第21話:魂は主を識る
外記局の奥へ呼ばれた吉継たち。
そこで彼は、まだ名も知らぬ女性と向き合う。
政務院の奥へ続く廊下は、外記局の窓口とはまるで空気が違った。
人の声が少ない。
羽根ペンの音も、咳払いも、紙束を積む音も遠い。
白い石壁に沿って歩くたび、吉継の足音だけが静かに返ってくる。
前を行く女性は、振り返らなかった。
淡い銀紺の衣。
感情を映さない横顔。
歩幅は一定で、迷いがない。
エルネは緊張した顔で文書袋を抱え、チヨネは吉継の影に寄り添うように歩いている。外記局の待合にいた人々の視線は、背中にまだ残っていた。
やがて、女性は小さな執務室の前で止まった。
「入って」
短い声。
命令ではある。
だが、威圧ではない。
ただ必要なことを、必要なだけ言う声だった。
室内には机が二つあった。片方には書類が整然と積まれ、もう片方には地図、税の表、穀物の流通記録が並んでいる。壁際には王国各地の収支板が掛けられ、赤と青の札が細かく刺さっていた。
机の配置、書類の積み方、壁に並ぶ収支板。
すべてが、無駄なく人と金を動かすために置かれている。
女性は机の前に立ち、吉継たちを順に見た。
「外記二七四。灰羽による襲撃申立て。東境神殿関係印の疑い。病毒持ちの男。影使いの少女。代書屋エルネ・フォリオ」
彼女は一息で言った。
感情の色はない。
だが、情報の抜けもない。
エルネが小さく頭を下げる。
「はい。記録者です」
「確認した」
女性の視線が、吉継へ移る。
「名を」
「大谷吉継」
その瞬間だった。
吉継の頭の奥で、何かが鳴った。
鐘ではない。
声でもない。
関ヶ原の風。
泥を踏む足音。
遠くで揺れる石田の旗。
そして、守れなかった背中。
目の前の女性の輪郭に、別の魂の影が重なった。
石田三成。
吉継は息を止めた。
この世界の名は知らない。
彼女は三成ではない。
それでも、魂が告げている。
目の前の女は、石田三成の転生体だ。
白頭巾の奥で、視界がわずかに揺れた。
チヨネが袖を掴む。
ふん……。
心配の音。
吉継は、震えそうになる指を軍配へ添えた。
膝をつくな。
ここで前世の主にひれ伏せば、彼女を困惑させるだけだ。
彼女は三成の記憶を持たない。
今世の彼女として、ここに立っている。
「顔色が悪い」
女性が言った。
「光検査の影響か」
「少しだ。まだ立って話せる」
「少し、という言葉は曖昧。悪化の程度を答えて。隠されると判断材料が減る」
エルネが慌てて口を開く。
「右腕の熱と痛みが強くなっています。本人は隠しています。隠し方が上手すぎて腹が立ちます」
「エルネ」
「ここで隠しても意味がありません」
女性は頷いた。
「代書屋の判断が正しい。隠す者より、見ていた者の記録を採る」
吉継は言葉を失いかけた。
口調が違う。
姿も違う。
だが、この容赦のない正しさ。
情ではなく、理で人を斬るような言葉。
あまりにも、近い。
女性は机上の紙を一枚取った。
「私はミセリア・イシダ。サンクトゥス・レガリア王国宰相。国王エドワード陛下より、国政実務の委任を受けている」
名が落ちた。
ミセリア・イシダ。
イシダ。
吉継の胸の奥で、何かが軋む。
今度こそ。
声にしなければ、胸の内でその言葉が燃え尽きそうだった。
「大谷吉継」
ミセリアは続ける。
「質問する。貴殿はなぜ、灰羽に追われながら王都へ来た」
「外記局へ申立てるためだ」
「それだけでは不十分。命を賭ける理由としては弱い」
即座に切られる。
「病毒持ちなら、王都へ来るほど危険が増す。光神教も動く。灰羽も追う。合理性が弱い」
吉継は静かに息を吐いた。
ここで嘘を言えば、見抜かれる。
この女に、飾った言葉は通じない。
「この国の中枢を知るためだ」
ミセリアの目が動かない。
「続けて」
「病毒を持つ者が、なぜ敵と見なされるのか。神殿がどこまで関わるのか。灰羽のような者を誰が使うのか。それを知らねば、逃げ続けるだけになる」
「妥当。逃亡ではなく、原因調査として筋が通る」
短い評価。
吉継は続けた。
「もう一つある」
「何」
言うべきか。
言えば、狂人と思われるかもしれない。
