第22話:宰相の保護令
ミセリアは吉継たちを政務院内の臨時記録室へ案内する。
保護を得たはずの一行だったが、その決定は王都の別の権力も動かし始めていた。
ミセリア・イシダの歩みは、速くも遅くもなかった。
誰かを置いていく速さではない。だが、誰かに合わせている気配もない。必要な歩幅を、ただ一定に刻んでいる。
吉継は、その背を見ながら歩いた。
石田三成。
そう呼びかけそうになる衝動は、まだ胸の奥に残っている。
だが、目の前の女はミセリアだ。
前世を知らず、この国の宰相として、膨大な書類と責任を背負っている。
ならば、吉継が最初にすべきことは、前世の名を押しつけることではない。
今世の彼女が立つ場所を知ることだ。
ミセリアは廊下の突き当たりで足を止めた。
扉の前には、王国紋の入った札が掛けられている。
「臨時記録室。今は使っていない」
彼女は鍵を差し込み、扉を開けた。
中は広くない。
棚が二つ。机が一つ。窓は細く、鉄格子がある。壁際には古い帳簿が積まれ、床は掃き清められていた。
「ここを使って。扉は古いが、政務院内で一番目立たず守れる」
エルネが瞬きをした。
「ここ、政務院の中ですよね」
「そう」
「私たちを中に置くのですか」
「外に置けば、神殿か灰羽が接触する。宿に置けば、宿の主人が買収される。牢に入れれば、申立人ではなく容疑者になる。ここが最も手続き上の損失が少ない」
言い方は冷たい。
だが、筋は通っている。
チヨネは部屋の中へ入らず、扉の横でじっとミセリアを見ていた。
影ではなく、目で見ている。
相手が吉継を傷つけるか。
エルネを奪うか。
その二つを確かめるような視線だった。
ミセリアはチヨネの視線を受け止めた。
「影使いの少女。名は」
チヨネは答えない。
代わりに、吉継の袖をつまんだ。
「チヨネだ」
「発話困難か」
チヨネが少しだけ眉を寄せる。
吉継は静かに首を振った。
「話さぬ。だが、分からぬわけではない」
「理解した。では、以後は吉継が補足して」
ミセリアは書き板に何かを記した。
チヨネはむっとしたように、ふん、と鼻を鳴らす。
「怒っている。物扱いされたと思ったのだろう」
ミセリアの手が止まる。
「訂正する。チヨネ、貴女の意思疎通方法を、私がまだ知らない。だから吉継に補足を求めた」
チヨネは目を丸くした。
少し迷い、こくりと頷く。
吉継は白頭巾の奥で、わずかに息を吐いた。
不器用だ。
だが、間違えたと知れば訂正する。
その正しさが、痛いほど懐かしい。
ミセリアは次にエルネを見た。
「エルネ・フォリオ。貴女は記録者として残る」
「残る、とは」
「外記二七四の補助記録を担当。報酬は政務院臨時費から支払う」
エルネが固まった。
「私、雇われたのですか」
「そう」
「拒否権は」
「ある。ただし、拒否すれば保護対象から外れる」
「それ、実質ありません」
「現状では、そう。選択肢があるように見せる嘘はつかない」
エルネは額に手を当てた。
「言い方が容赦ない……」
ミセリアは淡々と返す。
「婉曲表現で危険は減らない。だが、心が削れるという指摘は記録する」
「減らないけど、心は削れます」
「記録する。以後、必要に応じて言い方を調整」
エルネは驚いた顔をした。
「本当に記録するんですか」
「する。実務上必要」
吉継は二人のやり取りを見ていた。
ミセリアの言葉には柔らかさがない。
だが、相手を踏みにじるための冷たさではない。目的へ最短で向かうあまり、途中にある心の段差を見落としている。
そこを補う者が必要だ。
前世も、そうだった。
吉継は軍配を握る指に力を込めた。
「ミセリア殿」
「何」
「俺たちを保護することで、貴殿にも敵が増える」
「既にいる」
即答だった。
「増加分は計算する。既存の敵より、動きが読みやすい場合もある」
「計算できぬ敵もいる」
「だから、貴殿を置く。計算できぬ敵には、計算外の刃が要る」
吉継は黙った。
ミセリアは机の上へ一枚の紙を置いた。
そこには、王国紋と政務院印が押されている。
「宰相保護令。対象、大谷吉継、チヨネ、エルネ・フォリオ。外記二七四の調査完了まで、政務院管轄下に置く」
エルネが思わず身を乗り出した。
「本物ですか」
「今作った。必要な紙は、必要な時に出す」
