第23話:猛将フェイ・チャン
ミセリアを支えるため、吉継は王家直臣の末席に入る策を口にする。
だが、そのためには王国の猛将を納得させる必要があった。
宰相保護令は、盾だった。
だが、盾である以上、持つ者の腕に重みがかかる。
政務院の臨時記録室で、吉継は机の上に置かれた保護令を見ていた。
ミセリア・イシダの名で発行された紙。
神殿や地方役人が無断で吉継たちを連行できないようにする、強い文書。
同時に、ミセリアが病毒持ちを抱え込んだという攻撃材料にもなる。
「このままでは、貴殿が矢面に立つ」
吉継が言うと、ミセリアは書き板から顔を上げた。
「既に立っている」
「増える」
「増加分は計算する。敵が増えるなら、増え方も記録する」
「計算できる敵ばかりではない」
ミセリアの筆が止まった。
チヨネは窓際で外を見張っている。影は床に薄く広がっているが、今は膨らませていない。扉の前、窓の下、エルネの文書袋の横。必要な場所へ、細く、控えめに置いている。
エルネは机の端で臨時雇用の書類を整理しながら、吉継とミセリアを交互に見ていた。
「案があるのですね」
エルネが言う。
吉継は頷いた。
「俺を、王家直臣の末席に入れろ。貴殿の私情ではなく、王家の名分で動ける形にする」
エルネの手が止まった。
「……かなり無茶を言いましたね」
「無茶ではある。だが筋はある。筋のない無茶は、ただの迷惑だ」
ミセリアは表情を変えない。
「理由を」
「俺がただの保護対象なら、貴殿が病毒持ちを私的に抱えたと見られる。だが、王家直臣の末席なら話が変わる。俺への手出しは、王家の登録名簿に手を出すことになる」
「貴殿を王家に置けば、私の私兵ではなく、王権に属する駒になる」
「そうだ」
「その場合、貴殿の責任も増える」
「承知している。名を得るなら、責も引き受ける」
吉継は静かに続けた。
「俺は貴殿を守りたい。だが、ただ横に立つだけでは、貴殿の弱みになる。ならば、守るための名分を作る。敵に口実を渡さぬためだ」
ミセリアは数秒黙った。
吉継の言葉を感情ではなく、手続きとして分解している顔だった。
「王家直臣の末席。形式上は可能。だが、反対が出る」
「出るだろうな」
「病毒持ち。出自不明。戦闘能力未確認。神殿との摩擦。貴族派の反発」
「並べると、なかなかひどい。俺が反対派でも渋い顔をする」
エルネが小さく呟いた。
ミセリアは淡々と頷く。
「ひどい。だが、完全に不可能ではない」
その時、扉が強く叩かれた。
チヨネが扉の横へ滑るように移動する。袖を掴むのではなく、扉と吉継の間へ立つ。小さな体だが、そこに刃の気配がある。
「宰相閣下。軍務局より急使です」
「入れて」
入ってきた若い書記官は、額に汗を浮かべていた。
「王国将軍フェイ・チャン殿が、外庭にてお待ちです」
ミセリアの眉が、ほんのわずかに動いた。
「要件は」
「病毒持ちの男を王家直臣にする話があるなら、先に腕を見せろ、と」
エルネが顔をしかめる。
「早すぎます。誰が漏らしたのですか」
「漏れたのではない」
ミセリアは立ち上がった。
「読まれた」
「読まれた?」
「フェイは政治を読まない。だが、戦場の匂いには敏い。病毒持ちを私が保護した時点で、次に武力証明が必要になると勘で察した」
吉継はその名を胸の内で転がした。
フェイ・チャン。
知らぬ名だ。
だが、外庭の方から届く気配があった。
荒々しい。
真っ直ぐ。
そして、どこか懐かしいほど豪快な武の圧。
「断れるか」
吉継が問うと、ミセリアは即答した。
「断れる。だが、断れば反対派に材料を与える。病毒持ちは保護されるだけで戦えない、と」
「なら受ける」
チヨネが振り返った。
ふん!
