第29話:奥扉の火種
馬房の奥に続く扉。その先にあったのは、野盗へ流れる物資と、証拠を燃やすための火の仕掛けでした。
今回は吉継たちが王都内の補給線へ踏み込みます。
馬房の奥に、扉があった。
表から見れば、ただの物置に見える。古い鞍、割れた桶、使い古した馬具が積まれ、埃をかぶっている。
だが、チヨネの影印は、その扉の下へ続いていた。
灰の中に残る細い影。
それは、まだ消えていない。
「開けるか?」
フェイが拳を鳴らす。
馬房番は床に膝をついたまま、顔を青くしていた。先ほど短剣を落とした男も、チヨネの影に手首を縛られ、動けない。
吉継は扉を見た。
すぐには近づかない。
扉の前の埃が、少しだけ不自然に薄い。何度も人が通った跡だ。だが、取っ手の周りだけは汚れている。
取っ手を使っていない。
なら、別の開け方がある。
「フェイ殿。扉の正面には立つな」
「罠か」
「そのつもりで見る。罠ではないと決めるのは、罠を探した後だ」
フェイは不満そうにしながらも、横へずれた。
チヨネが吉継の袖を軽く引く。
彼女は床に落ちていた釘を拾い、影の小さな輪に通して、ころりと転がした。釘は扉の下の隙間へ近づき、ぴたりと止まる。
次の瞬間、釘の先が赤く焼けた。
「ふん!」
チヨネが少し得意げに胸を張る。
吉継は彼女の頭へ手を置いた。
「よく見つけた」
「ふんふん」
「扉の下に火の仕掛けがあるのね。嫌なことをするわ」
エルネが声を低くした。
「開けたら燃える?」
「燃やしたい物が奥にある。人を焼く罠ではなく、証拠を焼く罠だ」
吉継は短く答えた。
火は、人を殺すためだけに置かれたものではない。証拠を消すための火もある。
ここで扉を乱暴に開ければ、奥に隠した紙や荷札が焼かれる。
「フェイ殿」
「今度こそ殴るか」
「違う。馬房の入口を押さえろ。誰も外へ出すな」
「……また待てか」
「敵に悟られるのを防ぐためだ。奥の者を逃がせば、こちらが何を見つけたか知られる。逃げないように押さえてほしい。貴殿の我慢が、ここでは一番強い」
フェイは腕を組み、少しだけ考えた。
「分かった。俺は門だな」
「頼む」
「よし。門になる」
フェイは馬房の入口へ戻り、仁王立ちになった。
それだけで、外にいた野次馬が一歩下がる。
エルネは照会書を胸に抱え直した。
「私は?」
「俺の後ろ。見つけた紙を読む。戦わなくていい。貴殿の仕事は、刃ではなく文字だ」
「その言い方は助かります」
エルネは深く息を吸った。
怖いのだろう。
それでも逃げない。
だが、エルネばかりに読ませるのも限界がある。
そろそろ俺も、この国の言葉を学ぶべきだな。
吉継は軍配の先で、扉の下を指した。
「チヨネ。火の仕掛けを外せるか」
チヨネは首をかしげ、少しだけ考える。
それから、影を細く伸ばした。
黒い糸のような影が、扉の下の隙間へ入る。火の魔力に触れたのか、影の端がじり、と焦げた。
チヨネの肩が震える。
「無理はするな。火より先に、お前の手を守れ」
「ふん」
大丈夫、と言っている。
影は仕掛けそのものを壊さなかった。代わりに、火が走るはずの油の筋を、床の埃と混ぜて固めていく。
燃える道を、途中で詰まらせる。
吉継はその動きを見て頷いた。
「開ける」
扉は、取っ手ではなく、横の壁板を押すと動いた。
低い音を立てて、奥へずれる。
直後、赤い火花が扉の下を走った。
だが、途中で止まる。
チヨネの影が、燃える道をふさいでいた。
「ふんっ」
今度の鼻鳴らしは、少し誇らしげだった。
奥には、細い通路があった。
人が一人、かがんで通れる程度の幅しかない。壁は土で固められ、ところどころに木の板が打ち込まれている。
王都の外縁にある古い水抜き道だ。
だが、水は流れていない。
代わりに、木箱が並んでいた。
干し豆。
薬箱。
包帯。
古い矢束。
そして、いくつもの荷札。
「これ……」
エルネが一枚を拾い上げる。
顔色が変わった。
「灰羽の印です」
「灰羽」
吉継はその名を繰り返す。
灰橋の市を荒らした者たち。
チヨネを狙い、エルネを巻き込み、何度もこちらへ手を伸ばしてきた影。
あの名が、王都の補給線にも出てきた。
偶然ではない。
「灰羽が野盗へ物資を流しているのか」
「それだけなら、まだ分かりやすいです」
エルネは荷札を裏返した。
「でも、この印は灰羽だけじゃありません。ここ、薄く別の封蝋跡があります」
「読めるか」
「家名までは無理です。ただ、貴族家で使う型。商人の印じゃない」
吉継は荷札を見た。
灰羽。
貴族家の封蝋。
神殿の施療薬。
馬房組合。
糸が増えた。
だが、糸が増えた時こそ、強く引いてはならない。
どれが本命で、どれが囮か。
見極める前に斬れば、逃げられる。
「持ち出せる紙だけ取る。重い箱は動かすな」
