96話 三回戦 対尾熊十蔵戦
新暦1348年 ガレリア大陸 アルゼン帝国南東部 コロムロ
「うおっと、なっ!」
「ぐおおおおおおおお!!」
「はいよっとな!……諦めないね~まだやるか?」
「はぁはぁはぁ……無論!」
尾熊十蔵とトキの試合は最長時間を更新していた。
それもトキが相手の土俵に合わせて、文字通り受け身に回っているからにほかならない。
投げる尾熊十蔵、自分から飛び空中で態勢を整えて着地するトキ。
かれこれ30分はずっとこの稽古のような試合は続いていた。
交流戦4日目、個人戦3回戦の最初に登場したアイシュタット=フォールセムの試合をトキは待機しながら観戦していた。
「トキニア=ゼペルルクスってのはあんた?」
後ろから声をかけてきたのはシルエ=ストックフォートだった。
薄い水色の髪をトップで団子のように丸めており、いかにも勝気そうな目がトキを値踏みするかのように見つめている。
この年齢にしては身長も女子の平均程度で、顔も普通といった感じだ。
小さな福耳が少しチャームポイントと言えるだろうか。
体中から自信のオーラが見えるかのようで、他者を威圧しているように見える。
是と答えたトキをシルエはふ~んと言って下から上まで眺めてくる。
「ばあちゃんが珍しく面白そうなやつがいたって言ってたよ。あんたを見てね」
「そっか。あの胡散臭そうなばあさんがね」
「……私さ~ばあちゃんは口うるさいと思うけど、尊敬はしてんだよね。他人にそういう風に言われるのって腹が立つな~。……殺すよ?」
「事実だろうが。こっちはお宅のばあさんのせいで迷惑を被ったんだよ。それにな、お前程度の実力で俺を殺れるってんなら殺ってみろよ?」
向かい合いながら殺気立つ2人を他所に会場から歓声が上がる。
どうやら試合が終わったようだ。
「トキニア=ゼペルルクス君、準備お願いしまーす!」
係りの者がトキを呼びに来たことによって両者は臨戦態勢を解除した。
「あんたは私がボコボコしてやるから」
「なら、せいぜい負けないことだな」
決着は試合のときにつけると互いに目線で火花を散らしてから、シルエはふんと鼻を鳴らして待機室に戻っていった。
(どえらい好戦的なやつだな。殺気とばしやがって。当たったら全力でいじめてやる)
トキの試合はおろか、誰の試合も観戦していないためシルエ=スットクフォードは相手の実力を把握していない。
いや、同世代では全員が自分より格下だと決めつけていた。
それだけに、自分が勝てない祖母と並び立つことになったトキを許せなかった。
祖母の言いつけで渋々参加することになった今回の交流戦での目的はそれだけと言っても過言ではない。
自分より格下のくせに祖母と同格と評されるトキをコテンパンに叩き潰す。
シルエの頭の中はそのことのみに費やされていた。
「アイシュタット=フォールセム君が勝ち上がり、見事ベスト8を決めました!彼と次に戦う相手はトキニア=ゼペルルクス君か!?はたまたジュウゾウ=オグマ君か!?両者、入場です!」
シルエのことから目の前の試合に思考を切り替える。
(やっぱりでかいな。体だけでも威圧感がすげーわ)
160cm半ばほどのトキより頭一つ分以上背が高く、体重差にいたっては30kg以上あるのではなかろうか。
尾熊十蔵は試合開始を待ち、腕を組んで目を閉じて瞑想でもしているかの様子だ。
トキも待機状態に入って目先に立つと、すうっと目を開けた。
「座間から聞いた。お前……日本人か?」
「……何の話だ?」
「座間はお前が俺たちと同じ日本人だと確信しているようだ。輪廻転生の類だろうと。もう一度聞く。お前は日本人か?」
「俺はトキニア=ゼペルルクスだ。それ以上でも、それ以下でもなくな。日本人なんぞ知ったことではない」
「この世界についての情報が欲しいらしいが、協力する気はないということか?」
「もう一度言おう。知ったことではない」
「……わかった。もう結構だ」
話を終えると待っていたかのように試合開始が告げられた。
これまで同様、尾熊十蔵は腕に土属性の装甲を発現して突進してきた。
並の者なら迫り来る圧力に萎縮してしまうだろうが、トキは過去、これとは比較にならない相手と対峙した経験があるため焦る様子はない。
言わずと知れた暴風竜のことだが、自分の魔法に対する自信の表れでもあった。
