↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大谷吉継 転生録 〜義は滅びず、再び剣を取る〜  作者: ひさめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/135

第16話:血封の紹介状

西宿カランの書き屋ノアのもとで、吉継たちは王都へ向かうための文書を整える。

剣ではなく、紙と封蝋が次の戦場になる。

夜の書き屋は、戦場よりも静かだった。

 だが、静かだから安全とは限らない。

 蝋を温める小さな火。羽根ペンが紙を擦る音。棚の奥で乾いた紙束が沈む音。外を歩く誰かの靴音。

 どれもが、刃の触れ合う音のように吉継の耳へ届いた。

 ノアの私室は狭い。

 机が二つ。棚が三面。窓は人ひとり通れないほど細く、木戸は一枚きり。隠れられる場所は見当たらない。

 灰羽(はいばね)が本気で踏み込めば、斬るしかない。

 だが、今は斬る時ではない。

 王都へ行くには道がいる。

 その道は、剣ではなく紙の上に引かれる。

「この書類だけで終わりではないですよ。相手は紙一枚なら破ります」

 エルネが早口で言った。

 彼女の指は震えている。だが羽根ペンは止まらない。恐怖はある。疲労もある。それでも、紙の上では迷わなかった。

「紹介状、通行控え、告発状、それから控えの控え。四枚いります。一枚でも欠けてはいけません」

「四枚か」

「はい。それほど厳重な取り調べになります。どれか一枚だけでは、相手に潰されます」

 吉継は頷いた。

 すべての書類を書き終えると、吉継は借りたペンを静かに置いた。

 エルネが書き上げた一枚を差し出す。

「問題が無いか確認するわ。おかしなところがあれば、すぐ止めて。ここで間違えると、王都で首を絞められます」

「頼む」

「大谷吉継。旅の傭兵として王都政務院外記局へ出頭予定。同行者、チヨネ。同行補助、代書屋エルネ・フォリオ。灰羽を名乗る者より追跡と襲撃を受けたため、身元確認および被害申立てのため王都へ向かう」

