第13話:橋下の誓い(後)
エルネが小さく息を吐く。
「二人の会話、分かるようで分からないわ」
「私も、すべて分かるわけではない。だから見落とさぬように見ている」
「でも通じてる」
「通じるように見ている」
エルネは少し黙った。
その目が、チヨネの影を見る。
「あの子、ずっと怖かったんでしょうね」
チヨネが反応する。
吉継は、エルネへ視線を向けた。
「分かるのか」
「代書屋は、人の言いにくいことを聞く仕事でもあるの。文字を書けない人は、代わりに誰かへ伝えるために私の前で話す。借金、謝罪、遺言、婚約破棄、告発。だいたい、声より手を見る」
エルネはチヨネの指先を見た。
「食べ物を前にしても、あなたが言うまで手を伸ばさなかった。さっき袖を掴んだ時も、離したら置いていかれると思っているみたいだった」
チヨネは外套の中へ顔を隠した。
「ふん……」
困惑。
恥ずかしさ。
少しだけ、見抜かれた怖さ。
吉継はチヨネの前に手を置いた。
「無理に話さなくてよい。言葉にならぬものまで、急いで差し出さなくていい」
チヨネはこくりと頷く。
エルネもそれ以上は踏み込まなかった。
橋の上を、人が走る音がした。
三人は同時に黙る。
声が聞こえる。
「こっちに来たはずだ!」
「川沿いを見ろ!」
灰羽か。
それとも、騒ぎを聞いた市の者か。
吉継は川の流れを見た。
橋の下から、低い水路が続いている。
人が立って歩くには浅いが、身をかがめれば進める。
「ここにも長くはいられぬ」
エルネが顔をしかめた。
「どこへ行くの」
「王都へ向かう」
「無理」
即答だった。
吉継はエルネを見る。
「王都へ行く理由は二つある。一つは、敵の目を散らすためだ。境の町や灰橋に留まれば、神殿も捕縛屋も人を集めて囲みに来る。人の多い王都なら、身を隠す余地も、正規の文書を得る道もある」
吉継は濁った水面を見た。
「もう一つは、この国の中枢を知るためだ。誰が病毒を持つ者に敵意を向けさせているのか。神殿がどこまで関わっているのか。俺はこの世界の理を知らぬ。ならば、逃げながらでも学ぶしかない」
「通行証がいる。巡礼道は神殿の目がある。商隊に紛れるなら身分がいる。あなたは目立つ。その子も目立つ。私は巻き込まれて目立つ。最悪」
「解決策は」
「偽装通行証。読める地図。できれば商隊の荷札。あと、あなたが文字を少しでも読めるようになること」
吉継は頷いた。
「貴殿は作れるか」
「作れるけど、材料がいる。白紙の通行証、印の型、まともなインク、あと時間」
「場所は」
「この市にはない。西へ半日行ったところに、紙問屋を兼ねた宿場がある。灰羽より先に着ければ、何とかなるかもしれない」
「案内できるか」
「できるけど、対価は高いわよ」
「生存。まずは貴殿が明日も文句を言える状態にする」
「それは最低条件」
「では、王都まで無事に近づけたら、貴殿が安全に離れられる状況を作る」
エルネは目を細めた。
「約束?」
「約束だ」
「契約書にしたいところだけど、今は紙も時間もないわね」
「口約束では足りぬか。紙がなくとも、約束を軽く扱うつもりはない」
「普通は足りない。でも、あなたは約束を軽く言う人じゃなさそう」
吉継は、少しだけ目を伏せた。
約束。
その言葉は重い。
前世で果たせなかったものが、まだ胸の奥に刺さっている。
「約束は、守るためにある。破るくらいなら、最初から口にせぬ」
エルネは何かを感じ取ったのか、それ以上茶化さなかった。
「分かった。西の宿場まで案内する。ただし、途中で倒れないで」
チヨネが強く頷いた。
「ふん」
絶対に倒れさせない。
そんな顔だった。
吉継は立ち上がった。
膝がわずかに揺れる。
チヨネがすぐ支える。
エルネも反対側から肩を貸そうとして、途中で迷った。
「触って平気?」
「光魔法でなければ」
「私、代書屋。光らない」
「なら大丈夫だ」
エルネは吉継の左側を支えた。
「重っ」
「すまぬ」
「謝るなら少し軽くなって」
「努力する」
「無理な努力はしないで」
チヨネが、また小さく鼻を鳴らした。
「ふん」
同意。
橋の上の足音が近づく。
吉継は水路の先を見る。
暗い。
狭い。
だが、進める。
守るべき者が二人になった。
身体は削れている。
追手は増えている。
それでも、道はある。
ならば進む。
吉継は白布の下で、静かに息を整えた。
「行くぞ。橋の下で震えている時間は、もう終わりだ」
チヨネが頷く。
エルネが鞄を抱え直す。
三人は橋の下の水路へ足を踏み入れた。
冷たい水が足首を濡らす。
朝の光は、もう届かない。
だが、影は濃くなった。
チヨネの影が、吉継の影とエルネの足元を包むように広がる。
守るための影。
その中を、三人は西へ進んだ。
お読みいただきありがとうございます。
今回は戦闘後の代償と、吉継・チヨネ・エルネの関係を整える回でした。
吉継は「使わない」とは言えませんが、「使い方を誤らない」とチヨネに誓います。