「早すぎます」
「必要だった」
ミセリアは紙を吉継へ向けた。
「これで、神殿と地方役人は政務院の許可なく貴殿らを連行できない」
「灰羽は」
「紙を守る者ではない。だから物理的対策も必要」
ミセリアは扉の外へ視線を向けた。
「護衛を手配する」
チヨネが一歩前へ出た。
ふん。
自分がいる、と言っている。
吉継が訳す前に、ミセリアが言った。
「チヨネの護衛能力は認める。ただし、王都内の通行権と政務院内の立入権を持つ者が必要」
チヨネは不服そうに頬を膨らませた。
「チヨネだけでは不十分という意味ではない」
ミセリアは少し考え、言葉を選ぶ。
「役割が違う」
チヨネは、今度はすぐ怒らなかった。
小さくふん、と鳴らし、吉継の横へ戻る。
「納得したようだ」
「助かる。チヨネを小さく見られるのは、俺も腹が立つ」
ミセリアは本気でそう言ったのだろう。
声色は変わらない。
だが、吉継には分かった。
彼女なりに、チヨネを人として扱おうとしている。
そこへ、扉が叩かれた。
「宰相閣下。ガリア公爵家の使者が参っております」
ミセリアの目がわずかに細くなる。
「要件は」
「病毒持ちの男を政務院内へ入れた件について、説明を求めるとのことです」
早い。
吉継は内心でそう呟いた。
外縁門から外記局、そしてこの部屋まで。
情報が流れる速度が速すぎる。
王都のどこかに、灰羽と神殿だけではない目がある。
ミセリアは表情を変えない。
「待たせて。こちらの命の方が、公爵家の不満より先」
「よろしいのですか」
「今、私は外記二七四を処理している。優先順位が低い」
扉の向こうで、補佐官が息を呑む気配がした。
「承知しました」
足音が遠ざかる。
エルネが小声で言った。
「ガリア公爵家……守旧派の中心です。宰相閣下と対立していると聞きます」
「バルトロメウス・フォン・ガリア」
ミセリアが名を出した。
「文官の長。国王陛下の病後、権限移譲に反対し続けている」
「その者も、俺たちを狙うか」
「直接はしない。証拠が残る。あの手の相手は、綺麗な手袋で泥を触る」
ミセリアは保護令を折り、吉継へ渡した。
「だが、手は回す。だから先に、回す手を細くする」
吉継は紙を受け取った。
薄い。
だが、重い。
守るための紙。
同時に、敵を呼ぶ紙でもある。
「では、まず何をする」
吉継が問うと、ミセリアは即答した。
「三つ。チヨネの通行登録。エルネの臨時雇用登録。貴殿の病毒検査記録の封印」
「封印」
「検査結果が神殿へ流れれば、先に浄化名目で動かれる。情報の流路を絞る」
吉継は静かに頷いた。
この女は、守り方を知っている。
ただし、その守りは冷たい。
人を抱きしめる守りではない。
紙と権限で、敵の手を縛る守りだ。
「ミセリア殿」
「何」
「貴殿の守り方は、情ではなく、敵の手を先に断つものだな」
ミセリアは首を傾げた。
「敵の手を断つ。つまり、権限と書類で先手を取るという意味か」
「そういう意味だ」
エルネが小さく吹き出しかけ、慌てて口を押さえた。
チヨネは首を傾げている。
ミセリアは数秒考えた。
「理解した。防御ではなく、相手の行動選択肢を削る守り」
「近い」
「記録する」
本当に書き板へ記した。
吉継は、ほんの少しだけ目を細めた。
笑いそうになったのかもしれない。
だが、その穏やかな一瞬は長く続かなかった。
政務院の別棟。
黒い机の前で、ひとりの男が報告を受けていた。
バルトロメウス・フォン・ガリア。
整えられた髭。
重い指輪。
書類よりも人を値踏みする目。
「ミセリアが、病毒持ちを保護しただと」
使者は膝をついたまま頷く。
「はい。宰相保護令を出したとのことです」
バルトロメウスは、ゆっくりと笑った。
「なるほど。清廉なる宰相が、神殿の忌む病毒持ちを抱え込むか」
机の上には、王国議会へ出す予定の草案が置かれていた。
その余白に、彼は羽根ペンで一語を書き足す。
異端。
「使えるな」
男の声は、静かに濁っていた。
政務院の奥で、吉継はまだ知らない。
ミセリアが差し出した保護令が、同時に新たな敵意を呼び込んだことを。
今回は、ミセリアによる一時保護と、バルトロメウス側の反応を描きました。
吉継たちは守られましたが、その保護令は同時に新しい火種にもなります。




