第26話:白羽の野盗討伐
王家直臣末席として仮登録された吉継。
だが、その立場を試すように、難題の野盗討伐任務が押しつけられる。
王家直臣末席。
仮登録とはいえ、その名は翌朝には政務院の廊下を走っていた。
白頭巾の病毒持ちが、王国将軍フェイ・チャンを御前試合で下した。
ミセリア・イシダが、その男を王家直臣の末席へ入れた。
噂は人の口を渡るたび、形を変えた。
病毒で将軍を呪い倒した。
影使いの少女を操っていた。
宰相が異端を私兵にした。
どれも事実ではない。
だが、事実よりも噂の方が足は速い。
臨時記録室の窓際で、チヨネは外を見ていた。影を広げるのではなく、窓枠に小さな指をかけ、廊下を通る者の足音と視線を数えている。
エルネは机の上で、昨日の記録を整理していた。
「噂、広がっています。廊下の端まで、もう白頭巾の話です」
「だろうな」
吉継は右腕の包帯を巻き直していた。
光を使わない薬師は、まだ来ていない。病刃封脈の反動は残り、手首から肘にかけて鈍い熱が沈んでいる。
それでも、指は動く。
刀も握れる。
ならば、まだ戦える。
扉が叩かれた。
チヨネが窓から離れ、扉の横へ移る。片手は吉継の袖に届く距離、もう片方はエルネの文書袋へ届く距離だ。
「入って」
ミセリアの声がした。
入ってきたのは、ミセリア本人ではなかった。
濃い緑の礼服を着た文官。
バルトロメウス・フォン・ガリアの使者だ。
その後ろに、光神教の白い法衣を着た男が一人。神殿側の立会人だろう。
使者は丁寧に一礼した。
「大谷吉継殿。王家直臣末席への仮登録、誠におめでとうございます」
「用件を。祝辞だけで来た顔ではない」
吉継は祝辞を受け取らなかった。
使者の笑みが、わずかに固まる。
「早速、王国への忠義を示していただきたく参りました。末席とはいえ、名を得た以上は働いていただきませんと」
エルネが小さく息を吸った。
チヨネは扉の隙間から廊下を一度見た。
背後に兵はいない。
だが、紙はある。
使者は巻かれた命令書を机に置いた。
「嘆きの野に巣食う野盗団の壊滅です」
室内の空気が変わった。
エルネの顔色が悪くなる。
「嘆きの野……」
「知っているのか」
「王都の北東にある荒地です。交易路に近く、最近、野盗被害が増えています。何度も討伐隊が出ていますが、全部失敗しています」
光神教の男が重々しく頷いた。
「巡礼者も襲われています。神殿としても看過できません」
使者は穏やかな声で続ける。
「そこで、御前試合で見事な知略を示した大谷殿に、討伐の任をお願いしたい」
お願い。
その言葉の裏に、罠の匂いがあった。
断れば、王家直臣末席に相応しくないと言われる。
受けて失敗すれば、やはり病毒持ちは役に立たぬと切られる。
成功しても、神殿と守旧派は吉継を危険視するだろう。
どの道にも棘がある。
吉継は命令書を開いた。
文字は読めない。
エルネがすぐ横へ来る。
「読みます」
「頼む」
エルネは紙面を追い、声を低くした。
「王家直臣末席、大谷吉継に対し、嘆きの野における野盗団の壊滅を命じる。兵は現地警備隊より必要数を借り受けること。ただし、政務院本隊および王都正規軍の大規模出動は認めない……」
「つまり、少数で行けということか。失敗すれば、名ごと折れる」
「はい。しかも期限があります。七日以内に成果を示せ、と」
使者は微笑む。
「末席とはいえ王家直臣。民を守る務めは当然でしょう」
ミセリアが現れたのは、その直後だった。
彼女は扉の前で一度だけ使者を見た。
「この命令、誰の発案」
「軍務局と神殿からの要望を、ガリア公爵家が取りまとめました」
「早い」
「民の被害が出ておりますので」
ミセリアは命令書を受け取り、目を走らせた。
表情は変わらない。
だが、書類の端を持つ指がわずかに強くなった。
「大谷吉継を失敗させるには、都合の良い任務。よく磨かれた罠」
使者の笑みが消えた。
「宰相閣下、それはあまりに」
「事実確認。過去三度の討伐失敗。被害拡大。兵の貸与制限。七日以内の成果要求。難度は高い」
光神教の男が口を挟む。
「しかし、神殿としても困っております。巡礼者が襲われ、施療薬も奪われました。病毒持ちへの懸念はありますが、民を守る任であれば反対はいたしません」
反対しない。
つまり、失敗しても構わない。
神殿もまた、困り事を吉継へ押しつけることで、損の少ない位置に立っている。
チヨネが吉継の袖をつまむ。
ふん……。
嫌な予感。
「分かっている」
吉継は小さく答えた。
そして、使者へ向き直る。
「受けよう。民を餌にした罠なら、なおさら放っておけぬ」
エルネが振り向く。
「即答ですか」
「断れば、末席の名が腐る」
ミセリアが吉継を見る。
「勝算は。無茶を受けた、だけでは記録に困る」
「まだない。だが、負けた理由なら拾える」
