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大谷吉継 転生録 〜義は滅びず、再び剣を取る〜  作者: ひさめ


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第12話:喰骸の選択

灰羽の追手に見つかった吉継たち。

チヨネだけでなく、文書を読んだエルネも守るため、吉継は重い選択をします。

灰橋の市は、一瞬で戦場になった。

 露店の布が揺れる。

 荷馬車の馬が甲高く鳴く。

 商人が叫び、旅人が逃げ、誰かの落とした陶器が石畳で割れる。

 人混みは、盾にもなる。

 だが、罠にもなる。

 吉継はエルネの手首を掴んだまま、露店の裏へ走った。

 チヨネは半歩後ろ。

 外套の裾を翻しながら、足元の影を細く伸ばしている。

「ちょ、ちょっと待って、速い!」

 エルネが息を切らす。

「止まれば捕まる。足だけは代書屋でも動くだろう」

「分かってるけど、私は剣士じゃなくて代書屋なの!」

「ならば、今だけ足を使う仕事だと思え。命の代書だ」

「そんな代書屋いないわよ!」

 叫びながらも、エルネは転ばなかった。

 吉継は、そこまで見てから後方へ意識を戻した。

 追手は三人。

 先ほどの灰羽の男。

 巡礼者に扮した二人。

 正式な神殿兵ではない。

 だが、人混みで刃を抜くことに躊躇がない。

 つまり、捕まえるより先に口を塞ぐつもりがある。

 エルネが羊皮紙を読んだためだ。

 守るべきものが増えた。

 チヨネだけではない。

 エルネも、今この瞬間は守らねばならない。

 巻き込んだのは自分だ。

 ならば、背負う。

「右へ。迷うな」

 吉継は短く言った。

 エルネが反射的に右の路地へ飛び込む。

 チヨネも続く。

 狭い路地だった。

 片側には乾物屋の裏口。

 もう片側には積み上げられた木箱。

 上には洗濯紐。

 先は行き止まりに見える。

 エルネが青ざめた。

「行き止まり!」

「見えている」

「じゃあなんで入ったの!?」

「人目と背後を切るためだ。ここなら、追手は正面からしか来られぬ」

 ここなら、背後は壁。

 市の中央で刃を交えれば、目撃者が増え、無関係の者を巻き込む。

 だが袋小路なら、追手は正面からしか来られない。

 必要なら、ここで始末する。

 その判断を、吉継はもう済ませていた。

 追手が路地へ入ってくる。

 三人。

 前に灰羽の男。

 後ろに二人。

 挟まれれば終わる。

 灰羽の男が笑った。

「袋小路だ。白布の男、影使い、代書屋。まとめて来てもらう」

 チヨネの影が膨らむ。

 吉継は左手を上げて制した。

「チヨネ、まだだ。怒りで影を出せば、向こうの思う壺だ」

「ふん……」

 不満。

 だが、従う。

 吉継は右腕の包帯へ視線を落とした。

 使うべきではない。

 マーヤの薬は、傷を抑えているだけだ。

 病毒魔法を使えば、確実に悪化する。

 だが、刀だけでは三人を制しながら二人を守るには足りない。

 灰羽は人混みに慣れている。

 チヨネの影は、強い朝の光で浅い。

 エルネは戦えない。

 ならば、使う。

 吉継は白布の奥で息を吸った。

 肺の奥が、黒く冷えた。

 病毒魔法。

 魂に刻まれた呪痕を、外へ引きずり出す。

 右腕が焼ける。

 包帯の下で、肉が裂けるような痛みが走った。

 チヨネが目を見開く。

「ふん……!」

 止めるな。

 そう言われる前に、吉継は軍配の代わりに刀の鞘を地面へ立てた。

腐霧帳ふむちょう

 足元から、黒灰色の霧がにじみ出た。

 腐葉土と冷たい鉄を混ぜたような匂い。

 朝の光が濁り、路地の輪郭がぼやける。

 霧は濃すぎない。

 濃ければ味方も迷う。

 薄く。

 追手の視界だけを曇らせる。

「何だ、この霧」

「臭っ……毒か!?」

 追手の足が止まる。

