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大谷吉継 転生録 〜義は滅びず、再び剣を取る〜  作者: ひさめ


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第109話 遅れた朝鐘

 夜明け前の旧街道を、一騎の伝令が駆けていた。


 男の胸元には、白い剣の封印が刻まれた筒がある。第三隊へ届ける密令だった。


 道の先で、小石がひとつ転がった。


 伝令が手綱を引いた瞬間、馬の影から小さな手が伸びる。細い針が、男の腿へ浅く刺さった。


「誰だ!」


 剣へ手を伸ばしたが、指が柄を掴む前に膝から力が抜ける。


 チヨネは倒れる男を受け止め、道端の茂みへ寝かせた。鼻先へ指を当て、呼吸があることを確かめる。


「き、貴様……殺す気か」


 首を横へ振る。


 次に、男の顔、背丈、軍服を順に見た。


 チヨネの輪郭が影に包まれる。小柄な少女の姿が伸び、数息のうちに、地面へ倒れた伝令と同じ姿へ変わった。


 馬だけが怯えたように後ずさる。


「ふん……」


 チヨネは困った顔で首を傾げた後、男の匂いが残る外套を羽織った。今度は馬も大人しく手綱を受け入れる。


 すぐには走らない。


 吉継から預かった小さな砂時計を返し、砂が落ち切るのを待つ。


 半刻後、第三隊の野営地へ着くと、門番が怒鳴った。


「遅い! 朝鐘まで時間がないぞ!」


 チヨネは泥のついた袖と密令の筒を見せる。喉を押さえて、苦しそうに咳き込む真似も添えた。


「街道で襲われたのか。もうよい、書状を寄越せ!」


 門番は封印を確かめ、筒を抱えて走り去った。


 チヨネは敬礼だけを残す。天幕の陰へ入った時には、伝令の姿も足音も消えていた。


     ◇


 朝鐘が一つ鳴った頃、ケイス・サナリアの薄明機動隊はセレト村へ入った。


 家々の竈(かまど)から煙が上がり、柵の内側では山羊が鳴いている。だが、朝の支度をする音も、子供の声も聞こえなかった。


「将軍、家の中を改めますか」


「扉を壊してはいけません。二人一組で確認を。食べ物にも手を触れないように」


 兵たちは一軒ずつ戸を開けた。


 寝台には毛布が残り、食卓には空の器が並んでいる。それでも、人だけがいない。


 副官が悔しそうに拳を握った。


「逃げられました。追跡隊を出します」


「待ちなさい」


 ケイスは井戸の縁へ触れた。縄は濡れている。今朝まで誰かが使っていたように見えるが、地面の足跡は村の四方へ乱れていた。


「これは逃げた跡ではありません。私たちに追わせるための跡です」


「では、村を捨てて石荷道へ向かいますか」


 ケイスは少し迷い、静かに首を振った。


「密令は村の確保です。私たちが離れた後に住民が戻れば、任務失敗にされるでしょう」


 煙の向こうに、白い頭巾の男の姿を思い浮かべる。


「取ったつもりで、足を止められましたね。大谷吉継殿」


 その声に怒りはなかった。


 ケイスは空の家々を見回し、苦笑する。


「民を置かず、私たちにも民を傷つけさせない。ずいぶん優しい足止めです」


     ◇


 二つ目の朝鐘が鳴るより早く、ヴェイラ・バイゼンは石荷道を見下ろしていた。


 眼下を十二台の荷車が進んでいる。米俵と水樽を積み、四十ほどの護衛が周囲を固めていた。


「予定より護衛が少ない」


 副官が声を潜める。


「他の二隊へ兵を割いたのでしょう」


「大谷吉継が、そう見せたいだけかもしれない」


 ヴェイラは白鞘の剣を抜いた。


「前列は進め。荷車を一台だけ止めろ。残りは動くな」


 ヴェイラが白鞘の剣先を道へ向けた。


「白坑の軍令(ホワイト・ピット)」


 先頭の荷車を支える土が白灰色に変わり、粉のように崩れた。車輪が深く沈み、荷台が大きく傾く。


 そこへ帝国の弓兵が矢を放った。


 荷車が傾き、積まれていた水樽が道へ落ちた。割れた樽から流れた水は少ない。米俵も裂けたが、中からこぼれたのは籾ではなく乾いた藁だった。


「空荷です!」


「全隊、下がれ!」


 ヴェイラの命令は速かった。


 だが、最後列が向きを変えた途端、退路の土が水を吸って沈んだ。


 道の両側に掘られていた細い溝から、水が一斉に流れ込んでいる。ヴェイラ自身が粉へ変えた土へ、吉継が用意させた水が注がれたのだ。


 馬の脚が泥へ取られ、隊列が詰まる。


「慌てるな! 盾兵は後方、弓兵は斜面を狙え!」


 ヴェイラが剣を上げる。


「白葬の軍標(ペイル・バナー)」


 斜面の上に、灰白の槍穂を思わせる軍標が浮かぶ。帝国兵の矢が、その切っ先へ一斉に集まった。


 しかし、そこにいたのは藁を詰めた兵の人形だった。


「また、偽りか」


「今度は私がいるぞ!」


 黒い鎧が崖上から飛び降りた。


 カドゥは円盾で矢を受け止める。盾に黒い波紋が広がり、怨盾返し(カース・リバウンド)が衝撃を押し返した。


 弓兵の列がまとめて姿勢を崩す。


「敵の小将よ! 吉継から、生きたまま捕らえろと言われている。存分に抗え!」


 ヴェイラの眉がわずかに動いた。


「誰が小将だ。私は成人している」


 左右の林から王国兵が姿を現す。先頭には短刀を抜いたアリスティがいた。


 そして正面の荷車の陰から、白と青の陣羽織をまとった吉継が歩み出る。


 白頭巾の下にある目は、ヴェイラだけを見ていた。


「補給隊を襲ったつもりであろう。だが、ここへ運ばれてきたのは貴殿の軍だ」


 ヴェイラは白鞘の剣を正面へ構えた。


「大谷吉継。今度こそ、お前の勝ち方を壊す」


 空荷の荷車を挟み、二人の将が向かい合った。


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