第20話:外記局の受理印
王都へ入った吉継たちは、政務院外記局へ向かう。
剣を抜けば不利になる役所の戦場で、彼らは告発状の受理を目指す。
王都の道は、広い。
だが、広ければ歩きやすいとは限らない。
石畳の上を、馬車が走る。商人が叫ぶ。荷運びが肩をぶつけ合い、役人の従者らしき若者が書類筒を抱えて駆け抜ける。
人の数が、宿場とは違った。
道そのものが血管のように脈打ち、王都という巨大な体の中へ、人も物も金も流し込んでいる。
吉継は白頭巾の奥から、その流れを見た。
外縁門を越えた。
だが、自由になったわけではない。
背後には、門からつけられた監視が二人。兵ではない。役所の下働きか、神殿の目か。どちらにせよ、こちらが外記局へ向かうことを確認するための影だった。
チヨネが袖を引く。
ふん。
右後ろ。
「見えている。放っておけ。あれは斬る相手ではなく、こちらの行き先を確認する目だ」
チヨネは不満そうに影を揺らした。
「あの者等はただの監視だ。余計なことをしない限り、襲ってくる心配はない。怒るのは、向こうが手を伸ばしてからでいい」
こくり。
完全には納得していないが、従う。
エルネは文書袋を抱え、早足で先導していた。肩の布には、うっすら血がにじんでいる。それでも歩みは止めない。
「外記局は政務院の東棟。入口で整理札を取ります。ここで揉めたら、どうなるかはお分かりですよね」
「無論、分かっている」
「知っています。念のためです。あなた、分かっていて無茶をする人なので」
政務院は、王都の中央に近い高台にあった。
白い石の建物が横に長く伸び、正面には王国の紋章が掲げられている。門前には貴族の馬車、商人、地方役人、旅人、兵士が入り混じり、誰もが紙を抱えていた。
ここも戦場だ。
ただし、血の匂いは薄い。
代わりに、墨と封蝋と苛立ちの匂いがする。
外記局の窓口は、東棟の一階にあった。
木札を持った者が長い列を作っている。窓口の奥では、数人の書記官が羽根ペンを走らせ、受付の男が疲れた目で次々と書類をさばいていた。
エルネが小声で言う。
「まず整理札。次に申立ての種類。被害申立てと告発状の受理を同時に出します」
「同時でよいのか」
「灰羽に襲われた被害と、東境神殿の印に近い札の件を分けると、片方だけ潰されます。まとめて出した方が、記録の番号がつながります」
「任せる。紙の戦は、お前の方がよく見えている」
エルネは一瞬だけ目を伏せた。
「任されます。怖いですけど、ここで逃げたら代書屋の名が泣きます」
整理札を取る。
待つ。
列は遅い。
吉継は、この世界に降り立ってから波瀾万丈であったが、至って冷静だった。戦場では、待つ時間が最も長い。焦れて動いた者から死ぬ。
だが、チヨネは違った。
目に見えて落ち着かない。周囲の視線が、彼女の小さな体と影へ刺さっている。
影使い。
病毒持ちの男の従者。
代書屋。
それだけで、十分に目立つ。
吉継は小さく手を伸ばし、チヨネの頭に触れた。
「ここは敵陣ではない。まだな。だから爪を隠せ、チヨネ」
ふん……。
不安げな音。
「お前がいるから、安心して後ろを任せられる。俺の影は、お前に預けた」
チヨネは、少しだけ胸を張った。
その時、受付の男が顔を上げた。
「次」
エルネが前へ出る。
「被害申立てと告発状の受理をお願いします。西宿カラン書き屋組合ノアの立会印があります」
受付の男は書類を受け取り、封蝋を見た。
そして、すぐ顔をしかめた。
「病毒反応がある。神殿窓口へ」
「申立て内容に、神殿関係者の関与疑いがあります。神殿窓口へ回せば、申立て先と関係者が重なります」
エルネの返答は速かった。
受付の男の眉が動く。
「疑いだけだろう」
「はい。だからこそ外記局で記録番号を取ります。断定ではなく、証拠札と襲撃記録の保全です」
「面倒な案件だな」
「面倒なので、番号が必要です。面倒なものほど、記録番号がないと消されます」
男は嫌そうに吉継を見た。
「本人か」
「大谷吉継」
「傭兵?」
「この国の区分では、それに近い。少なくとも、訴える権利まで失った覚えはない」
「病毒持ちが王都へ入った理由は」
「追われたからだ。そして、追われた理由を明らかにするためだ。逃げた先で黙っていれば、次は別の者が追われる」
受付の男は沈黙した。
奥の書記官が、ちらりとこちらを見る。
監視の二人も、後ろで立ち止まっていた。
