第14話:水門の死地・後
水門跡で灰羽の追手と魔物に囲まれた吉継たち。
魔法と刃が飛び交う中、吉継は守るために斬る覚悟を固めます。
弓の男が矢を番える。
狙いは吉継ではない。
エルネだ。
吉継は即座に右へ動いた。だが足元の水が遅い。間に合わない。
弦が鳴る。
その直前、チヨネがエルネの前へ飛び出した。
「チヨネ!」
影が立ち上がる。
矢は影に呑まれ、勢いを殺されて床に落ちた。
だがチヨネの顔が歪む。完全には消せていない。影を無理に厚くした反動か、彼女の足元がふらついた。
吉継の中で、何かが冷えた。
弓の男が二本目を取る。
「便利だな、その娘。売れば高くつく」
吉継は左手を振った。
腐蝕糸が水面を走る。
男は嘲るように後退した。だが糸は男ではなく、弓へ向かった。
弦。
留め具。
矢筒の革紐。
腐蝕糸は生き物のように絡み、音もなくそこを食んだ。
男が矢を引いた瞬間、弦が切れた。
「なっ」
吉継は走った。
水を蹴る。血が喉に上がる。右腕が軋む。
それでも走る。
守るべきものが増えた。
ならば、傷つく順も決まっている。
最初は自分だ。
弓の男が短剣を抜く。
遅い。
吉継の刀が男の手首を打つ。短剣が飛ぶ。次いで、肩口へ一撃。男は壁に背を打ち、息を詰まらせた。
「ま、待て。金なら」
「命に代えられるものなどない。お前が奪おうとしたものも、同じだ」
吉継は刃を返した。
男の顔から血の気が引く。
「俺は」
「聞かぬ。今さら命乞いで軽くなる罪ではない」
刀が閃いた。
男は崩れ落ちる。
吉継は倒れた男たちを順に見た。
まだ息がある者が、指先だけを動かしている。
灰羽の印を持つ者を逃がせば、あとで刃がエルネの背に届く。チヨネの小さな肩に届く。
吉継は目を伏せなかった。
「エルネ。チヨネ。奥を見ていろ」
エルネが息を呑む。
チヨネは一瞬だけ迷い、吉継の顔を見上げた。
「頼む」
こくり。
二人が鉄柵の方へ向いたのを確かめ、吉継は残った息を断った。
水音が、短く途切れた。
水門跡に、水音だけが戻った。
エルネは壁に背をつけたまま、両手で口を押さえていた。
チヨネは、倒れた男ではなく吉継を見ている。
責めてはいない。
ただ、見ている。
吉継は血を払った。
「見るなと言うのは遅いな。だが、覚えなくていい。これは俺が背負う」
エルネが震える声で言う。
「……殺したんですね」
「ああ」
「迷わず」
「迷えば、お前かチヨネが死んだ。俺は、その方がずっと怖い」
エルネは目を伏せた。
吉継は続けた。
「すまない。エルネには迷惑をかけた」
その言葉に、エルネの肩が小さく震えた。
チヨネが吉継の袖を掴む。
ふん……。
甘えではない。
叱責でもない。
痛いのか、と問う音だった。
「少しだ」
チヨネがじっと見上げる。
「嘘ではない。少しで済ませる」
納得していない顔で、チヨネは袖を離さなかった。
その時、奥の鉄柵の向こうで水が盛り上がった。
まだ終わっていない。
泥噛み犬の残った一匹が、浅瀬を這うように起き上がっていた。口だけの顔が、チヨネへ向く。
吉継は刀を構え直す。
だが、その前にエルネが叫んだ。
「左の栓です! 古い水門なら、そこを抜けば水が落ちます!」
吉継は視線を走らせた。
左壁の腰の高さに、錆びた鉄輪。
なるほど。
この娘は、戦えない。
だが、場を読む目がある。
「チヨネ、影であの輪を引けるか」
こくり。
「エルネは俺の後ろへ」
チヨネの影が鉄輪へ伸びる。錆びた輪がぎしぎしと鳴った。泥噛み犬が跳ぶ。
吉継は真正面から迎えた。
逃げない。
魔物の口が開く。
