第25話:末席の白頭巾
御前試合には勝利した。
しかし、病毒を使った勝利を認めない者たちが、すぐに横槍を入れてくる。
外庭の空気は、一瞬で冷えた。
フェイ・チャンが敗北を認めた直後だった。
バルトロメウス・フォン・ガリアの使者が、笑みを貼りつけたまま一歩前へ出る。
「見事な試合でした。ですが、病毒による手首への干渉を武勇と呼べるかは、慎重に議論すべきかと」
周囲の文官たちがざわめく。
病毒。
その言葉だけで、外庭にいた者たちの視線が吉継へ集まった。
吉継は刀を納めたまま、静かに立っていた。
右腕の内側が熱い。
病刃封脈の反動が、包帯の下で脈打っている。
だが、顔には出さない。
ここで痛みを見せれば、病毒は危険だという印象だけが残る。
フェイが眉を吊り上げた。
「おい。俺が負けたと言ったんだ。何が不満だ」
「将軍の潔さには敬意を表します」
使者は丁寧に頭を下げる。
だが、その声に敬意はない。
「しかし、王家直臣となる者には、ただ勝てばよいというものではありません。正々堂々たる武勇、王国の騎士たる品位、そして民に示せる清廉さが求められます」
「長い。つまり、俺が気に入らぬという話だろう」
フェイが即座に言った。
使者の口元がひくりと動く。
「要するに、病毒持ちを王家に入れるなと言いたいのだろう」
吉継が静かに言う。
使者は笑みを深めた。
「そこまでは申しません。ただ、疑念は晴らすべきです」
ミセリアが一歩前へ出た。
外庭のざわめきが少し沈む。
彼女は感情を見せない。
だが、その無表情が、かえって周囲を黙らせた。
「試合条件を確認する」
短い声。
書記官が慌てて記録板を開く。
「殺害禁止。建物破壊禁止。対戦者の無力化、または敗北申告により終了」
ミセリアは使者を見る。
「条件は満たした。フェイは敗北を申告した。記録上、吉継の勝利」
「ですが、病毒による干渉は」
「禁止されていない」
即答だった。
使者は言葉に詰まる。
ミセリアは続ける。
「フェイは気力解放を使用した。吉継は病毒魔法を一点使用した。双方が固有の力を使った。条件違反はない」
「しかし民の感情が」
「民は今ここにいない。ここにいるのは立会人、軍務局、政務院、王宮侍従。記録に基づいて判断する」
エルネが文書袋を抱え直した。
その目が、少しだけ強くなる。
「記録者として補足します。フェイ将軍は、実戦なら喉を斬られていたと明言しました。敗北申告は自発的なものです」
使者がエルネを睨む。
「代書屋風情が」
チヨネが音もなく移動した。
今度は影を見せない。
エルネの半歩前に立ち、じっと使者の手元を見ている。
何かを投げるか。
書類を奪うか。
そのどちらにも反応できる位置だった。
吉継はそれを横目で見て、小さく頷いた。
よい判断だ。
「その代書屋が記録を守っている。ここで声を荒げる者より、よほど仕事をしている」
吉継は言った。
「身分で紙の内容は変わらぬ。嘘は貴族が書いても嘘だ」
使者の頬がこわばる。
ミセリアは淡々と書記官へ命じた。
「今の発言も記録」
「は、はい」
「代書屋風情、という発言は、記録者への侮辱。外記二七四の手続き妨害に該当する可能性あり」
使者の笑みが消えた。
記録に残る。
この場では、それが一番効く。
フェイは蛇矛を肩に担ぎ、豪快に笑った。
「ははっ、紙って怖いな! 俺の矛より後から効きそうだ!」
ミセリアは彼女を見た。
「フェイ。追加証言を」
「おう。俺は全力でやった。気力も使った。こいつは逃げて、潜って、俺の手を殺した。実戦なら負けだ」
「手を殺した、は比喩か。記録にそのまま残すと、後で面倒になる」
「しびれさせたって意味だ!」
「記録修正。右手首の一時麻痺」
書記官が忙しく羽根ペンを走らせる。
吉継は、フェイを見た。
「助かる」
「事実を言っただけだ。負けを曲げる方が恥だろ」
その言葉に、周囲の兵士たちが頷いた。
フェイは王国の猛将だ。
彼女が負けを認めたなら、その重みは文官の横槍より大きい。
使者は周囲を見回し、形勢が悪いと悟ったらしい。
だが、退くには早かった。
