第24話:蛇矛を越える一歩
王国将軍フェイ・チャンとの御前試合が始まる。
魔法を砕く気力戦士を相手に、吉継は正面からではなく、兵法で勝ち筋を探す。
蛇矛が、朝の空気を裂いた。
速い。
長い。
そして、重い。
フェイ・チャンの踏み込みは、ただ前へ出るだけで地面を鳴らした。丈八蛇矛の刃は蛇のようにうねり、受ける位置を一瞬ごとに変えてくる。
吉継は受けなかった。
半歩、横へ。
刃先が白頭巾の布をかすめる。
風圧だけで頬の布が震えた。
「逃げ足がいいな、白頭巾!」
フェイが笑う。
その笑い声だけで、外庭を囲む兵たちの背筋が伸びた。恐れではない。あの声があれば勝てる、と体が知っている者たちの反応だった。
吉継は刀を抜かない。
まだだ。
蛇矛の間合いは長い。こちらの刀で届く場所まで入るには、刃の死角を作らねばならない。
フェイが二撃目を放つ。
横薙ぎ。
ただし刃が波打っているため、軌道が読みづらい。見た目より内へ食い込む。
吉継は軍配を前に出し、薄い瘴気を一瞬だけ広げた。
腐霧帳。
黒灰の霧が、蛇矛の刃先を包む。
だが次の瞬間、赤黒い気配が矛を覆った。
「気力解放!」
フェイの声が響く。
蛇矛が霧ごと、吉継の瘴気を叩き割った。
魔法が砕ける。
霧が裂け、瘴気の残滓が地面へ落ちる。
吉継の喉に血の味が上がった。
魔法障壁を壊す力。
なるほど、これは魔術師の天敵だ。
「小細工は嫌いじゃないぞ! でも俺には効かん!」
「そのようだ。正面から砕く相手ではないな」
吉継は静かに答えた。
外庭の端で、チヨネが両手で袖を握っている。
飛び出したい。
だが出てはならない。
吉継が事前に言い含めたため、彼女は小さな体を震わせながら耐えていた。影は地面に薄く伏せ、いつでも動ける形で、しかし試合の線を越えない。
エルネは文書袋を胸に抱え、青ざめた顔で呟く。
「まともに受けたら、本当に終わりますよ……冗談抜きで、書類を書く相手が死にます」
ミセリアは何も言わない。
ただ、吉継の足とフェイの矛先を見ている。
吉継は三撃目を避けた。
今度は下からの払い上げ。
フェイの右足が、必ず先に出る。
一撃目も、二撃目も、三撃目も。
前世で知る張飛も、怒れば真っ直ぐに出る男だった。策を嫌い、力で道を開く。だからこそ恐ろしく、だからこそ癖も大きい。
だが、目の前にいるのは張飛ではない。
フェイ・チャンだ。
前世の記憶はない。
魂の癖だけが、肉体の奥に残っている。
「どうした! 斬らないのか!」
フェイが踏み込む。
右足。
大振り。
刃が頭上から落ちる。
吉継は後ろへ下がらなかった。
前へ。
周囲が息を呑む。
蛇矛は長い。だが、長い武器には内側がある。刃が最大の力を持つ位置を越え、柄の根元へ入り込めば、矛は一瞬だけ重い棒になる。
一足一刀。
吉継は、フェイの右足が地を噛んだ瞬間、その内側へ入った。
だが、フェイは笑った。
「来ると思った!」
膝が跳ねる。
矛を捨てず、柄を短く持ち替え、肘で打ち込んでくる。
反応が速い。
ただの脳筋ではない。
戦場で生きてきた体だ。
吉継は肩で受けず、身を沈めた。肘が頭上をかすめる。左手の指先に病毒魔力を集める。
病刃封脈。
狙うのは命ではない。
手首。
蛇矛を握る右手の腱。
指先が、フェイの手首へ触れた。
黒い熱が一点だけ流れる。
「っ、お?」
フェイの右手が一瞬しびれた。
蛇矛の柄が、わずかに下がる。
その一瞬で十分だった。
吉継は刀を抜いた。
刃を首に当てない。
胸にも腹にも入れない。
フェイの喉元から指二本分前で、刀を止める。
同時に、軍配をフェイの右手首へ添えた。
「ここまでだ」
外庭が静まり返った。
フェイは目を丸くしていた。
