ始めます。




