第124話 王国の値札
パトリア・クレアは、使節団に絨毯を広げさせた。
織られていたのは海と大河だけではない。王国の主要街道、港、河川、そして領境に置かれた関所まで、色の違う糸で示されている。
「共和国の港から王都まで、荷車一台に十三回の税がかかるわ」
クレアは金の扇で、絨毯の上を順に指した。
「橋を渡る税。道を使う税。領内へ入る税。市で売る許可札。荷物を守るという名目の警護料。これでは品物より、通る許しの方が高い」
ガリア派の伯爵が顔をしかめた。
「道を守るには銭がかかる。商人が負担するのは当然だ」
「ええ。当然よ。けれど十三人が同じ荷から取れば、最後に払うのは民です。塩も、鉄も、薬も高くなる」
クレアは伯爵を責めなかった。ただ、事実として値段を置いた。
商人の目だ。
相手の面目ではなく、どこへ銭が流れ、何が止まるかを見ている。
「ならば、王家の名で通商を認めよう」
リシャールが身を乗り出した。
「共和国は第一王子派の商会だけを使え。余が王位を継いだ後、王都水路と西街道の優先権を与える」
謁見の間がざわめく。
今はまだ国王でもない王子が、未来の権利を先に売った。
クレアは笑顔のまま、リシャールを見つめた。
「優先ではなく、独占をいただける?」
「望むなら与える」
「王子殿下!」
政務院側の貴族が声を上げた。だが、リシャールは手で黙らせる。
「共和国の金と船があれば、王国は豊かになる。小さな商人など後から従わせればよい」
クレアの琥珀色の瞳から、笑いだけが消えた。
「高価な約束ね。しかも、お支払いは即位した後」
「余を信用できぬと?」
「商人は、まだ持っていない物を担保にはしないわ」
リシャールの顔が赤くなる。
「宰相閣下。そちらはいくらを示すの?」
問われたミセリアは、吉継を見た。
「白霧境の領内通商は、領主が決める」
クレアの視線が吉継へ移る。
「では、吉継殿。あなたの値段を聞かせて」
吉継は絨毯の地図へ歩み寄った。
白霧境は王国の北西にある。大河から枝分かれした水路は近くを通るが、土砂が詰まり、船着き場も倉も足りない。
今は小さな領地だ。
だが、水が通れば物が集まる。物が集まれば人が働き、銭が回る。その銭で米を買い、道を直し、兵を養える。
商いは、戦場から遠い場所にある戦支度だった。
「白蝶城で商うことを認める」
吉継が告げると、クレアは扇を閉じた。
「白霧境では、すでに関所と座を廃している。品と名を届ければ、市へ入れる。商いを始めるための銭は取らぬ」
「随分と気前がいいのね」
「代わりに、粗悪品、詐欺、買い占めは認めない。商人が利益を得ることは止めぬが、民の明日の米まで一人で抱えるな」
クレアは何も言わない。
吉継は水路の青い糸を指でなぞった。
「水運も整える。船着き場、荷揚げ場、倉、船を曳く道を造る。白霧境内の水路へ、新たな通行税はかけない」
「倉と荷役も無料?」
「そこは働いた者へ払う銭だ。実費は取る」
「安心したわ。何もかも無料だと言われたら、別のところで奪うつもりだと疑っていた」
クレアの声に、少しだけ軽さが戻った。
「ただし、水路の整備を白霧境だけで負担するつもりはない。共和国から船と操船員、水路に詳しい技師を出せ。工事の銭も一部負担してもらう」
「販路まで欲しいのでしょう?」
「ああ。白霧境の品を、共和国の市場へ運べ」
「その代わり、共和国商人へ水運の独占権を」
「認めぬ」
吉継は即答した。
リシャールが鼻で笑う。
「それでは共和国が乗るはずがない」
吉継は王子を見なかった。
「俺のいた国では、御用商人と呼んだ。こちらの言葉なら、クレア殿を白霧境の領主指定商人とする」
「御用商人?」
「国外の穀物、鉄、船、技師、そして情報を、俺が最初に相談する商人だ。働きに見合う利益は保証する」
「独占させず、最初に声だけはかける。随分と都合がいい話ね」
「嫌なら断ればよい」
クレアは口元を扇で隠した。
怒ったのではない。笑いを堪えている。
「契約相手は共和国ではなく、クレア殿本人だ。勝手に別の者へ権利を渡すことは認めない。代理を立てる時も、俺の承認を得てもらう」
「私が死んだら?」
「契約も終わる。その後は、次の商人と新しく話す」
「私を信用するのに、共和国は信用しないの?」
「俺がいま話しているのは、国ではなく其方だからな」
クレアの扇が止まった。
吉継は条件を続ける。
「情報も商品として買う。ただし、出所、時期、確かさを示せ。白霧境の兵数や城の守りを敵へ売れば、その時点で契約を切る」
「他の商人から店を奪わない。穀物を買い占めない。値段を仲間内で決めない。そんなところかしら」
「話が早くて助かる」
「魅了と毒は?」
「交渉中は使うな」
チヨネが全力で頷いた。
クレアは声を上げて笑う。
「参ったわ。商人を信用していないくせに、商人が欲しがるものはよく分かっているのね」
「商人は利益を求める者だ。それを否定すれば、商いは育たぬ」
「でも、領地の首根っこまでは渡さない」
「政を商人へ任せるつもりはない」
クレアの瞳に、薄い金色の輪が浮かんだ。
黄金天秤。
白蝶城、水路、自由市、吉継との契約。それぞれの価値が彼女にしか見えない天秤へ載せられる。
小さな領地の皿が、王子の示した未来の独占権より重く沈んだ。
まだ完成していないからこそ、これから価値が上がる。
そして、この男は約束を守るためなら、自分の利益さえ削る。
「いいわ。その条件で、詳しい契約を詰めましょう」
クレアはミセリアへ顔を向けた。
「宰相閣下には、契約魔法の立会人をお願いできる?」
「内容を精査した後なら可能」
「厳しいわね」
「当然だ」
クレアは再び吉継を見た。
「では、取引を始めましょう。最初に売るのは船でも穀物でもないわ」
彼女は胸元から、細長い金属札を取り出した。
「迎賓館襲撃について。侍女長の自白では説明できない支払いが一つ残っている」
ミセリアの目が細くなる。
クレアは金属札を指先で弾いた。
「真実は高いわよ、吉継殿」