それから、喉の奥で笑い始めた。
「は」
笑いは大きくなる。
「はははははっ!」
彼女は蛇矛を地面に突き立て、左手で右手首をぶんぶん振った。
「しびれてる! 何だ今の! お前、力で来ないと思ったら、俺の手だけ殺しに来たな!」
「殺してはいない。勝つために、動かぬ場所を選んだだけだ」
「分かってる! だから面白い!」
フェイは腹を抱えて笑った。
周囲の兵たちは、呆然としている。
王国の猛将が、刀を喉元に置かれた。
それは事実だ。
だが、フェイ自身が負けを笑っているため、誰も声を荒げられない。
ミセリアが一歩前へ出た。
「フェイ。判定を」
「俺の負けだ!」
あっさり言った。
軍務局の将校が慌てる。
「し、しかし将軍、まだ続行は可能では」
「馬鹿か。実戦なら今ので喉を斬られて終わりだ」
フェイはその将校を一喝し、吉継へ向き直った。
「白頭巾。お前、ずるいな」
「兵法とはそういうものだ。相手が嫌がるところへ、最短で手を置く」
「気に入った! 強い奴より、勝ち方が嫌な奴の方が面白い!」
フェイは右手の痺れが残るまま、左手で吉継の肩を叩こうとした。
チヨネが即座に吉継の前へ出る。
小さな体で、じっとフェイを睨む。
影ではない。
真正面からの抗議だった。
フェイはきょとんとし、それから笑った。
「おお、怖い怖い。お前の主は取らんぞ、影のちび」
チヨネが無言でぷるぷるする。
吉継は短く言う。
「チヨネ、失礼だ」
チヨネは吉継を見上げる。
それから、フェイを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
許してはいない。
だが、今は斬らない。
その意思表示だった。
ミセリアは書記官に命じる。
「記録。御前試合、勝者、大谷吉継。王家直臣末席への登録審査を進める」
書記官が慌てて羽根ペンを走らせる。
吉継は刀を納めた。
右腕が熱い。
病刃封脈を一点だけ使ったが、反動はある。喉の奥に血が滲む。
フェイがそれに気づいた。
「お前、今の技で自分も痛むのか。勝った顔の割に、肩が笑ってないぞ」
「少しだ」
「少しって顔じゃないぞ」
フェイは急に真顔になった。
豪快だが、鈍くはない。
強者の痛みには敏い。
「それで俺とやったのか」
「必要だった。ここで退けば、守るための足場を失う」
「ミセリアのためか」
吉継は答えなかった。
沈黙だけで、フェイは十分だったらしい。
彼女はにやりと笑う。
「いいな。そういう奴は嫌いじゃない」
その時、外庭の端から低い声が上がった。
「実に見事な小細工ですな。毒を美しく言い換えれば、兵法になるとでも?」
空気が変わる。
バルトロメウス・フォン・ガリアの使者だった。
濃い緑の礼服を着た男が、数人の文官を従えて立っている。
「王国将軍を正面から打ち破ったとは言い難い。病毒による手首への干渉。果たして、それを武勇と呼べるのでしょうか」
フェイの眉が跳ねた。
「おい、俺の負けに文句つける気か」
使者は笑みを崩さない。
「いえ。ただ、王家直臣に加える者が、正々堂々たる者かどうかは重要でして」
チヨネがエルネの前へ移動した。
今度は影ではなく、文書袋を庇う位置だ。
エルネは小さく息を吸い、記録用の紙を取り出した。
ミセリアの視線が鋭くなる。
吉継は白頭巾の奥で、静かに使者を見た。
試合には勝った。
だが、政治の試合はまだ終わっていない。
王家直臣への道は、蛇矛を越えただけでは開ききらない。
次は、言葉と紙で越える番だった。
フェイとの御前試合は、吉継の勝利となりました。
ただし、力で認めさせた直後に、今度は政治の横槍が入ります。王家直臣への道は、まだ簡単には開きません。




