第129話 走る指輪
東棟の封鎖が始まった。
屋根と鐘楼はトモエリア。地下通路はチヨネと双影。各部屋にはミセリアが選んだ政務官が二人一組で入る。
王妃から預かった三本の鍵は、別々の証人が見守る前で開けることになった。
「ハアーーー……人を増やせば、その分だけ口も増えるわ」
カレンは焼け残った風筆を見つめ、目元を指で揉んだ。
「だが、一人で調べれば証拠を仕込んだと言われる」
吉継が答えると、カレンは腰の銭袋を一度鳴らした。
「分かっているわ。潔白を証明するにも金がかかる。嫌な国ね」
「その国から給金を受け取っているのは誰だ」
「私よ。だから、使った分はきっちり働く」
気だるげだった金色の瞳に、鋭い光が戻った。
◇
三室の捜索が始まっても、対の指輪は見つからなかった。
王妃の私室には宝石箱が七つあったが、すべて使用人の前で確認された。救貧局の保管庫にも、王族礼拝室の内側にもない。
「やはり王妃殿下は潔白だ!」
廊下で待つ侯爵が、早くも声を上げた。
ミセリアは扉から目を離さない。
「調査は終わっていない。口を挟むな」
「どこまで王妃殿下を侮辱するつもりだ!」
「声を張っても、捜索は早く終わらない」
冷えた声に押され、侯爵は唇を噛んだ。
吉継は三室の外へ目を向けた。
指輪を持つ者が捜査の動きを知っているなら、部屋へ置いたままにはしない。すでに別の場所へ移したか、今まさに運んでいる。
「カレン。焼けた羽根から指輪の位置を追えるか」
「近ければね。対になった魔力は、片方を動かせばもう片方へ戻ろうとする。ただし、この羽根は半分以上燃えている」
カレンは金色の瞳を細めた。
「無理に調べれば、其方の目が先に潰れるか」
「あら。会ったばかりの女を心配するの?」
「使える目を、考えなしに失わせるほど愚かではない」
「優しい言葉を期待した私が馬鹿だったわ」
口では呆れながらも、カレンはわずかに笑った。
吉継は王宮の見取り図へ指を置く。
「すべてを見る必要はない。三室から北庭へ出る道は四つ。そのうち、箱や指輪を隠したまま人目を避けられるのは、礼拝室裏の階段と地下排水路だけだ」
「二本に絞れれば、目の代金も半分で済むわね」
カレンが焼けた羽根へ手をかざした。
金色の数字が瞳の奥を走る。
羽根の軸が、白布の上で小さく震えた。
一度、礼拝室へ向く。
次の瞬間には、北へ動いた。
「指輪が移動している」
カレンの声から眠気が消えた。
「礼拝室の裏。速いわ。走っている」
◇
吉継は階段へ向かわなかった。
見取り図に描かれた水路を指でなぞり、その先にある北庭の古井戸へ走る。
逃げる者は追手から離れようとする。だが、証拠を消すだけなら遠くへ行く必要はない。
深く、拾いにくい場所へ捨てればよい。
北庭の植え込みが揺れた。
灰色の上着をまとった壮年の男が、井戸へ駆け寄る。王妃付き救貧局の局長だった。
その右手には、青白い石をはめた銀の指輪が握られている。
「チヨネ」
呼ぶ必要はなかった。
井戸の縁から二本の影が伸びた。
一方が男の足首へ絡み、もう一方が右手を下から押し上げる。指輪は井戸へ落ちず、石畳の上を跳ねた。
「ふん!」
植え込みから現れたチヨネが指輪を拾う。
双影は男の背中へ乗り、両腕を影の帯で縛り上げた。本物と同じ顔で胸を張っている。
チヨネも負けじと胸を張った。どちらも吉継に褒められるのを待つ顔だったが、今は先に男を止めなければならない。
男は自由な指を口元へ運ぼうとした。
毒を飲むつもりだ。
吉継は手首へ刀の鞘を打ちつけた。
「その毒を飲めば、命令した者だけが助かる。それでも、其方は一人で死ぬのか」
男の口から、小さな黒い粒が転がり落ちた。
「王妃殿下は関係ない!」
局長は石畳へ押さえつけられながら叫んだ。
「私はただ、殿下のお名前が汚される前に指輪を捨てようとしただけだ!」
「なぜ、指輪の場所を知っていた」
男の顔が強張る。
「今朝、机の中に命令書が入っていた。鐘が三度鳴ったら、保管庫の床下から指輪を出し、北の井戸へ捨てろと……」
「誰の命令だ」
「王妃殿下の御心を守れと書いてあった! 署名はない。それでも、私には従う義務がある!」
吉継は答えず、チヨネから指輪を受け取った。
内側に、細い文字で十二と刻まれている。
本物だった。
吉継はチヨネの頭へ手を置いた。双影も当然のように隣へ並んだため、冷たい影の頭も同じように撫でる。
二人のチヨネが、揃って満足そうに目を細めた。
遅れて到着したミセリアとカレンが、局長の前で足を止める。
カレンは指輪へ鑑定眼を向け、すぐに眉を寄せた。
「この男の魔力ではないわ。もっと淡くて、光属性に近い風が残っている」
王族礼拝室で使われる風と聖属性。
また王妃の名。
だが、署名はない。命令を置いた者も見ていない。
「これでも王妃殿下を疑うのか!」
局長が声を振り絞った。
「違う」
吉継は静かに男を見下ろした。
「王妃殿下を守るという言葉で、其方まで罪を犯すよう仕向けた者を疑っている」
救貧局長の顔から、怒りが消えた。
代わりに浮かんだのは、自分も使い捨てにされたのではないかという恐れだった。
ミセリアが指輪と黒い毒を別々の布へ包む。
「局長を拘束する。命令書を回収し、机へ触れた者を調べる」
吉継は青白い石を見た。
指輪は捕らえた。
次に追うべきものは、そこへ残った光と風の魔力だった。




