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大谷吉継 転生録 〜義は滅びず、再び剣を取る〜  作者: ひさめ


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第113話 王国の旗

 日が暮れる前、泥にまみれた騎手が王宮へ駆け込んだ。


 差し出された書状には、大谷家の黒印が押されている。


 ミセリアは封を切った。


 帝国軍一千二百。


 ヴェイラ・バイゼン捕縛。


 旧街道の浅瀬で防戦中。


 簡潔な三つの報告だった。


 余計な説明はない。それでも、吉継が何を求めているのかは分かる。


 兵が欲しいのではない。


 帝国軍へ、これ以上進めば王国全体を敵に回すと示す旗が必要なのだ。


「大谷殿の兵は、二百五十に満たないそうです」


 報告役の文官が声を震わせた。


「帝国は一千二百。捕虜を取り返すため、すぐにでも渡河する可能性があります」


「そうか」


 ミセリアの声は、いつもと変わらない。


 ただし、右手は青い硝子の髪飾りへ伸びていた。


 吉継が白蝶城の店で買い、自ら髪へ挿したもの。その青い飾りを握る指に、わずかな震えが走る。


「ミセリア。簪が折れるぞ」


 隣に立つトモエリアが、低い声で言った。


「折れていない」


「今はな」


 ミセリアは髪飾りから手を離した。


「軍務官を呼べ。北鎖砦と、王都方面の救援隊を動かす」


「私も行く」


 扉のそばで待っていたジゼリアが、迷わず声を上げた。


 白と赤の聖騎士鎧をまとい、胸元の十字架を強く握っている。


「全軍への加護は使うな」


「分かっている。私の光は、あの人を焼く」


 ジゼリアは悔しそうに唇を結んだ。それでも、視線は逸らさない。


「だから負傷者を一人ずつ治す。大谷吉継を光で癒やせなくても、彼が守った兵は助けられる」


「許可する。治療隊を率いろ」


「任せてくれ」


     ◇


 小軍議室へ集まった軍務官と貴族たちは、提示された兵数を見て騒然となった。


「北鎖砦の正規兵八百を動かすのですか!」


「王都方面からも七百だ。合計一千五百を国境へ出す」


 ミセリアは立ったまま言い切った。


「お待ちください。それでは帝国との全面戦争になります!」


「ならない」


「一千五百もの軍勢を向けておいて、戦ではないと?」


「国境線で止める。帝国領へは一歩も入れない。矢を番えることも、魔法を構えることも禁じる」


 反対していた貴族が言葉を詰まらせた。


 別の軍務官が、おそるおそる尋ねる。


「帝国軍が川を渡った場合は、どうなさいますか」


「迎撃する」


 ミセリアの返答に迷いはなかった。


「王国側へ進めば、正式な侵略と見なす。その時は一千五百で大谷隊を援護し、帝国軍を押し返す」


「結局、戦になるではありませんか」


「戦を始めるかどうかは、帝国が決める」


 室内が静まり返った。


 王国軍は先に攻撃しない。国境も越えない。


 それでも帝国が渡河するなら、侵略した事実を帝国自身が作ることになる。


「一人の直臣を救うために、国を賭けるおつもりか」


 老貴族が問う。


 ミセリアは、その男を正面から見た。


「違う。帝国軍一千二百が国境にいるから、王国軍を動かす」


 一度、言葉を切る。


「大谷吉継は、その国境を二百余りで守っている」


 誰も反論しなかった。


 ミセリアは右手を机の上へ置く。


 膨大な魔力が青い光となり、指先から幾筋もの文字を作った。


「政令伝達(せいれいでんたつ)」


 一つ目の命令は、北鎖砦へ。


 砦と周辺宿営地の正規兵八百は、直ちに旧アルデン街道の国境線へ進め。ただし国境を越えず、帝国軍が進軍した場合のみ迎撃せよ。


 二つ目は、王都方面で待機していた救援隊へ。


 七百を後続させ、北鎖砦の部隊と合流。全軍の指揮は王国の防衛命令に従い、先制攻撃を禁ずる。


 青い文字が二つの政令へ分かれ、窓を抜けて夜空へ飛んだ。


 命令は改竄できない。受け取った指揮官には、ミセリアの声と王国印がそのまま届く。


「後続の七百は、私が率いる」


 トモエリアが長刀を腰へ差した。


「私は治療隊と同行する」


 ジゼリアも剣帯を締め直す。


「貴殿には王都の守りがある」


「七百は、前の火災報告から出動準備を続けていた隊だ。私なら夜のうちに動かせる」


 トモエリアは少し笑った。


「それに、あの男を連れ帰らなければ、お前は今度こそ簪を折るだろう」


「折らない」


「分かった。そういうことにしておく」


 ミセリアは反論しなかった。


 代わりに、トモエリアへ一枚の命令書を渡す。


「国境を越えるな。吉継にも、帝国軍を追わせるな」


「帝国が渡ったら?」


「止めろ」


「了解した」


「ジゼリア。広域加護と聖炎は禁止する。治癒は、必ず相手を確かめてから使え」


「約束する。今度は、善意で誰かを傷つけない」


 トモエリアが扉へ向かう。


「トモエリア」


 呼び止められ、振り返った。


 ミセリアは青い髪飾りへ触れないまま告げる。


「吉継を、連れて帰れ」


 今度は、命令というには声が少しだけ柔らかかった。


「任せろ。あの男が嫌がっても、風で運んでやる」


     ◇


 夜のうちに、北鎖砦の門が開いた。


 砦と周辺宿営地から、正規兵八百が旧街道へ出る。王国旗を掲げ、松明を連ねながら南東の国境へ進んだ。


 その後を、トモエリア率いる七百が追う。


 隊列の中央には、ジゼリアと治療隊がいた。聖騎将の白赤の鎧は目立っていたが、その剣は鞘に納まり、十字架から光が漏れることもない。


 夜明けを過ぎた頃、最初の王国旗が浅瀬の東にある丘へ現れた。


 一つ。また一つ。


 やがて千五百の兵が国境線に並ぶ。


 弓には矢を番えていない。長槍も穂先を空へ向け、魔術兵は杖を下ろしている。


 ただ、王国の旗だけが、朝の風を受けていた。


 浅瀬に立ち続けていた吉継が、その旗を見上げる。


 東岸へ渡ったジゼリアは、濡れた白装束と左手の包帯を見て眉をつり上げた。


「また、自分を最後にしたな」


「今回は、まだ立っている」


「立っていれば無事だと思うな。だが、あなたには光を使えない。先に兵を診る」


 ジゼリアは悔しさを押し込め、王国兵と帝国捕虜が休む天幕へ向かった。


「傷の深い者から運べ! 敵味方で順番を変えるな。光を怖がる者には、先に声をかけろ!」


 その声に、疲れていた兵たちが動き始める。


「ミセリア殿は、答えを出したようですね」


 東岸へ戻ったアリスティが、安堵を隠さず言った。


「ああ。俺が求めた以上の答えだ」


 西岸では、クラウスも千五百の旗を数えていた。


 王国旗の下には、風をまとったトモエリアと、光を抑えたジゼリアが立っている。


「閣下。王国軍は国境を越えていません」


「分かっている」


 クラウスは眼鏡の位置を直した。


「こちらが渡れば侵略。退けばヴェイラを失う。王国は、戦わずに条件を揃えた」


「どうなさいますか」


 クラウスは、川の向こうにいる白頭巾の男を見た。


「使者を出せ」


 王国と帝国の旗が、細い川を挟んで向かい合う。


 次に進むのは兵ではない。


 二人の軍師だった。


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