872.私が二人いたらいいのに
「姉上、僕……私が見ていますので行ってきてください」
最近、一人称を「僕」から「私」に改め始めたエルヴィンが背中を押す。ヘンリック様に事情説明も必要だし、レオンに大丈夫と伝えてあげたい。厚意に甘えることにした。
「ありがとう。頼むわね」
ローズの髪をさらりと撫でて、よく眠っている顔を見つめる。それから手を洗って、消毒用のローズマリー水を念入りに手へ摺り込んだ。最後に口を漱いで外へ出る。
「急いで着替えを……隣の部屋でいいわ」
用意してもらった服に着替えた。失敗したわね。エプロンをして看病すればよかった。それなら外へ出るときに、エプロンを外せばいい。エルヴィンは嫌がりそうだけれど、見た目より実を取りたいわ。エプロンを届けるよう頼んだ。
その間もてきぱきと動く侍女達が、私の背中の包みボタンを留めていく。準備が出来たところで、急ぎ足で玄関ホールへ向かった。ヘンリック様はすでに執務室に入ったと聞いて、そのまま玄関ホールを通り抜ける。
「あなた、失礼します」
ノックして返事と同時に開いた扉の先、ヘンリック様が立っていた。てっきり扉を開いたのはベルントだと思い込んでいて、驚いて一歩下がる。支えるように腰に回された腕で、がっちりとホールドされた。
「すまない、大丈夫か?」
「あ、はい」
ここで、まさかの照れが……。顔がかっと赤くなる。恥ずかしいわ。夫婦になって子も生したのに、距離が近いだけで赤面するなんて。
「っ、ローズの体調が悪いのです」
慌てていたので、前置きなしで話した。眉根を寄せたヘンリック様の表情に、重ねて言葉を並べる。抱き寄せられてぴたりと寄り添ったまま、扉の前で続けた。
「朝食もすべて吐いてしまって、感染する病の可能性があるので客間の一つを使って看病しています。今はエルヴィンが付き添いを……レオンが心配ですし、あなたが帰ってきたので……」
捲し立てる途中で、なぜ抱き合っているのかしら? と我に返った。さらに顔が赤くなりそうで、両手で覆う。話の途中で失礼だけれど、許してね。
蚊の鳴くような細い声で「あの、離して……ください」と告げた。するりと腕が離れ、代わりに背中を押す形で椅子に座るよう示される。素直に従った。深呼吸して気持ちを落ち着け、もう一度丁寧に説明した。
「なので、看病の間は接触を控えましょう」
「確かに、王宮へ病気を運ぶのは困るが。ローズの看病を、医者と侍女に任せてはどうか」
それは私も考えた。でも体調不良で辛いときに、他人ばかりだと心細くないかしら? 母親が寄り添えば安心できる。その分、レオンやディには会えない。子どもが複数いると、こんな場面で困るのね。育児の手が足りていても、私が二人欲しくなるわ。