 吉継は咳をこらえた。

 喉の奥に血の味が上がる。

 だが、まだ吐かない。

「エルネ、木箱を越えろ。転んでも手を離すな」

「無理!」

「チヨネ」

「ふん」

 チヨネの影が木箱の隙間へ滑り込む。

 影纏シャドウグラスプ

 黒い影が木箱の上の洗濯紐へ絡み、即席の足場を作る。

「行ける」

「どこが!?」

「私が先に行く。道があるか、身で確かめる」

 吉継は左手で木箱に手をかけ、身体を引き上げた。

 右腕は使わない。

 痛みで視界が白くなる。

 それでも上へ。

 洗濯紐は人の体重を支えるものではない。

 だが、影が絡んでいる。

 チヨネが必死に支えている。

 吉継は木箱の上からエルネへ手を伸ばした。

「来い」

「落ちたら恨むから!」

「生きていれば聞く。だから落ちるな」

「そういう問題じゃない!」

 エルネは文句を言いながらも、木箱へよじ登った。

 チヨネが下から影で足を支える。

 その瞬間、霧の中から灰羽の男が飛び出した。

 視界を奪われても、音で位置を読んだらしい。

 短棍が、チヨネの背へ向かう。

 吉継の目が冷える。

 また、チヨネを狙った。

 ならば、許さない。

 吉継は木箱の上から身を沈め、左手を地面へ向ける。

 病毒魔力が、霧の中を鎖のように這った。

「病鎖絡み(びょうさがらみ)」

 黒ずんだ細い鎖のような魔力が、灰羽の男の足首へ絡む。

 完全に止める力はない。

 だが、踏み込みを半拍だけ遅らせる。

 それで足りる。

 チヨネの影が振り返った。

 影縫シャドウバインド

 影と病毒の鎖が重なり、男の足を地面へ縫い止める。

「ぐっ」

 男の短棍が空を切った。

 チヨネは息を呑みながらも、影を解かない。

 吉継は木箱から飛び降り、刀の鞘で男の手首を打った。

 鞘打さやうち

 短棍が落ちる。

 続けて、吉継は刀を抜いた。

 刃は古い。

 だが、人を斬るには足りる。

 市はすでに騒いでいる。

 この男を逃がせば、エルネは確実に狙われる。

 チヨネの影も、灰羽の連中により詳しく知られる。

 生かす利より、残す害が大きい。

 取るべきものと、捨てるべきもの。

 戦場でそれを誤れば、人が死ぬ。

 吉継は迷わなかった。

 一足一刀いっそくいっとう

 半歩、内へ。

 男が声を上げる前に、刃が急所を抜けた。

 灰羽の男は、目を見開いたまま崩れた。

 チヨネが息を呑む。

 エルネが硬直する。

 吉継は振り返らずに言った。

「見るな」

 短い声だった。

 チヨネは反射的に目を伏せる。

 エルネも、顔を背けた。

 吉継は倒れた男の襟を掴み、路地の奥、壊れた木箱の陰へ引き込む。

 死体を残せば、追跡の目印になる。

 血痕を残せば、灰羽がここを嗅ぎつける。

 ならば、消す。

 吉継は右腕の包帯を押さえた。

 使えば、さらに身を削る。

 だが、これも守るための一手だ。

喰骸瘴手くがいしょうしゅ

 黒灰色の瘴気が、吉継の足元から幾筋も伸びた。

 それは手のようであり、根のようでもあった。

 瘴気の手は倒れた男を外側から包み込み、路地の陰へ深く沈めるように覆っていく。

 中は見えない。

 ただ、布袋を水底へ沈めたような、鈍い音がした。

 ごきゅ、と。

 喉の奥で何かが飲み下されるような音が、霧の内側から一度だけ響いた。

 チヨネの影が震える。

「見るなと言った。お前の目に残すには、あまりに汚い」

 吉継は、声を荒げなかった。

 それでもチヨネは、ぎゅっと目を閉じた。

 エルネも口元を押さえている。

 やがて瘴気が引いた。

 そこにあったのは、黒く湿った染みと、鉄と腐葉土を混ぜたような匂いだけだった。

 吉継の喉が焼ける。

「……っ」

 咳が込み上げた。

 白布の内側に、血の味が広がる。

 だが、二人には見せない。

 霧の向こうで、残りの二人が迷っている。

 視界は悪い。

 仲間は消えた。