よい。
聞かせる。
ここで言葉を残せば、誰かが覚える。
紙になる前の証人だ。
受付の男は封蝋へ指を近づけた。
黒い筋が、わずかに脈打つ。
「これは危険だ。受理前に検査がいる」
吉継の右腕が熱を持つ。
まだ触れられてもいない。
血封が、光や検査の気配に反応している。
チヨネの影が足元で膨らんだ。
「チヨネ」
吉継は静かに名を呼ぶ。
影が止まる。
受付の男は、その影を見てさらに顔をしかめた。
「脅すつもりか」
「違う。止めた。あの影が動いていれば、今ごろ話はもっと面倒になっている」
吉継は一歩も動かない。
声も荒げない。
「検査を拒むとは言わぬ。ただし、検査で俺の体に害が出るなら、その記録も同時に残せ」
「何だと」
「光の検査は、俺には毒になる。門前でも告げた。ここで検査するなら、検査方法、担当者、俺の反応、悪化の有無を記録に入れよ」
受付の男は口を閉じた。
嫌な沈黙が落ちる。
記録に残る。
役人にとって、それは剣より厄介なことがある。手続きの不備、検査による悪化、担当者の名。すべて紙に残れば、あとで責任の所在を問われる。
エルネが続けた。
「記録者として私が立ち会います。外記局で検査する以上、手続き上の記録は必要です」
受付の男は、奥へ目を向けた。
そこに、年配の書記官がいた。銀縁の眼鏡をかけ、古い帳面を閉じるところだった。
書記官はため息をつく。
「番号を出せ」
受付の男が振り返る。
「しかし」
「神殿へ回して揉めれば、こちらの方が面倒だ。受理番号を出し、検査保留で記録。本人は外記局内の待合へ。上席判断に回す」
エルネの肩から、力が抜けた。
吉継は静かに息を吐く。
勝ったわけではない。
だが、紙は通った。
受付の男は不満を隠さず、木札に番号を書いた。
赤い印が押される。
受理印。
その音は、小さかった。
だが吉継には、陣太鼓の一打に聞こえた。
「受理番号、外記二七四。検査保留。待合で待て」
エルネが木札を両手で受け取る。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。面倒を増やすな。今日はもう十分に厄介だ」
「努力します」
受付の男はさらに嫌な顔をした。
待合は、窓口の奥にある細長い部屋だった。
長椅子が並び、壁には古い通達が貼られている。吉継たちの他にも、地方商人、兵站係らしき男、泣き疲れた農婦が座っていた。
王都の中枢にも、弱い者はいる。
吉継はそれを見た。
ここで勝つとは、ただ自分たちが通ることではないのかもしれない。
チヨネが木札をじっと見つめる。
ふん?
「これは、門を開ける鍵だ。紙一枚でも、閉じた道をこじ開けることはある」
こくり。
チヨネは理解したように、木札へ小さく頭を下げた。
エルネが疲れた顔で座り込む。
「取れました……受理番号」
「ああ。お前の勝ちだ。震えながらでも、最後まで言い切った」
「私だけでは無理でした」
「それでも、お前がいなければ取れなかった」
エルネは文書袋を抱えたまま、目を閉じた。
「少しだけ、休みます」
「休め」
吉継は壁際に立ったまま、扉の方を見た。
監視は外にいる。
神殿も動く。
灰羽も諦めない。
だが、受理番号は取った。
王都での戦は、ここから始まる。
その時、廊下の向こうが静かになった。
人の足音が止まる。
羽根ペンの音も、わずかに鈍る。
誰かが来る。
役人たちが、自然に道を空けている。
チヨネの影が、吉継の足元へ寄った。
ふん。
強い警戒。
扉の前に、ひとりの女性が立った。
淡い銀紺の衣。
感情を映さない瞳。
手には、吉継たちの受理番号が記された控え。
彼女は待合の中を一度だけ見渡し、吉継で視線を止めた。
「病毒持ちの申立人」
声は冷たく、短い。
「外記二七四。大谷吉継。確認した」
吉継の胸の奥で、何かが鳴った。
理屈ではない。
記憶でもない。
関ヶ原の風が、白頭巾の奥を吹き抜ける。
三成。
そう呼びかけそうになり、吉継は息を止めた。
まだだ。
目の前の彼女は、この世界の人間だ。
名も、立場も、まだ聞いていない。
女性は淡々と告げた。
「話を聞く。ついてきて」
王都に入った。
受理印も得た。
そして今、吉継の前に、運命の扉が静かに開いた。
ついに外記局で受理番号を得ました。
そして最後に、吉継が強い魂の直感を覚える女性が登場します。次回、いよいよ大きく物語が動きます。