その寸前、鉄輪が抜けた。
床下で何かが外れ、水門跡の浅瀬が一気に渦を巻く。泥噛み犬の体が足元から崩れ、流れに取られた。
吉継は一歩踏み込み、首に当たる部分へ刃を入れた。
黒い泥が割れ、水に呑まれていく。
沈黙。
今度こそ、敵はいなかった。
吉継は二人を振り返らせなかった。
左手を下げる。
喰骸瘴手。
黒灰色の瘴気が床を這い、倒れた男たちと散った血を布で包むように覆った。中で何が起きているかは見せない。ただ、湿った音だけが水門の石に吸われ、やがて瘴気は小さく萎んだ。
残ったのは、濡れた石と、薄い黒染みだけだった。
その瞬間、吉継の右腕に走っていた痛みが、ふっと遠のいた。
包帯の下で裂けていた皮膚が、内側から寄せられるように熱を持つ。指先に残っていた痺れが薄れ、肺の奥の焼けつく感覚も、わずかに浅くなった。
治った、のではない。
光の癒やしのような清らかさはない。むしろ、誰かの体温と、誰かが戦場で覚えた動きの癖が、黒い水のように自分の内へ流れ込んだ感覚だった。
吉継は眉をひそめる。
なぜ、動ける。
病毒魔法を使えば、肉は削れるはずだった。
今、何を食った。
吉継は刀を鞘に納めた。
その瞬間、喉の奥から血が上がる。
咳を殺しきれなかった。
白布の内側が熱く濡れる。
「大谷さん!」
「寄るな」
吉継は片手で制した。
光魔法はない。だが、この世界の者が慌てて治療を試みれば、何が起こるか分からない。
自分の体は、自分で押さえる。
瘴息鎮め(しょうそくしずめ)。
体内に暴れた病毒魔力を押し戻す。肺の熱が少しだけ沈む。代わりに、右腕の包帯の下で、針を束ねたような痛みが走った。
チヨネが無言で吉継の袖を引く。
休め。
そう言っている。
「ここでは休めん。血の匂いが残る」
エルネが震える手で、落ちた矢筒を拾った。
「この灰羽の印……やっぱり東境神殿の裏仕事に使われる仲介印です。ここで戻らなかったら、次はもっと大きい手が来ます」
「なら急ぐ」
「でも、あなた、その体で」
「体の都合で守る相手を減らすつもりはない。そんな勘定を始めたら、俺は俺でなくなる」
吉継は水門の奥を見た。
鉄柵の横に、人ひとり通れる隙間がある。西へ抜ける風がそこから来ている。
「エルネ。宿場まで、あとどれほどだ」
「半刻ほどです。西宿カラン。人は多いけど、書き屋の組合があります。そこで偽装ではなく、正規の紹介状を作れるかもしれません」
「正規か」
「はい。危ない橋ですが、私の名前で頼める人が一人います」
危ない橋。
吉継はその言葉を胸中で転がした。
危ない橋なら、すでに渡っている。
関ヶ原でも、敦賀でも、そしてこの見知らぬ世界でも。
それでも渡る。
守ると決めた者がいる限り。
「行くぞ」
チヨネが、ふんふん! と鳴いた。
今度は、少し興奮を帯びた強い音だった。
任せて。
そう聞こえた。
吉継は短く頷いた。
「ああ。頼りにしている。お前の道案内が、今の俺たちの命綱だ」
チヨネの影が、吉継の影に寄り添った。
三人は水門の隙間を抜ける。
背後で、水が血と泥の匂いを押し流していく。
だが、吉継は知っていた。
流れたものは、消えたわけではない。
ただ、次の場所へ運ばれるだけだ。
追手も、敵意も、己の病も。
そして、守ると決めた誓いも。
西の風の先に、宿場の屋根がかすかに見えた。
今回は水門跡での戦闘後半です。
吉継の病毒魔法、喰骸瘴手による不可解な回復、そして西宿カランへ向かう流れを描いています。
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