第18話:黒き血封の報せ
水車道を抜け、王都外縁へ近づく吉継たち。
だが、血封に残った黒い筋は、すでに敵の目に触れ始めていた。
水車道を抜けると、空が少しだけ広くなった。
朝霧はまだ地面に貼りついている。用水路の水は白く濁り、石垣の隙間から伸びた草が、露を含んで頭を垂れていた。
吉継たちは、王都へ続く外縁水路に沿って歩いていた。
水音がある。
それだけで、追手の足音をいくらか隠せる。
だが同時に、こちらの足音も読まれにくい。敵味方どちらにも利がある。水辺の道は、常に両刃だ。
吉継は白頭巾の奥で、浅く息を吐いた。
こめかみの痛みが残っている。
地脈俯瞰を使った代償だ。目で見ぬものを、魔力で見ようとする。便利なはずの力は、頭の奥を細い刃で削るような疲労を残した。
チヨネが袖を掴む。
ふん。
休め、と言っている。
「まだだ。ここは開けすぎている。休むなら、敵の目も休ませる場所を選ぶ」
チヨネは納得しない顔で見上げる。
「分かっている。無理はしていない、とは言わぬ。だが、休むなら見張れる場所を選ぶ。お前を不安にさせる休み方はしない」
小さなふん。
今度は、少しだけ認めた音だった。
エルネは後ろを何度も振り返っていた。肩には吉継が巻いた布がある。血は止まっているが、顔色は悪い。
「歩けるか」
「歩けます。紙は無事。私の肩より、今は紙の方が高価です」
「先に自分の身を案じろ」
「紙が無事なら、王都で身を守れます。私の肩より優先順位は高いです」
「その理屈は分かる。だが、お前が倒れれば紙も読めぬ。代書屋込みで文書だ」
エルネは少しだけ口を閉じた。
「……それは困りますね」
「ああ、困る」
チヨネが、ふんふん、と頷いた。
エルネは苦笑し、文書袋を抱え直した。
「少し先に、排水塔の跡があります。古いけど壁が残っているはずです。休むならそこがいい」
「案内を頼む」
「はい。けれど、長居はできません。王都外縁は役人の目も多いので」
三人は水路沿いを進んだ。
道の先に、円筒形の石塔が見えてくる。半分崩れ、苔に覆われているが、壁は残っている。見張りを立てれば、近づく者は分かる。
吉継は塔の陰に入ると、ようやく腰を下ろした。
途端に、体が重くなる。
喰骸瘴手で得たような奇妙な軽さは、もうほとんど残っていない。
やはり、あれは治癒ではない。
借り物の力だ。
死者の残り香を喰らって、一時だけ肉を動かした。
吉継は右手を見た。
指先は動く。だが、皮膚の下に黒い熱が沈んでいる。
己の病は、自分だけで完結していない。
喰らえば動ける。
ならば、動くために喰らう日が来るのか。
その問いを、吉継は声にしなかった。
前世でも、多くを殺した。
だが、喰らうことを戦と呼ぶには、まだ何かが違う。
「大谷さん」
エルネが文書袋を開いた。
「確認します。紹介状、通行控え、告発状。全部あります。濡れていません。私の肩より優秀です」
「よい」
「ただ、血封が少し目立ちます。青蝋で薄めても、黒い筋が残っています」
「それは隠せぬか」
「完全には。見る人が見れば、普通ではないと気づきます。隠し通すより、見せる相手を選ぶ方が現実的です」
「神殿か」
「たぶん。役人より、神殿の方が反応します」
吉継は水路の向こうを見た。
王都はまだ遠い。
だが、敵の目は近づいている。
そのころ、別の場所でも、黒い血封は見られていた。
西宿カランの役所裏。
灰羽の男は、濡れた袖を押さえながら、石壁に背を預けていた。
水車道で逃がされた男だ。
手首を斬られた術者と、膝を痛めた大男は別室で呻いている。弓兵だけが、かろうじて立っていた。
「本道にも、旧街道にも、水車道にもいないだと? あの白頭巾は煙か」
灰羽のまとめ役が、低く言った。
報告した男は歯を食いしばる。
「あの白頭巾が言いました。どこへ行くかは教えない、と」
「馬鹿正直に信じるのか」
「信じてはいません。ですが、あの男は水を使いました。地形も読んでいた。水車道を張られていることも分かっていたように見えます」
まとめ役は舌打ちした。
白頭巾。
病毒持ち。
影使い。
代書屋。
そして、紙を使う。
荒事だけで追うには、相手が悪い。
「東境へ報せを送れ。神殿にもだ。あの男はただの病毒持ちではない。病人の皮を被った策士だ」
部下が頷き、走り去る。
だが、報せはすでに別の形で動いていた。
東境神殿の小部屋。
青い封蝋の写しを受け取った司祭補セラは、灯の下で息を呑んだ。
蝋の奥に沈む、黒い筋。
それは、ただの血ではない。
聖印に触れれば、微かに煙を上げる。
光が拒まれている。
いや、光を喰っている。
「……病毒反応」
セラは呟いた。
だが、いつもの測定石で見る濁りとは違う。
もっと深い。
血そのものが、病を魔法として抱いている。
セラは背後の修道士へ振り返った。
「上へ報告を。急いで」
「捕縛命令ですか」
「いいえ」
セラは封蝋の写しを握った。
「浄化対象として扱えば、かえって危険かもしれません。あの男の血は、光を嫌うだけではない。触れた光を、内側へ引きずり込んでいる」
修道士の顔が青ざめる。
「では、何者なのです」
「分かりません。だからこそ、軽く扱えばこちらが焼かれます」
セラは正直に答えた。
「だから、上へ回すのです」
封蝋の黒い筋が、灯の下でかすかに脈打ったように見えた。
そのころ、排水塔の陰で、吉継は目を閉じていた。
眠ってはいない。
地脈俯瞰を細く使い、周囲の道を拾っている。
敵の動きはまだ見えない。
だが、水路の先に、人の流れがある。
王都外縁の門だ。
「近いな」
吉継が言うと、エルネが頷いた。
「昼前には外縁門に着けます。ただ、そこで通行控えを見せる必要があります」
「血封も見られる」
「はい」
「なら、隠すのではなく、先に出す」
エルネが瞬きをした。
「先に?」
「相手に見つけさせれば、相手は驚く。こちらから示せば、確認になる。驚いた者は、だいたい余計なことをする」
「……なるほど。怪しまれる前に、自分から提出する」
「そうだ」
チヨネが吉継の袖を引いた。
ふん。
前方。
吉継は立ち上がった。
朝霧の向こう、巡回の役人らしき影が二つ見える。
逃げるか。
出るか。
吉継は懐の通行控えに手を置いた。
ここから先は、剣を抜くほど不利になる。
紙で進む。
血で疑われるなら、血ごと道に変える。
「行くぞ。門の前で迷えば、それだけで疑われる」
白頭巾の奥から、静かな声が落ちた。
吉継は、朝霧の中へ踏み出した。
今回は、吉継側の移動と、灰羽・神殿側の反応を並行して描きました。
血封に残る黒い筋が、今後の神殿との対立をさらに大きくしていきます。




