第19話:外縁門の血封
王都外縁門へ辿り着いた吉継たち。
血封の黒い筋を隠すのではなく、先に示すことで門を越えようとする。
王都外縁門は、朝霧の向こうに黒く立っていた。
石造りの門楼は高い。左右には見張り台があり、槍を持った兵が二人ずつ立っている。門の前には荷馬車と旅人の列ができ、通行控えを持つ者、持たぬ者、荷を改められる者が順に止められていた。
王都。
その言葉だけで、空気の重さが変わる。
吉継は列の最後尾に立ち、白頭巾の奥から門を見上げた。
ここを越えれば、王国の中枢に近づく。
この王都のどこかに、いる。
根拠はない。
だが、関ヶ原で果たせなかった約束の残り火が、胸の奥でかすかに疼いていた。
三成に似た魂が、この都のどこかにある。
まだ顔も知らぬ。声も知らぬ。名も知らぬ。
今度こそ守る。
そのために、この門を越える。
「大谷さん」
エルネが文書袋を抱え直した。
「外縁門では、先に通行控えを見せます。聞かれたら紹介状。告発状は最後。最初から全部出すと、逆に怪しまれます」
「血封は」
「隠せません。隠して見つかる方がまずいです」
「なら、こちらから出す」
「はい。見つけられる前に、確認させます」
チヨネが吉継の袖を掴んだ。
ふん。
心配。
吉継は袖を掴む小さな指に目を落とした。
「大丈夫だ。斬る場ではない。ここでは刀より、紙を前に出す」
チヨネはこくりと頷くが、影は吉継の足元から離れない。
列が少しずつ進む。
役人は三人。
一人は帳面を持つ中年の男。もう一人は若い兵。三人目は、門の横に立つ白い法衣の女だった。
神殿関係者。
胸元に光神教の印がある。
エルネが小さく息を吸った。
「神殿の検査役がいます」
「珍しいのか」
「毎日ではありません。灰羽の報せが回った可能性があります」
「想定内だ」
「本当に? 半分以上は読めていた顔ですけど」
「半分はな。残り半分は、門の顔を見てから決める」
すべて読めていたわけではない。
だが、血封の黒い筋が神殿の目に留まる可能性はあった。隠せないなら、隠さない。相手に見つけさせず、こちらから差し出す。
発見ではなく確認にする。
門前で逃げる者と、出頭する者では、見え方が違う。
吉継たちの番が来た。
帳面の役人が顔を上げる。
「三名か。目的は」
吉継は一歩前へ出た。
「王都政務院外記局へ出頭する。灰羽を名乗る者から追跡と襲撃を受けた件を、申立てるためだ」
役人の眉がわずかに動いた。
先に言う。
敵に名を出される前に、こちらが名を出す。
吉継はエルネへ視線を向けた。
エルネはすぐ通行控えを差し出す。
「西宿カラン書き屋組合、ノアの立会印があります。本人確認の血封も封じています」
役人は文書を受け取り、封蝋を見た。
青と赤の混じる蝋。
その奥に沈む黒い筋。
若い兵が一歩下がる。
白い法衣の女だけは、目を細めた。
「その封蝋、見せてください」
声は穏やかだった。
だが、穏やかな声ほど厄介な時がある。
役人は迷ったが、法衣の女へ通行控えを渡した。
女は封蝋へ指を近づける。触れる寸前、指先に淡い光が灯った。
チヨネの影が跳ねる。
「待て」
吉継は低く制した。
チヨネの影が、ぎりぎりで止まる。
法衣の女は吉継を見た。
「浄光反応を確認するだけです」
「その光は、俺には毒になる。善意でも、触れれば肉が焼ける」
若い兵が顔をしかめる。
「光が毒だと?」
「この体は病毒に適応している。光で正常に戻そうとすれば、かえって壊れる」
法衣の女の表情が初めて揺れた。
「……自覚があるのですね」
「ある。だから先に言った。ここで倒れれば、あなたも困るだろう」
女は指先の光を弱めた。
だが、完全には消さない。
封蝋の黒い筋が、光へ反応して微かに脈打つ。
同時に、吉継の右腕の包帯の下が熱を持った。
焼ける。
軽い光ですら、内側の病毒を逆撫でする。
吉継は表情を変えない。
静かな声を保つ。
「検めるなら、文書を検めよ。俺の肉ではなく。門前で人を焼くのは、そちらの本意ではあるまい」
役人が咳払いをした。