 吉継は耳で文字を追った。

 この世界の文字は読めない。

 だが、言葉の組み方は分かる。

 ここには余計な感情がない。怒りも恨みもない。だから強い。

「よい」

「次です。灰羽と東境神殿の関係は、断定しません。腹は立ちますが、断定すると逆に名誉毀損で潰されます」

「疑いに留めるのか」

「はい。証拠があるものだけ書きます。札、印、襲撃された場所、追手の特徴。悔しくても、紙の上では勝てる分だけで殴ります」

 吉継は静かに息を吐いた。

 まこと、紙の戦は厄介だ。

 敵を斬れば済む場面の方が、まだ分かりやすい。

 だが、分かりやすい勝ちほど、後で崩れやすい。

「エルネ」

「はい」

「ありがとう。助かる……」

 羽根ペンが止まった。

 エルネは顔を上げない。

「……私は書いているだけです」

「それでもだ。ここまでエルネの力添えがなかったら、ここまで来られなかった」

「そういうの、後にしてください。今言われると手元が乱れます。代書屋を泣かせたいんですか」

「すまない」

「謝罪も後です。謝る暇があるなら、血を止めてください」

 ノアが鼻で笑った。

「いいね。仕事中の代書屋らしくなってきた」

 チヨネが、ふんふん、と小さく鳴らした。

 誇らしげな音だった。

 エルネがちらりと見て、困ったように眉を下げる。

「褒められてます?」

「褒めている」

 吉継が答えると、チヨネはこくりと頷いた。

「……ありがとうございます」

 エルネは小さく言って、また紙へ向かった。

 その間、吉継は左手を開いた。

 指先の針傷は、すでに塞がっている。

 早すぎる。

 水門跡で喰骸瘴手(くがいしょうしゅ)を使ってから、体の奥が妙に軽い。病毒魔法を使えば削れるはずの肉が、どこかで補われている。

 まさか。

 肉体を喰らうほど、こちらの傷が戻るのか。

 吉継はその仮説を、胸の内で冷たく転がした。

 罪悪感は、不思議なほど薄かった。前世で多くを斬り、多くの死を見てきた。守るために殺すことを、今さら綺麗な言葉で覆うつもりはない。

 だが、喰らうとなれば話は別だ。

 これは武士の刃ではない。

 己の魂に刻まれた病が、死者の残り香を糧にしているのかもしれない。

 誰の何で。

 答えは出ない。

 吉継は掌を握った。

 考えるな。

 今は使えるものを使う。

 ただし、代償がないと思うな。

 ノアが蝋皿を吉継の前へ置いた。

「血をもう一滴」

 チヨネの影がぴくりと動く。

「大丈夫だ」

 吉継は静かな声で言った。

 チヨネは不満げに見上げたが、袖を掴むだけで止まった。

 ノアが針を刺す。

 赤い血が落ちる。

 赤い蝋の中で、黒い筋が一瞬だけ花のように開いた。

 ノアの手が止まる。

「……見たかい」

「見た」

 エルネも息を呑んでいた。

 血はすぐ赤に戻った。

 だが、蝋の奥に沈んだ黒い筋は消えない。細い根のように封蝋の中へ広がっている。

「普通じゃないです」

 エルネの声が低くなる。

「普通ではないことは知っている」

「違います。これは、認証として強すぎます。本人確認どころか、魔力印として残ります。下手な役人が見れば怖がります」

「なら弱められるか」

 ノアは封蝋を見つめた。

「薄めるしかないわ。私の組合印を重ねましょう。あと、青蝋(あおろう)も必要ね。少しでも旅人文書に見せます」

「青蝋」

「王都行きの旅人文書で使う。赤だけだと訴状の色が強い。青を混ぜれば、旅の紹介状として見える」

 色にも意味がある。

 吉継はまた一つ覚えた。

「頼む」

「頼まれたよ。だが、あんたの血は厄介だ。隠しきれない。王都に着いたら、必ず誰かの目に留まる」

「それまでに、見るべき者を選ぶ。先に敵へ見せるほど、俺は親切ではない」

「選べる立場かい」

「選べるようにする」

 ノアは短く笑った。

「そういう無茶を、紙で少しだけ現実にするのが私らの仕事だ」

 外で、馬が甲高く鳴いた。

 全員の手が止まる。

 続いて、荷車の車輪が急に軋んだ。誰かが怒鳴る。酒場の方で椅子が倒れる音。

 宿場の夜が、少しずつ乱れていく。

 チヨネの影が床を走った。

 ふん。

