第122話 割れる王宮
王妃の言葉に覚えた違和感を、吉継は口へ出さなかった。
聖矢が三本だったことは、救助に動いた者から伝わったとも考えられる。それだけで王妃を問い詰めれば、こちらが疑念だけで王族を侮辱したことになる。
「王妃殿下。そのお話は、どなたからお聞きになりましたか」
尋ねたのはミセリアだった。
平坦な声だが、エレオノーラの手を握り返してはいない。
「侍女から聞きました。川の捜索に加わった者が、矢を受けた大谷殿を見たそうです」
「その侍女の名を確認します」
「もちろんです。疑いを残してはいけませんもの」
王妃は穏やかに微笑んだ。
答えに迷いはない。疑われた時の返答まで、あらかじめ用意していたようだった。
そこへ、近衛兵が一人の女性を連れてきた。
濃紺の侍女服。四十歳ほどの女性は、両手を腹の前で重ね、背筋を伸ばしている。
王妃付き侍女長、セレナ・オルディス。
チヨネが見つけた当直表に、北書庫へ入った者として記されていた名である。
「侍女長。マティアスの遺品を確認した理由を答えろ」
ミセリアの問いに、セレナは静かに膝をついた。
「必要ありません。すべて、私が行いました」
部屋の空気が止まった。
「迎賓館の者へ消灯を命じ、聖属性の矢を用意させました。マティアスへ遺書を書かせ、侍従長印を奪ったのも私です」
エレオノーラが口元へ手を当てる。
「セレナ……何を言っているのです」
「王妃殿下は何もご存じありません」
セレナは一度も王妃を見なかった。
「第一王子殿下の御代を守るには、宰相と大谷吉継が邪魔になる。私がそう判断しました」
「侍女長一人で、迎賓館、水運商会、光神教を追われた術者まで動かしたのか」
吉継が問う。
「王妃殿下のお名前をお借りしました。皆、疑いませんでした」
「眠り蔓と火油の入手先は」
「王妃殿下が支援なさる救貧院の倉です。管理を任されていた私なら、持ち出せます」
筋は通っている。
あまりにも綺麗に通りすぎていた。
セレナを処断すれば、すべての命令は彼女のところで止まる。王妃は信頼していた側近に名を悪用された被害者となる。
「連れていけ。王命が下るまで、単独で拘束する」
ミセリアが命じた。
近衛兵に立たされたセレナは、最後まで王妃へ視線を向けなかった。
◇
その日の午後、王宮の小評議室へ王族と有力貴族が集められた。
セレナの自白が読み上げられると、最初に声を上げたのはガリア家と婚姻関係を持つ伯爵だった。
「実行者が自白したのです。これ以上、王妃殿下へ疑いを向けるのは王家への侮辱でしょう」
「侍女長が独断で百を超える魔力灯を落とせるものか」
別の貴族が反論する。
「王妃殿下の名を騙ったと言っている!」
「その名だけで人が動く仕組みこそ、調べるべきではないか!」
怒号が飛び交った。
第一王子リシャールの席の後ろには、ガリア家の縁戚、軍務局の旧派、水運商会の後援貴族が集まっている。
ミセリアの側へ残ったのは、政務院の実務貴族、国王の古参臣下、今回の襲撃で救われた者たちだった。
中立を装う者もいる。だが、その椅子がどちらへ近いかは、誰の目にも明らかだった。
王宮は、すでに二つへ割れている。
「ミセリア」
リシャールが椅子へ深く腰かけたまま、彼女を睨んだ。
「この騒ぎを招いた責任を取り、宰相を辞めるつもりはないのか」
「ない」
ミセリアは即答した。
「現時点で、私が宰相として残ることは難しくない。国王陛下の全権委任は有効。私を解任できるのは陛下だけだ」
その言葉に、政務院側の貴族が息をつく。
吉継だけは黙っていた。
現時点で。
ミセリアの地位を守っているのは、彼女の能力だけではない。病床にあってもエドワード王が生き、その名で全権を委ねているからだ。
王が亡くなれば、委任は終わる。
第一王子が王位へ就けば、最初に切られるのはミセリアだろう。
かつて、太閤殿下が病床に伏した晩年もそうだった。
存命中は、その威光だけで諸大名を従わせた。だが、幼い後継を残して亡くなると、奉行衆と大老を軸に家々が割れ、天下は再び戦へ向かった。
今の王国も、よく似ている。
ただし、一つだけ大きく違う。
率いる者の器だ。
内府殿、徳川家康にも野心はあった。それでも諸侯を従え、乱世を終わらせるだけの力と覚悟を持っていた。
バルトロメウスにあるのは、己の家と利益を残す執念だけだ。国が割れようと、民が死のうと、盤上の損失として捨てる。
その男にとってミセリアは、共に国を支える相手ではない。
邪魔者であり、いずれ消すべき標的なのだ。
◇
評議が終わり、誰もいなくなった部屋で、吉継は椅子に腰を下ろしていた。
窓の外では、第一王子側の馬車とミセリア側の馬車が、別々の門へ向かっていく。
王妃を罰する証拠はない。
セレナを処断しても、王妃の人脈は残る。永久隠居となったバルトロメウスも、婚姻と恩義で結んだ貴族を動かせる。
法だけでは届かない。
正しさを示すだけでは、ミセリアも、その下で暮らす民も守れない。
吉継は包帯の下で、静かに目を閉じた。
「こうなれば、俺がすべての悪を屠らねばならぬ」
それは誰にも聞かせない、武士としての決意だった。