だが、黙っていれば、この魂の前に立つ意味がない。
「俺は、探している者がいる」
ミセリアは瞬きしない。
「名は」
「まだ知らぬ」
「矛盾」
「そうだ。だが、魂が知っている。俺の理屈より先に、そこへ行けと叫んでいる」
エルネが息を呑む。
チヨネの影が、吉継の影へ強く寄る。
ミセリアは、しばらく無言だった。
その沈黙は、笑うためではない。
切り捨てるためでもない。
情報を分類している沈黙だった。
「貴殿は、自分の発言が非合理だと理解しているか」
「理解している」
「では、なぜ言った」
「嘘をつけば、貴殿には通じぬと思った。それに、初めから偽れば守る資格もない」
ミセリアの瞳が、ほんのわずかに細くなる。
「私を知っているような口ぶり」
吉継は答えなかった。
答えられなかった。
三成。
そう呼べば、彼女ではなくなる。
ミセリア・イシダという今世の女を、前世の主で塗り潰してしまう。
それは、してはならない。
「知らぬ」
吉継は低く言った。
「だが、守りたいと思った。理由が言葉になる前に、そう決まっていた」
エルネが目を見開く。
チヨネが、ふん、と小さく鳴った。
驚きと、不満と、少しの警戒が混じる音。
ミセリアは動かなかった。
「初対面の相手を守りたい。理由は魂。非合理」
「その通りだ」
「訂正しないのか」
「しない」
吉継は白頭巾の奥から、ミセリアを見た。
「俺は、合理だけで生きて死んだのではない。守れなかったものが、まだ胸に残っている」
室内の空気が、わずかに変わった。
ミセリアの指が、机の上の書類へ触れる。
彼女は表情を変えない。
だが、ほんの一瞬だけ、書類の端を押さえる力が強くなった。
「不明な感情反応を確認。胸部に軽い圧迫感。原因は未分類」
彼女は自分自身を分析するように呟いた。
「原因不明。後で検証する。今は業務を優先」
エルネが小さく口を開けた。
チヨネは困惑したように首を傾げる。
吉継だけが、胸の奥を締めつけられていた。
笑わぬ三成。
記憶のない主。
それでも、ここにいる。
ミセリアは告発状を手に取った。
「外記二七四は、私の預かりにする」
エルネが声を上げる。
「宰相預かり、ですか」
「そう」
「それは、つまり」
「地方神殿と灰羽の接触疑いを、内務案件として扱う」
エルネの顔から血の気が引いた。
「大きくなりすぎます」
「すでに大きい」
ミセリアは吉継を見た。
「大谷吉継。貴殿の病毒は危険。だが、灰羽に狙われ、神殿印の札を持ち、王都まで生きて来た。利用価値がある」
チヨネが、吉継の前へ半歩出た。
小さな手が袖を掴み、もう片方の手はいつでもエルネを引ける位置にある。
「チヨネ」
吉継が名を呼ぶと、チヨネは唇を結んだまま止まった。
ミセリアはその反応も記録するように見ていた。
「不快なら訂正する。利用価値ではなく、協力価値」
吉継は少しだけ目を細めた。
「言葉を選んだな」
「今、選んだ」
沈黙。
そして、ミセリアは淡々と告げた。
「貴殿たちに一時保護を与える。条件は三つ」
「聞こう」
「第一。王都内で無断戦闘をしない。第二。病毒魔法を使う場合は、私または外記局へ報告。第三」
彼女の視線が、吉継をまっすぐ射抜いた。
「貴殿が私を守りたい理由を、いつか説明すること」
吉継は、すぐに答えられなかった。
それは、命令ではない。
問いでもない。
約束に近かった。
かつて守れなかった約束が、今世の彼女の口から別の形で差し出されている。
吉継は軍配を握る指に力を込めた。
「承知した」
ミセリアは頷く。
「では、来て。貴殿たちの居場所を決める」
吉継は一歩、踏み出した。
その背に、チヨネの影が寄り添う。
エルネは文書袋を抱え直す。
そしてミセリアは、感情の見えない横顔のまま、扉へ向かった。
今度こそ守る。
吉継は声に出さず、ただ胸の奥で誓った。
だが、まだ彼女は知らない。
その誓いが、前世の戦場からここまで追いかけてきたものだとは。
ついに吉継とミセリアが対面しました。
吉継は魂で彼女を識りますが、ミセリア本人には前世の記憶がありません。この認識のズレが、今後の二人の関係の核になります。