「検査役殿。ここは門前です。列も詰まっております」
法衣の女は封蝋を見つめたまま言った。
「この血は危険です」
「危険だからこそ、王都で申立てる。危険なものを門前で握り潰す方が、よほど危うい」
吉継は即座に返した。
「地方で灰羽に追われ、神殿の印に近い札も見つかった。ここで俺たちを止めれば、申立てそのものを門前で潰したことになる」
女は黙った。
役人の目が変わる。
エルネがすかさず口を開いた。
「告発状もあります。ただし、ここでは提出しません。外記局で受理印を得るための文書です。門前で開封すれば、記録の扱いが曖昧になります」
早口だが、言葉は乱れない。
役人はエルネを見た。
「代書屋か」
「エルネ・フォリオ。記録者です」
「なるほど」
法衣の女は封蝋から指を離した。
吉継の右腕の熱が、ようやく少し退く。
だが痛みは残った。
チヨネが袖を強く掴む。
吉継はわずかに頷く。
気づいている。
だが、ここで崩れるわけにはいかない。
法衣の女が言った。
「通しても、王都内で監視はつきます」
「構わぬ」
「逃げれば、捕縛対象になります」
「逃げるために来たのではない。逃げるだけなら、王都の門など選ばぬ」
吉継は役人へ向き直った。
「外記局へ向かう。通行を認められたい」
役人は通行控え、紹介状、吉継の顔、チヨネ、エルネを順に見た。
最後に、封蝋へ視線を落とす。
青と赤。
黒い筋。
役人は帳面へ何かを書き込んだ。
「王都外縁門、通行を認める。ただし、外記局へ直行すること。途中で問題を起こせば、この控えは無効とする」
エルネの肩が、目に見えて下がった。
チヨネの影がふわりと緩む。
吉継は深く頭を下げなかった。
ただ、静かに頷く。
「承知した」
門が開く。
内側から、王都の音が流れ込んだ。
鍛冶の槌音。
商人の声。
馬車の車輪。
遠くで鳴る鐘。
人の数が違う。
匂いも違う。
権力と金と欲が、石畳の上で熱を持っている。
吉継は門を越えた。
その一歩で、長く続いた逃走が終わるわけではない。
むしろ、ここからが本当の戦場だ。
だが、入った。
王都に。
ミセリアへ近づくための、最初の門を越えた。
「大谷さん」
エルネが小声で言った。
「入りました」
「ああ」
チヨネが、ふんふん、と小さく鳴らす。
嬉しさを抑えきれない音だった。
吉継はその頭に軽く手を置いた。
「よく耐えた。影を出さずに我慢する方が、斬るより難しい時もある」
チヨネは目を細める。
その時、門の外側で白い法衣の女が、誰かに小さな札を渡していた。
吉継は見逃さない。
監視はつく。
ならば、監視されることも使えばいい。
吉継は懐の軍配に指を触れた。
王都の道は広い。
だが、広い道ほど、人の流れは読める。
ここで必要なのは、剣ではない。
まずは外記局。
紙を受理させる。
そして、この国の中枢へ近づく。
白頭巾の奥で、吉継は静かに息を吸った。
王都の空は、朝霧の向こうで鈍く光っていた。
◇
王都政務院の奥、書類の山に囲まれた執務室で、ひとりの女性が報告書に目を落としていた。
白い指が、紙面の一点で止まる。
病毒持ちの男。
白頭巾。
血封に黒い筋。
灰羽との衝突。
政務院外記局への出頭予定。
女性はしばらく黙っていた。
机の上には、未決裁の書類が整然と積まれている。どれも王国の税、治水、兵糧、孤児院、神殿予算に関わるものばかりだ。
彼女はそのすべてを、感情のない目で処理していた。
だが、その報告書だけは、なぜかすぐに次へ送れなかった。
「病毒持ちが、王都に入った」
声は静かだった。
驚きも嫌悪もない。ただ、事実を置く声。
補佐官が緊張した面持ちで尋ねる。
「宰相閣下、外記局へ回しますか」
「回す。だが、その前に」
女性は報告書を閉じた。
そして、ほんのわずかに目を細める。
「会ってみるわ。病毒持ちが自分から門を叩くなら、理由を聞く価値はある」
ようやく吉継たちは王都へ入りました。
そして最後に、王都中枢側も吉継の存在を知ります。次回から、政務院と外記局、そして「あの女性」へ物語が近づいていきます。




