第145話 もう一人の聖女
王都から半日の距離に、白花修道院はあった。
戦災孤児と、光の素質を持つ子供を育てる小さな修道院である。その中庭で、カタリナ・アレクシアは傷ついた白い小鳥を両手に包んでいた。
「もう痛くないの。怖かったですね」
指の間から、柔らかな光が漏れる。
折れていた翼がゆっくりと動き、小鳥は彼女の手から飛び立った。カタリナは白い髪を揺らし、紫の瞳を細めて見送る。
十五歳。背は同年代より低く、身体も細い。
白銀に淡い桃色を含んだ髪は腰近くまで伸び、左右で細く編まれている。象牙色の修道服には、光神教の十字架ではなく、八本の光輪を重ねた聖女候補の紋章が刺繍されていた。
「カタリナ様。王都大神殿から、お迎えが参りました」
修道女の声に、カタリナは勢いよく振り返った。
「お姉様が来たのですか?」
「いいえ。高位司祭様からの使者です」
期待に満ちていた顔が、少しだけ曇った。
◇
礼拝堂には、白金の法衣をまとった老司祭が待っていた。
祭壇には純白の封書が置かれている。カタリナは椅子へ座るより先に、その封へ押された印を見つめた。
「これは、聖女継承の印なのです?」
「よく学んでいますね」
「お姉様が教えてくださいました。聖女の光は、一人の力ではなく、皆を守るために受け継がれるものだと」
カタリナは嬉しそうに胸を張った。
老司祭は穏やかに笑う。
「そのジゼリア様が、いま危険な状態にあります」
「怪我をしたのですか?」
「肉体ではありません。病毒を操る男と長く行動をともにし、心を惑わされているのです」
カタリナの笑顔が消えた。
「お姉様が、病毒に?」
「神殿の名を無断で使われても、その男を裁こうとしない。教団の会計へ混乱を起こし、高位司祭の命令にも従わなくなりました」
老司祭は、王都から持参した報告書を差し出した。
そこには、ジゼリアの名で保存聖油の査察が告げられ、神殿から帳簿が奪われたと書かれている。ガリア家から救貧金が流れていた事実は、どこにも記されていなかった。
カタリナは何度も紙を読み返す。
「でも、お姉様は弱い人を見捨てません。理由もなく神殿を混乱させるはずがないのです」
「ええ。ですから、病毒持ちに利用されたのでしょう」
「それなら、お姉様も被害者なのです?」
「その通りです」
老司祭の言葉に、カタリナは小さく息を呑んだ。
彼女は言葉の矛盾を見つけることに長けている。だが、見せられなかった事実までは疑えない。
「私に、何ができますか」
「ジゼリア様が背負う聖女の加護を、貴女が受け継ぐのです」
「私が、お姉様の光を?」
「光を奪うのではありません。重すぎる使命を貴女が引き受け、ジゼリア様には聖女の任を離れていただく。その後を、貴女が守るのです」
カタリナは不安そうに胸元の紋章を握った。
「お姉様には、もう会えなくなるのですか」
「儀式の後すぐには難しいでしょう。病毒の影響を清めるため、静かな場所で休んでいただきます」
老司祭は問いへ直接答えなかった。
期間も、静養する場所も答えられていない。だがカタリナは、長い療養へ入るのだと受け取った。
「お姉様が苦しんでいるのなら、助けたいです」
「さすがは、第二の聖女です」
「まだ聖女ではないの。私は、お姉様みたいに強くありません」
カタリナは膝の上で拳を握る。
「でも、お姉様が休めるなら頑張るのです。今度は私がお姉様を守ります」
◇
カタリナがジゼリアと初めて会ったのは、三年前だった。
聖女候補の選別試験で、彼女は大きな聖盾を作れなかった。周囲の候補者が半球の結界を広げる中、カタリナが出せたのは、自分の身体を隠すほどの小さな光輪だけだった。
「こんな小さな盾では、誰も守れないの」
礼拝堂の隅で泣いていたカタリナへ、遠征から戻ったばかりのジゼリアが近づいた。
「では、まず一人を守ればよい」
「一人だけ?」
「一人を守れない者に、大勢は守れない。小さいことは、恥ではありません」
ジゼリアは床へ膝をつき、カタリナと目線を合わせた。
「その盾を、私に見せてください」
震えながら作った光輪を、ジゼリアは壊そうとしなかった。
手で触れ、強度を確かめ、最後に笑った。
「十分に温かい。傷ついた者のそばへ置くなら、これほど優しい盾はありません」
その日から、カタリナにとってジゼリアは姉であり、憧れであり、自分が進む道そのものになった。
◇
二日後、純白の馬車が王都大神殿へ到着した。
カタリナは修道服から、白と水色の聖礼装へ着替えている。肩には短い外套、腰には細身の儀礼剣。頭上には魔力で作られた八つの光輪が、花びらのようにゆっくり回っていた。
石段の上で、高位司祭たちが彼女を迎える。
「ようこそ、カタリナ・アレクシア。貴女こそ、次代を照らす純白の光です」
カタリナは誇らしげに胸を張った。
それでも最初に尋ねたのは、自分がいつ聖女になれるかではなかった。
「お姉様は、どこにいるのです?」
「まもなく、こちらへお戻りになります」
「では、私が助けると伝えてください。もう一人で頑張らなくてよいのです」
高位司祭は笑みを崩さなかった。
カタリナもまた、何の疑いもなく微笑んだ。
自分が受け継ぐ光と引き換えに、最愛の姉から何が失われるのか。
まだ、何も知らなかった。




