第5話
「ふぅ……」
蛇口から流れてくる冷たいお水が私の手を濡らす。
ひんやりとしたその温度はうだるような暑さのこの季節には丁度いい。
前の鏡に映るのはもちろん私の姿。
一度も染めたことのない黒髪は背中まで伸びている。
そういえば兄さんも最近は散髪されないので、髪が伸びてきましたね。
男性なのに女性のように艶やかで、肩まで伸びた黒髪。
私と兄さんの似ているところといえばこの髪くらいですね。
兄さんと学校以外でどこかへ行くのは本当に久しぶりで、私の胸が幼子のように踊っているのがわかる。
もちろん、私と兄さんは血の繋がった兄妹ですから恋愛感情はありません。
でも、好きなタイプはと聞かれたら間違いなく兄さん、とお答えするでしょう。
それくらい兄さんは私にとって理想の男性です。
謙遜なさっているのかはわかりませんが、兄さんは今Eクラスに在籍しております。
Eクラスというのは魔術の能力に乏しい方々が集まると聞いて、兄さんがそのような場所なんて……とも思いましたが、実際は違いました。
兄さんのクラスメイト達は皆、どこかくせ者というか強者というか……なにかしら感じるものがあります。
そして担任であるベルド先生の話によりますと、Eクラスというのは特別なクラスらしいです。
それなら納得というものです。
何故なら兄さんは素晴らしい力をお持ちですから。
「おっと……」
お手洗いでそのような思いにふけっているのは些か奇妙ですね。
ハンカチで濡れた手を拭いた私は少し髪を整えてお手洗いを後にしました。
「なぁ、俺らと遊ぼうぜ?」
「なんでも好きなもの買ってやるからよ~」
お手洗いから出た私の耳にそんなイヤな感じの声が聞こえてきました。
これって……。
頭の中で予想……といっても確信をもった考えを浮かべながら視線を送ると、何というかまぁ……予想通りでした。
一人の女の子を囲む四人の男性達が。
俗に言うナンパ……ですか。
時代が移り変わってもこういった輩はいるものなのですね。
と、そんな軽い事を考えながら私は言い寄られている女の子に目を向けた。
恐らく歳は私と同じくらいでしょうか?
この季節に黒のレザージャケットを羽織っているのと、ブーツを履いているのは珍しいモノがありますね。
まぁ科学の力により素材が良くなりましたので、そこまでの違いはありませんが。
しかし彼女のキリッとした鋭い瞳はまるでナンパをされている方とは思えませんね。
まぁそれに気づいているのかいないのか、男性達は構わず声をかけていらっしゃいますが。
「おいおいさっきから何黙ってんの?」
どうやら痺れをきらし始めてきましたね。
全く、人の事を考えずに挙句の果てには自ら怒るとは。
まぁ、ナンパする輩などそのようなものなのでしょうけど。
当然ながら周りの方々は見てはいるのですが、声をかけようとはしません。
まぁ、男性達のいかにも柄の悪そうな格好を見ればその気もなくなるのもわからなくはないですが。
これではお店の迷惑にもなりますし、何より女の子が可哀想です。
兄さんなら……
「めんどくせー」
とか言いつつも私の頼みだからといって助けに行きますが、その兄さんもいないので……私が行くしかありませんね。
「仕方ないですね」
苦笑を漏らしつつ私はゆっくりと騒ぎの渦中へと歩み出した。
「すみません」
短く私は言葉を発した。
「あ?」
私が声をかけたことによってナンパをしていた男性方は、不機嫌そうにこちらを振り向きました。
しかし、不機嫌そうな顔は一瞬でらすぐに表情が切り替わりました。
それは男性方だけではなく、周りで見ていた人達も絡まれていた少女も同じでした。
それは中々面白い光景でした。
だからといってずっとそのままでは何をしに出てきたのかわからなくなるので、私はこの空気を壊すことにしました。
「見たところによると、その方も周りの方々にも迷惑そうなのでお止めになってはいかがですか?」
とハッキリと告げたところ、数秒程の沈黙が私に跳ね返ってきました。
そしてそこでようやく言われていることを理解したのか、ハッとした顔つきになり今度は私の顔をジロジロと見始めました。
不快極まりない……というのが正直な私の感想でした。
そして真正面から私を見つめていた男性がニヤリと笑い口を開きました。
「そうだな~、代わりにお前が俺らと遊んでくれるならいいぜ?」
まさか私がそう言われるとは思いもしませんでしたが、常套句……という感じが拭えませんね。
「いえ、遠慮しておきます。私は貴方のような方は好みではありませんので」
もちろんお断りしますけどね。
普通なら声をかけてくださる方にはもう少し優しく対応するのですが、今はそんな気はありません。
何故なら兄さんをお待たせしていますから。
私にそうハッキリと言われた男性は怒りを滲ませましたが、すぐに笑みへと切り替えました。
「なら強引に連れていっちゃうしかないな~」
そう言われて私は内心ため息をつきました。
めんどくさい……。
少しはしたないかもしれませんが、そう思いました。
さて、どうやって対処しましょうか。
恐らく彼らは一般人。
魔術を使うわけにもいきません。
私は自分が狙われているというのに随分と呑気な事を考えていました。
「貴様ら! 何をやっているかっ!!」
突然、覇気の篭った声が響き渡りました。
そちらへ視線を送ると警備員がこちらへ走ってくるところでした。
恐らくどこからか情報を聞きつけたのでしょう。
「お、おいズラかるぞ!!」
私にしつこく声をかけていた男がそう叫んで走り出すと、残りの三人も慌ててそれについていきました。
「全く……こんな公衆の面前、それも店内で堂々とナンパとは」
見た目六十歳くらいの警備員の方は呆れたように呟きました。
「お手間をとらせてしまい、申し訳ございません。おかげさまで助かりました」
助けてくれた警備員に深々とお辞儀をします。
お礼を言われた警備員は頬を赤く染めながら慌てたように、
「い、いや、無事なら何よりだ。き、気をつけて!」
と言って早々と去っていきました。
そういう態度をとられると些か不満なのですが……しかし助けて貰っているのですから仕方ありませんね。
「あの~」
一人もの思いにふけっていると、ナンパされていた少女が話しかけてきました。
何とも可愛らしい声です。
「助けてくれてありがとう! ウンザリしてたんだよね~」
「ああいう輩はしつこいですからね。お怪我とかはございませんか?」
少女の言葉に苦笑を漏らしつつ、私も返事を返しました。
「大丈夫だよ。いや~本当に助かったよ。ごめんね? 巻き込んじゃって」
「いえ、私が勝手に声をかけたのですから。何事もなかったのであれば良かったです」
「警備員さんが来るのが遅かったらそろそろキレてぶっ飛ばしてたかも」
「まぁ、それはそれは……。穏やかではありませんね」
思わず笑ってしまいました。
しかし不思議です。初対面の筈なのですが会話が弾みますね。
「えへへ……。あ、そうだ! 私はユーナ。よろしくね?」
少し照れたようにはにかみ、その少女……ユーナはニコリと笑ってそう言いました。
屈託のない無邪気な笑顔、少し大人びた顔つきからは想像もできません。
これが私と彼女の出会いでした。