「全部押収しないの?」
エルネが聞く。
「全部動かすのは時間がかかりすぎる。敵に勘づかれる前に、持てる物だけ回収する。欲張れば、こちらの足跡が残る」
「なるほど。盗んだことを気づかせないわけですね」
「ああ」
チヨネが荷札を一枚、影で持ち上げる。
ひらひらと揺れた紙を見て、彼女は少し楽しそうに目を細めた。
「ふん」
「遊ぶのは後だ」
吉継が言うと、チヨネはこくりと頷いた。
だが、荷札を渡す時だけ、ほんの少し胸を張る。
褒めてほしいらしい。
「助かる」
それだけで、チヨネは満足したように影を引いた。
その時、通路の奥から足音がした。
一人ではない。
二人。
いや、三人。
エルネの顔が強張る。
吉継はすぐに指示を出した。
「エルネは下がれ。チヨネ、エルネを守れ。フェイ殿は入口を離れるな」
奥の暗がりに、赤い光が灯った。
「火弾!」
異世界の言葉とともに、火の玉が通路を走る。
狭い。
避ける場所はない。
吉継は軍配を前へ出した。
「腐霧帳」
黒灰色の霧が広がり、火の玉を包む。
完全には消えない。
火は霧を焼き、熱が頬を撫でた。
だが、勢いは落ちた。
吉継は身を低くし、残った火の下へ踏み込む。
狭い通路では、大きな剣は振れない。
だから、刀は短く使う。
前世で学んだ理は、ここでも変わらない。
一足一刀。
相手の攻撃が届く前に、こちらの間合いへ入る。
火を放った男が、杖を引こうとした。
遅い。
吉継の鞘が、男の手首を打った。
骨を砕くほどではない。
だが、杖を落とすには十分だった。
「ぐっ」
二人目が短剣を抜く。
チヨネの影が、足元の板を軽く引いた。
男の膝が崩れる。
「ふん」
動くな、という短い音。
三人目は奥へ逃げようとした。
吉継は追わない。
軍配を床へ向ける。
地脈俯瞰。
足元へ魔力を流す。
土の中を、細い道が奥へ伸びている。逃げる男の足音が、土を伝ってくる。
行き先は二つ。
右へ折れれば、外の水路。
左へ折れれば、馬房の入口側。
吉継は声を張った。
「フェイ殿、そちらへ出る」
「待ってた!」
馬房の外から、嬉しそうな声が返る。
すぐに、どん、と重い音がした。
殴った音ではない。
フェイが逃げ道の前に足を置いた音だ。
「行き止まりだ。戻るか、俺を抜くか選べ」
短い悲鳴が聞こえた。
少しして、フェイが片手で逃げた男の襟を掴み、通路の入口まで引きずってきた。
「抜けなかったらしい」
「当然だ」
吉継は息を整えた。
腐霧帳を使ったせいで、胸の奥が熱い。
病毒が、肺の内側を舐めるように痛む。
だが、倒れるほどではない。
チヨネが心配そうに袖を引いた。
「大丈夫だ。まだ立てる」
「ふん……」
納得していない音だった。
エルネが荷札を抱えたまま言う。
「大丈夫じゃない時も、そう言いそうです。だから信用が薄い。本当に」
「今は立っている」
「それは大丈夫の説明になっていません」
フェイが笑った。
「言われてるぞ、吉継」
「後で聞く。今ここで説教されると、敵より先に俺が止まる」
「後で逃げないでくださいね」
エルネの声は震えていた。
だが、言葉は強い。
吉継は小さく頷いた。
「分かった」
エルネは、そこでようやく息を吐いた。
通路の奥に残っていた箱から、さらに一枚の紙が見つかった。
それは、荷札ではない。
短い命令書だった。
文字を見たエルネの手が止まる。
「読め」
吉継が言う。
エルネは一度だけ唾を呑み、声に出した。
「白頭巾を荒野へ入れるな。失敗した場合、枯れ川で処理せよ」
馬房の中が静かになった。
フェイの笑みが消える。
チヨネの影が、床の上で細く震えた。
吉継は命令書を受け取り、封蝋跡を見る。
灰羽の印ではない。
別の印だ。
貴族の型。
名は、まだ読めない。
だが、敵はただの野盗ではない。
吉継を嘆きの野へ入れる前に止めたい者がいる。
そして、止められなければ、枯れ川で殺すつもりだった。
「よい」
吉継は静かに言った。
「こちらも予定を変える。敵の待つ場所を、こちらの戦場に作り替える」
フェイが拳を鳴らす。
「やっと殴るか」
「まだだ」
「まだか!」
「次は、敵が待つ場所へ、こちらから選んで入る」
エルネが顔を上げる。
「危険では?」
「危険だ。だから、準備してから行く。危険な場所へ何も持たずに入るほど、俺は優しくない」
吉継は命令書を懐へ入れた。
守るべき者がいる。
ならば、敵の待つ罠でさえ、こちらの陣に変える。
嘆きの野へ出る前に、王都の中で一つ分かった。
敵は、こちらを見ている。
だが、こちらも敵を見ている。
そして今、敵は焦り始めた。
お読みいただきありがとうございます。
灰羽の印、貴族家の封蝋跡、そして「白頭巾を荒野へ入れるな」という命令。嘆きの野へ向かう前に、敵の正体が少しずつ見え始めました。