使者の口角が上がる。
吉継は続けた。
「だが、討伐隊が三度負けた理由はある。そこを見ずに兵を送れば、四度目も負ける」
ミセリアの目がわずかに細くなる。
「分析を」
吉継はエルネへ視線を向けた。
「過去の討伐記録はあるか」
ミセリアが即答する。
「ある。政務院と軍務局に別々の報告書」
「両方を見る」
「理由」
「同じ戦で、文官と武官は違うものを見る。被害額、補給、退却理由、兵の数、地形、天候。片方だけ見れば、敵の半分を見落とす」
エルネが頷く。
「神殿側の被害記録も必要です。巡礼者や施療薬の奪取場所が分かれば、野盗の動線が見えます」
吉継は光神教の男を見る。
「出せるか」
男は一瞬ためらった。
ミセリアが淡々と言う。
「神殿も任務に同意した。必要記録の提供を拒めば、協力不備として残る」
「……用意します」
吉継は命令書を机へ置いた。
「討伐とは、敵を斬ることではない。敵が勝っている理由を壊すことだ。理由が残れば、別の首がまた生える」
使者は笑みを戻した。
「大変頼もしい。では、七日後の成果を楽しみにしております」
「七日も要らぬ。相手がこちらを急がせたいなら、こちらは先に相手を急がせる」
室内が静まった。
エルネが目を見開く。
チヨネも、今度は袖を引かずに吉継の顔を見た。
「三日で見取り図を作る。五日で動きを止める。七日目には、壊滅したという報告を出す」
使者の笑みが、また固まった。
ミセリアが短く問う。
「根拠は」
「野盗が本当に野盗だけなら、三度も討伐隊を破れぬ」
吉継は命令書を指で押さえた。
「誰かが情報を流している。討伐隊の出発、兵数、補給路、退却路。野盗はそれを知っていた。そうでなければ、毎回都合よく勝てるはずがない」
エルネが息を呑む。
「内通者」
「あるいは、野盗に見せかけた別の者」
ミセリアは書き板へ記した。
「仮説。内通者、または偽装野盗」
吉継は続ける。
「兵を集める前に、記録を集める。次に、噂を流す」
「噂?」
使者が問い返す。
吉継は静かな声で答えた。
「俺が嘆きの野へ向かう、と」
エルネの表情が変わる。
「それ、相手に知らせるのですか」
「知らせる。こちらが見たいのは野盗だけではない。その知らせを聞いて、誰が慌てるかだ」
ミセリアの筆が止まった。
「囮になるつもり」
「俺の名はもう悪目立ちしている。なら使う」
チヨネが無言で吉継の前に半歩出た。
ぷるぷる。
断固反対。
「置いていかぬ」
吉継は先に言った。
チヨネの動きが止まる。
「お前には、俺ではなく、噂を聞いて動く影を見てほしい。俺の背より、敵の尻尾を見ろ」
ふん……?
役目があるのか、と問う音。
「ある。最も危うい役だ」
チヨネは一瞬だけ目を丸くし、それから胸を張った。
全力ふんふん。
今度はやる気だ。
エルネが乾いた笑いを漏らす。
「扱いが上手くなっていますね」
「まだ叱られる方が多い」
「でしょうね」
ミセリアは命令書へ政務院印を重ねた。
「任務受諾を記録。大谷吉継は、嘆きの野の野盗壊滅任務を受ける。必要記録を政務院、軍務局、神殿へ請求。監督は私」
使者は一礼する。
「良い報告を期待しております」
「期待ではなく、記録を待て」
吉継の返答に、使者は一瞬だけ目を細めた。
そして去っていく。
光神教の男も続いた。
扉が閉まる。
エルネは椅子に座り込んだ。
「また、とんでもないことになりました」
「なったのではない。された」
ミセリアが訂正する。
「ですが、吉継は受けた。なら勝つ必要がある」
「勝つ」
吉継は外を見た。
王都の空は、昼前の光で白くなっている。
嘆きの野。
三度の討伐失敗。
野盗。
内通者。
そして、吉継を末席から落としたい者たち。
盤面は見え始めた。
「まずは記録だ。刀を抜く前に、敵が勝った道を紙の上で潰す」
吉継は軍配を手に取った。
「『呉子』には、将に必要な才として、理、備、果、戒、約があると説く。兵を整え、外へ出る前から敵を見るように備え、勝った後でさえ初陣のように戒める。刀を抜くのは、その後だ」
そのころ、ガリア公爵家の馬車の中で、使者は小さく笑っていた。
「三日で見取り図、七日で壊滅か」
向かいの従者が尋ねる。
「成功すると思われますか。それとも、失敗しても別の利があると?」
「しても困る。失敗しても困らない」
使者は窓の外を見た。
「だが、嘆きの野には我々の手も少しだけ混じっている。白頭巾がどこまで嗅ぎつけるか、見ものだな」
馬車は、王都の喧騒へ紛れていった。
吉継の初任務は、ただの野盗討伐ではなかった。
王都の悪意が、荒野の名を借りて彼を待っていた。
今回は、吉継の初任務として嘆きの野の野盗討伐が命じられる回でした。
ただの討伐ではなく、失敗させるための罠。吉継はまず、なぜ過去の討伐隊が負け続けたのかを読むところから始めます。