 短い警告。

「来たか」

 吉継は木戸へ目を向ける。

 だが、足音は木戸へ来ない。

 遠い。

 宿場の入口の方だ。

 エルネが窓の隙間から外を見ようとして、すぐ身を引いた。

「灰羽(はいばね)ではありません。宿場役人です。夜間検めに来ました」

「検め」

「宿場の見回りです。ただ、普通は夜には来ません。誰かが通報したのでしょう。おそらく灰羽(はいばね)でしょうね」

 ノアが舌打ちした。

「直接踏み込むと記録に残る。だから役人を動かしたね」

 吉継は机の上を見た。

 紹介状は半分乾いた。

 通行控えはまだ印がない。

 告発状は書きかけ。

 今、見つかるのはまずい。

 だが逃げれば、もっと弱い。

「どれを先に仕上げる」

 吉継が問うと、エルネは即答した。

「通行控えです。役人に見せるなら今これが要ります。紹介状は王都で効き、告発状はあとで使います」

「分かった。なら、休むことも命令として受ける」

 吉継は机の位置を見た。

 木戸から入れば、最初に見えるのはノア。次に机。奥にエルネ。チヨネは棚の影。

 ならば、見せるものを前に置く。

 隠すものは奥へ。

 吉継は書きかけの告発状を取った。

「これは棚へ」

「触るなら端だけです。墨が乾いてません」

 エルネが早口で言う。

 吉継は言われた通りに紙の端を持ち、棚の影へ差し入れた。

「チヨネ」

 こくり。

 チヨネの影が紙束の影に重なり、告発状を覆う。

 ただ隠すのではない。

 そこに最初から影があったように見せる。

「通行控えを前へ」

「はい」

 エルネが書き上げる。

 ノアが青蝋を混ぜる。

 吉継は木戸の横へ立った。

 正面ではない。

 入ってきた者の視界から半歩外。

 戦場識(せんじょうしき)。

 木戸。机。窓。棚。蝋皿。針。役人の足音。

 斬るためではない。

 斬らずに済ませるために、位置を読む。

 木戸が叩かれた。

「夜間検めだ。開けよ」

 ノアが返す。

「こんな夜更けに何の用だい」

「灰羽の者から、盗難文書が持ち込まれたとの届けがあった」

 ノアは机の上の通行控えへ印を押した。

 青と赤の混じった封蝋に、羽根ペンと秤の印が沈む。

「開けるよ」

 木戸が開いた。

 入ってきたのは、宿場役人が二人。

 片方は帳面を持ち、もう片方は腰に短剣を下げている。武人ではない。だが、後ろに控える男がいる。

 灰羽だ。

 役人の背後で、ただの案内人のように立っている。

 吉継は白頭巾の奥から見た。

 灰羽の男は、吉継の視線を避けた。

 先ほどの紙が効いている。

「旅人を匿っているな」

 役人が言った。

 ノアは通行控えを差し出す。

「匿っていない。正規の通行控えを作成中だよ。王都政務院外記局へ出頭予定の旅人だ」

「病毒持ちと聞いている」

「だから何だい。病毒持ちは紙を持てない決まりでもあるのかい」

 役人が言葉に詰まる。

 灰羽の男が口を挟もうとした。

「その男は」

「役人殿」

 吉継が静かに言った。

 声を荒げない。

 荒げれば、相手に恐怖を与える。恐怖を与えれば、相手は剣へ手を伸ばす。

 今必要なのは、剣ではない。

「俺は王都へ向かう。灰羽を名乗る者に追われ、襲われた件を申立てるためだ。ここに通行控えがある。確認を」

 役人は通行控えを受け取った。

 封蝋を見る。

 青と赤の奥に、黒い筋が沈んでいる。

 役人の眉が動いた。

 吉継はその動きを見逃さない。

 怖がった。

 だが、捨てなかった。

 ノアの組合印が効いている。

「……組合印は本物だな」

「当たり前だよ。偽物なら私の首が飛ぶ」

「同行者は」

 吉継はエルネを見た。

 エルネは一歩だけ前へ出る。

「代書屋エルネ・フォリオ。記録者です。必要なら読み上げます」

「いや、よい」

 役人は灰羽の男を見た。

 灰羽の男は不満を隠せない顔をしている。

 だが、ここで強く出れば、ノアの部屋で役人を使って文書を潰そうとしたことになる。

 紙の上の足場が崩れる。

「夜明けまでに宿場を出ろ」

 役人は通行控えを返した。

「王都へ向かうなら、東門ではなく北西の旧街道を使え。街道本道は混む」