「それでも、王家直臣に病毒持ちを加えることは、神殿との関係を損ないます」
「損なう可能性はある。だが、恐れて証人を捨てる理由にはならない」
ミセリアは認めた。
認めたうえで、言葉を続ける。
「だが、神殿との関係を理由に、王国が有用な戦力と証人を捨てる方が損失は大きい」
使者の目が細くなる。
「証人」
「吉継は灰羽との接触、神殿印に近い札、外縁門での光検査反応、すべての当事者。保護しなければ、証言ごと消える」
吉継は、ミセリアの横顔を見た。
守るという言葉はない。
だが、彼女は吉継を証人として位置づけた。
必要だから守る。
その冷たい理屈は、今この場では最も強い盾だった。
「王家直臣末席への登録は、正式任命ではなく仮登録とする」
ミセリアは宣言した。
「期間は外記二七四の調査完了まで。職務は政務院協力者および臨時護衛。行動制限は政務院管理。これならば、神殿への説明も可能」
エルネが小声で呟く。
「逃げ道を塞ぎながら、通す道を作ってる……宰相閣下、紙で橋を架けてますね」
吉継も同じことを思っていた。
ミセリアは、相手の退路を全部潰さない。
ひとつだけ残す。
相手がそこへ退くしかない形を作る。
使者はしばらく黙っていた。
やがて、浅く頭を下げる。
「ガリア公爵家としては、懸念を記録に残していただきたい」
「残す」
「では、本日はこれにて」
使者は踵を返した。
その背中が外庭を出ていくまで、チヨネはエルネの前から動かなかった。
フェイが感心したように言う。
「影のちび、いい位置に立つな」
チヨネはちらりとフェイを見た。
ふん。
少しだけ得意げだった。
「褒めている」
吉継が訳すと、フェイは笑った。
「分かるぞ。今のふんは偉そうだった」
チヨネは目を丸くする。
それから、ほんの少しだけ胸を張った。
ミセリアは書記官へ向き直る。
「記録。大谷吉継を王家直臣末席として仮登録。期間、外記二七四の調査完了まで。監督者、ミセリア・イシダ」
赤い印が押される。
外庭に、小さな音が響いた。
吉継はその音を聞いた。
紙の上で、身分が変わる。
奇妙な感覚だった。
戦国の世では、名乗りと主従は血と土地と戦で結ばれた。
この世界では、紙と印がそれを作る。
だが、意味は同じだ。
仕える。
支える。
守るための場所を得る。
吉継はミセリアへ向き直った。
「これで、貴殿を支える名分はできた」
「仮登録。過信は禁物」
「承知している」
「ならよい」
ミセリアは一瞬だけ、吉継の右腕を見た。
「治療を受けて。協力者が倒れると困る。……それだけではない」
「光は使えぬ」
「知っている。光を使わない薬師を手配する」
吉継は少しだけ驚いた。
彼女は視線を逸らす。
「協力者が倒れると、業務に支障が出る」
エルネが小声で言う。
「それ、心配していると言えばいいのに」
「心配は非効率な表現ではないのか」
「いえ、むしろ効率的です」
ミセリアは数秒考えた。
「検討する。心配、という語は使い道が多そう」
フェイが腹を抱えて笑った。
「お前ら面白いな! よし、白頭巾。今度は酒だ!」
「飲めぬ」
「つまらん!」
即答だった。
チヨネが無言で吉継の袖を掴む。
酒は駄目、と言っている。
「分かっている」
吉継は頷いた。
外庭の空気が少し緩む。
だが、その緩みは長く続かない。
◇
政務院別棟を出た使者は、馬車に乗り込むなり笑みを消した。
「仮登録、か」
書き留めた記録を開く。
病毒持ち。
王家直臣末席。
ミセリア監督。
フェイ・チャン敗北。
使者は紙の端を指で叩いた。
「公爵閣下はお怒りになるだろうな」
向かいに座る従者が尋ねる。
「次はどうなさいますか」
「神殿だ」
使者は冷たく言った。
「王家が病毒持ちを抱えるなら、光の側から異議を唱えさせる」
馬車が動き出す。
王都の石畳を、車輪が硬く叩いた。
吉継が得た末席の名は、盾になった。
だが同時に、神殿を正面から呼び込む鐘にもなっていた。
吉継は王家直臣末席として仮登録されました。
ミセリアの論理、フェイの器量、エルネの記録、チヨネの守りがそれぞれ噛み合う回です。ただし、次は神殿側が動きます。