反対。
強い鼻鳴らしだった。
吉継はその頭に手を置いた。
「心配は分かる。だが、ここで退けば、ミセリア殿を支える名分が弱くなる」
チヨネは無言で首を振る。
「無茶はしない」
ぷるぷる。
信じていない。
エルネが文書袋を抱えながら言った。
「大谷さん、その言葉は信用されていません」
「そうらしい」
ミセリアは書き板に短く記した。
「御前試合を設定する」
「御前」
「国王陛下は病床。公開の場には出られない。代わりに王権代理の立会として、軍務局、政務院、王宮侍従が同席する。形式上は御前試合」
「勝てば、王家直臣の末席に入れるか」
「可能性が上がる。負ければ、保護対象のまま」
「死ねば」
「論外」
ミセリアの声が、少しだけ硬くなった。
吉継は白頭巾の奥で目を細める。
彼女自身は気づいていないのかもしれない。
だが今の声には、ただの合理だけではないものが混じっていた。
◇
政務院外庭は、すでに人で囲まれていた。
役人、兵士、軍務局の将校、好奇心を隠せない書記官。誰もが距離を取りながら、中央に立つ女を見ている。
彼女は大きかった。
背は高く、肩幅もある。褐色がかった赤い髪を高く束ね、獣のように明るい金茶の瞳をしている。胸当てと革鎧は傷だらけで、腰には酒袋が吊られていた。
そして手には、全長三メートルはある長柄の矛。
刃は蛇のように波打っている。
丈八蛇矛。
吉継がその姿を見た瞬間、頭の奥で声が響いた。
張飛。
三国志の猛将。
長坂橋で一喝し、敵軍を退けた男。
目の前の女は、その転生体だ。
ただし、本人に前世の記憶はない。
彼女は吉継を見るなり、豪快に笑った。
「お前か! 病毒持ちってのは!」
声がでかい。
外庭の端にいた書記官が、びくりと肩を跳ねさせた。
「俺はフェイ・チャン! 王国将軍だ!」
一人称は俺。
隠す気配もない。
敵意もない。
ただ、目の前の相手が強いかどうかを見ている。
フェイは蛇矛を肩に担いだ。
「ミセリアが妙な男を拾ったって聞いた。王家直臣になりたいなら、俺を納得させろ!」
ミセリアが外庭の端に立つ。
「フェイ。殺害は禁止」
「分かってる! 殺したら飯がまずくなる!」
「建物破壊も禁止」
「努力する! 建物が勝手に壊れたら知らん!」
「努力ではなく禁止。建物に罪はない」
「細かいな!」
フェイは腹の底から笑った。
チヨネは吉継の横で、困惑のプルプルをしている。
エルネは青ざめた顔で呟いた。
「あの人、王国最強格の前衛です。魔法障壁を気力で叩き割ります。大谷さん、まともに受けたら死にます」
「受けぬ。あの気力を正面から受けるほど、俺は律儀ではない」
「そうしてください。本当に。記録者としてではなく、人として言っています」
フェイが蛇矛を構える。
構えは粗い。
だが、圧が違う。
体から赤黒い気配が立ち上がる。魔力ではない。もっと熱く、もっと肉体に近いもの。
気力。
この世界で、魔法に抗う力。
フェイはそれを、蛇矛へ流し込んでいる。
「行くぞ、白頭巾!」
吉継は軍配ではなく、刀の柄に手を添えた。
勝つ必要がある。
だが、殺してはならない。
張飛の転生体。
王国の猛将。
ミセリアを支えるために、敵に回すべき相手ではない。
ならば、勝ち方を選ぶ。
フェイの右足が、わずかに前へ出た。
初撃は右。
吉継の中で、前世の書と戦場の記憶が重なる。
張飛は豪勇。
だが、怒りと勢いが矛を大きくする。
誘え。
殺すためではなく、認めさせるために。
フェイが地を蹴った。
蛇矛が、朝の光を裂いて唸る。
御前試合が始まった。
張飛の転生体、フェイ・チャンが登場しました。
前世の記憶はありませんが、豪快さと圧倒的な武の気配は魂に残っています。次回は御前試合です。