 ノアの目が細くなった。

 助言か。

 それとも誘導か。

 吉継は答えを急がなかった。

「承知した」

 役人たちは去った。

 木戸が閉まる。

 足音が遠ざかるまで、誰も息をしなかった。

 最初に口を開いたのはエルネだった。

「北西の旧街道は危ないです」

「なぜだ」

「人通りが少なく、待ち伏せしている恐れがあります。役人が親切で言った可能性もありますが、灰羽(はいばね)の前で言った以上、聞かせるためかもしれません」

「なら、本道か」

「それも危ないです。混むから紛れられます。でも検問もあります」

 吉継は机の上の紙を見た。

 紹介状。通行控え。告発状。

 道は二つ。

 どちらも危うい。

 ならば、敵に選ばせるな。

「三つ目を作る」

 エルネが顔を上げた。

「道ですか」

「ああ。敵が本道と旧街道を見ているなら、その間を行く」

 地図が必要だ。

 そう思った瞬間、吉継の内側で、別の感覚が立ち上がった。

 水門跡で、敵の足場を読み、川の流れを利用した。あの時から、自分の中の何かが変わりつつある。

 視覚ではない。

 足の裏から地面へ、薄く魔力が染みていく。

 石畳。土。水路。低い土地。高い土地。流れる水の筋。

 目で見ていないはずの周囲の形が、ぼんやりと頭の奥に浮かび上がった。

 軍師魔法。

 地脈俯瞰(ちみゃくふかん)。

 上空から見下ろすように、己のいる場所と周辺の高低差、川筋、道の曲がりを魔力で掴む。完全な地図ではない。文字も建物の名も分からない。だが、地形の癖は読める。

 吉継は息を整えた。

「地図がなくとも、道の形は少し見える」

 エルネが目を見開く。

「今、何をしたんですか」

「分からぬ。だが、使える」

 チヨネが、ふんふん、と頷く。

 ノアは棚の奥から古い地図筒を取り出した。

「王都までの脇道地図だ。古い。橋が落ちてる場所もある。だが、灰羽が本道と旧街道を張るなら、使える」

 地図が机に広げられる。

 吉継には文字は読めない。

 だが、線は読める。

 川。丘。森。宿場。橋。

 地形は、どの世界でも嘘をつかない。

 吉継は指で川沿いの細い線を追った。

「ここを行く」

 エルネが地図を覗き込む。

「水車道です。荷車は通れません。徒歩なら行けます。でも途中に崩れた橋があります」

「橋が崩れているなら、追手の馬は使えぬ」

「こちらも渡れません」

「渡るとは限らぬ」

 エルネが黙る。

 そして、はっとした顔をした。

「川沿いを行って、橋の手前で水車小屋へ入る。そこから用水沿いに王都外縁へ抜ける」

「できるか」

「できます。たぶん。地図が古いので、確認はいります」

「十分だ」

 ノアは地図を巻いた。

「夜明けまで、あと少し。紹介状と告発状を仕上げるよ。あんたたちは座って休みな」

「休む時間は」

「ある。休むのも仕事だ」

 吉継は反論しかけた。

 だが、チヨネが袖を掴む。

 ふん。

 これは命令に近い音だった。

 休め。

 吉継は静かに息を吐いた。

「分かった」

 腰を下ろすと、急に体の重さが戻ってきた。

 右腕が疼く。

 肺が重い。

 喰骸瘴手で遠のいていた痛みが、少しずつ戻ってくる。

 やはり、治ってはいない。

 ただ、借りていただけだ。

 何から借りたのかは、まだ分からない。

 チヨネが隣に座り、影を吉継の影へ寄せた。

 エルネは眠らない。

 ノアも眠らない。

 紙の上に、王都へ向かう道が少しずつ形を得ていく。

 夜明け前。

 白頭巾の奥で、吉継は目を閉じた。

 剣では斬れぬ敵がいる。

 ならば、紙で足を止める。

 紙でも止まらぬ敵がいる。

 ならば、地形で動きを殺す。

 それでも迫る敵がいるなら。

 その時は、斬る。

 守る者を勝たせるために。

 夜の底で、青い封蝋が静かに固まった。

今回は、吉継が文書と封蝋の重みを学ぶ回でした。

エルネの代書屋としての強み、ノアの老練さ、吉継の血に残る病毒の異常性、そして新たな軍師魔法が少しずつ見えてきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。