 市場の人々が騒ぎ始めている。

 追い続けるには、損が大きい。

 吉継は、その迷いを逃さなかった。

「チヨネ、左の木箱」

「ふん」

 チヨネの影が木箱を押す。

 積まれた箱が崩れ、路地を半分塞ぐ。

 大きな音。

 人の悲鳴。

 追手の足が止まる。

「今だ」

 吉継はエルネを押し上げ、チヨネの手を取る。

 三人は木箱を越え、隣の細い通路へ飛び降りた。

 その瞬間、吉継の喉が限界を迎えた。

「っ、げほ……」

 血が白布の内側を濡らす。

 チヨネの顔から血の気が引いた。

「ふん……!」

「止まるな。今止まれば、今の痛みが全部無駄になる」

「ふん!」

「今止まれば、全員捕まる」

 チヨネは唇を噛んだ。

 泣きそうな目で、しかし頷く。

 エルネが震えた声で言った。

「あなた、それ、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫ではない。だが、ここで倒れるほど弱くもない」

「言い切らないでよ!」

「だが、動ける」

「もっと嫌!」

 吉継は壁に手をつき、呼吸を整えた。

 腐霧帳ふむちょうの霧は、路地の向こうで薄くなっている。

 長くは残らない。

 だが、十分だった。

 追手は足を止めた。

 市場は混乱している。

 灰羽は、こちらを追う損失を考え始める。

 策は成った。

 代償も、受けた。

 右腕が痛む。

 肺が熱い。

 喉に血が絡む。

 それでも、チヨネは無事だ。

 エルネも生きている。

 ならば、まだ安い。

 チヨネが吉継の袖を掴む。

 今までより強く。

 怒り。

 心配。

 置いていかないで。

 無茶をしないで。

 全部が、その小さな手に込められていた。

「すまぬ」

 吉継は言った。

 チヨネが目を見開く。

「だが、守るために必要だった」

 チヨネは首を横に振った。

 違う。

 謝ってほしいのではない。

 たぶん、そう言いたいのだ。

 吉継は少しだけ迷い、それから言い直した。

「次は、もっと上手くやる。お前に怖い顔をさせぬようにな」

 チヨネはまだ不満そうだった。

 だが、わずかに頷いた。

 エルネが二人を見比べる。

「今の会話、成立してるの?」

「している」

「たぶん、してる」

 エルネは頭を抱えた。

「私、とんでもない二人に関わったかもしれない。代書屋の人生って、こんなに走るものだった?」

「今さらだ」

「ほんと今さらね!」

 遠くで、灰羽の男が怒鳴る声がした。

 追ってくる。

 しかし、勢いは落ちた。

 吉継は路地の先を見る。

 水場。

 荷馬車。

 橋の下。

 次の逃げ道は見えている。

 だが、長くは走れない。

 どこかで身を隠し、エルネからさらに情報を引き出す必要がある。

 そして、腐霧帳ふむちょうと病鎖絡み(びょうさがらみ)。

 どちらも使えた。

 使えてしまった。

 守るための力として。

 同時に、自分を削る刃として。

 吉継は血の味を飲み込んだ。

 守るべき者が増えた。

 ならば、強くならねばならない。

 もっと正確に。

 もっと短く。

 もっと少ない代償で。

 この病毒の力すら、采配の中へ組み込む。

 吉継は顔を上げた。

「行くぞ。ここで息を整えるには、まだ血の匂いが濃すぎる」

 チヨネが頷く。

 エルネが鞄を抱え直す。

 三人は、灰橋の市の路地をさらに奥へ駆けた。

 背後に薄い腐霧を残しながら。

 朝の光を濁らせる、黒灰色の戦場を。

お読みいただきありがとうございます。

今回は病毒魔法の新技、腐霧帳ふむちょう、病鎖絡み(びょうさがらみ)、そして 喰骸瘴手くがいしょうしゅ が登場しました。

守る対象が増えたことで、吉継は自分を削ってでも後顧の憂いを断つ選択をしています。

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