869.感染症かもしれないわ
「ローズ、具合悪いの?」
こくんと頷いた勢いで、そのまま吐いてしまった。本人も驚いたのか、目を見開いて吐しゃ物を眺める。苦しそうに咳き込んで、がなかった。ごく自然に、口の中の水を吐き出すように出ている。これはまずいわ!
「奥様、こちらを」
フランクが差し出したハンカチでは足りない。汚れたスカートを丸めるようにして、床を守った。駆け寄ったユリアーナがおろおろする。
「タオルを用意して。それからお湯も」
私の指示でユリアーナが走っていく。後ろを専属侍女のアンネが追いかけた。いつもは冷静なフランクも驚いたのか、動きが止まっている。
「病室を用意して! 他の子の部屋から離れた部屋よ」
「承知いたしました」
フランクが我に返ったように、答えて指示を出す。私のワンピースも何とかしないと……でもその前に。困ったような顔で唇を尖らせるローズに向き合った。
「大丈夫よ、ローズ。私は平気だから、着替えをしましょうね」
「……ん」
ずずっと洟を啜る。フランクから受け取っていたハンカチで、口元を拭いた。あとで新品を返すことにしましょう。駆けてきたレオンを、イルゼが慌てて止めた。
「若様、うつると大変ですから……あちらで待ちましょう」
近寄ってはいけません、と言わなかったのはイルゼの優しさね。絨毯の部屋を示して誘導する。不安そうなレオンに、私は何でもないわと微笑んだ。
「安心して、レオン。ローズは少し具合が悪いの。あとでお見舞いできるから、待っていてね? 綺麗に顔を洗わないと、お兄ちゃんの前で恥ずかしいでしょ?」
「うん……」
不安そうにしながらも、ユリアンと手を繋いで絨毯の部屋に向かった。イルゼが付き添うなら問題なさそう。逆に止まらなかったのが、お父様とエルヴィンよ。特にお父様は、看病に慣れているから。
「止まって! お父様もエルヴィンも、マスクをしなさい」
命令口調になったのは、絶対に感染を広げたくないから。このケンプフェルト公爵家で風邪などの感染症が流行したら、影響を受ける範囲が大きかった。ヘンリック様は王宮へ出仕するから、しばらく家に入れなくなるわ。王宮で広めまくったら一大事だもの。
「わかった! 姉上もいるよね?」
「用意して頂戴」
家の中だし、ディの熱が下がったから油断してしまったわ。今は誰もマスクをしていない。ただの風邪ならいいけれど、違うかもしれないし。次の教訓にしましょう。
エルヴィンはすぐに侍従経由でマスクを手に入れ、まず自分が着ける。隣でお父様もマスクの紐と格闘していた。焦ると指先がうまく動かないのかも。結んでから掛けたらいいのに。
ユリアーナにもマスクを勧め、代わりに受け取った濡れタオルを手にエルヴィンが近づく。私にタオルを渡し、マスクを装着している間にローズの手を拭いた。ぽろぽろと涙を溢すローズの金髪を撫でながら、エルヴィンが両手を伸ばす。
「ほら、僕と一緒にお部屋に行こう」
唇はまだ尖ったままだし、涙も止まらない。でもローズはおずおずと手を伸ばした。タオルで拭いて綺麗になったローズの手を握り、それからぐいと抱き上げた。まだローズは汚れているのに、気にせず。そういう優しさは、お父様譲りね……エルヴィン。