落ち着いた様子で風の囁きを発動し、自然体の無防備な状態で待ち受ける。
そんなトキを意に介さず尾熊十蔵は軽く握った右拳をジャブのようにトキの左頬目掛けて放った。
微動だにしないトキの反応を見て尾熊十蔵は僅かに眉を寄せる。
最初からフェイントではあったのだが、当たる前に拳を開いてトキの左肩口を掴む。
そして、左手はトキの右手首辺りを掴んでいた。
そのままの勢いから急反転、後ろ回りさばきでトキを浮かせるように崩し、足を開いて右足で掛けて投げようとした。
体落としであろうその技は尾熊十蔵の力が強すぎ、トキが軽量であることもあって、落とすというよりは振り回すといった様相だ。
「うお!?っと~!」
ズザアアアア
「っ!!?」
投げた勢いのまま寝技に持ち込もうとした尾熊十蔵だが、トキは自分から跳んで空中で態勢を立て直して着地したため、体を掴まされたまま相対する形になった。
尾熊十蔵は変な手応えを感じていた。
相手を崩して投げたにもかかわらず、投げ終わって態勢を崩しているのは自分だった。
それからも尾熊十蔵は何度もトキを投げた。
手技、腰技、足技と自分が今まで練習してきたものは何でもやった。
しかし、そのどれもが躱されるか、態勢を強引に直されて仕掛けた自分が態勢を崩された。
もろ手刈りやすくい投げのような両足や体幹を掴む技は掴ましてももらえない。
(お、俺の柔道が通用しない……。投げれない、寝技にも持ち込めない、どうすれば!?)
徐々に荒々しくなっていったため、トキも崩される時に殴られるようにされて若干ダメージは蓄積しつつあった。
「お~いてぇ。ここらで諦めとけよ。この世界じゃお前は俺に勝てねーよ」
「ぐっ……」
(こうなれば……)
今度は掴むのではなく、そのまま殴りかかった。
競技としての柔道にはない当身技だ。
体格とその膂力に任せたものだが、威力は十分過ぎる。
パシィィン
それをトキは片手で受け止めた。
その意図を把握した瞬間に疾風の鎧を発動し、威力を軽減したのだ。
「さっきと比べるとあまりにも素人臭いが、これ(当身)もお前のスタイルなのか?」
技術も速さも力も通用しない相手。
ここに至って尾熊十蔵はそれを思い知った。
「俺の……負けだ」
尾熊十蔵の柔道に対する自信、そして誇りは粉砕された。
見るからに肩を落として会場を立ち去る背を見送り、トキは歓声に応えて手を挙げる。
(ん~やりすぎたか?切り替えたつもりが、シルエ=ストックフォードのせいでつい虐めてしまったな。後悔はしてないけど、反省はしよう)
「様々な形で投げ続けましたジュウゾウ=オグマ君をトキニア=ゼペルルクス君が完封!接近戦による攻防を見事制しました!」
「オグマ君の体術はとても興味深いですね。大陸には数多く体術の流派がありますが、見たことがない系統でした。おそらくゼペルルクス君も初めて見たでしょうが、それを難なく封じ込めた技量は素晴らしいものがありますね」
「これによって準々決勝第一試合はアイシュタット=フォールセム君とトキニア=ゼペルルクス君の対戦となります。どう予想されますか?」
「ゼペルルクス君はこれまでの試合を見る限り、いかに近距離戦に持ち込めれるか、フォールセム君はその反対のことが言えるでしょう。どちらにせよ高レベルな試合になるでしょうね」
「なるほど。試合が進むに従ってそういった試合は多くなるでしょう。さて、次の試合も注目です。ライ=エン君対シルエ=ストックフォードさんの対戦です!」
実況が続く中、試合に負けた尾熊十蔵は控え室に戻り、腰を下ろして俯いていた。
大きい体を丸めるようにしており、普段より小さく見える。
そんな彼に声をかける者がいた。
「どうだった?」
顔を上げると座間権太が立っていた。
「……見ての通り完敗だ」
「そっちの話じゃない」
「……知ったことではない、だそうだ」
「ちっ……」
どうやら前提段階から挫かれたらしい。
今回、座間権太は尾熊十蔵にだけトキについて話していた。
黙々と聞いていた彼は一言「わかった」とだけ答えた。
座間権太には聞きたいことが山ほどあった。
この世界について、元の世界との関わりについて、神などの存在はいるのか、死んだ者はどうなるのか――。
一番気になっているのは最後のことだ。
座間権太は依然として、親友楠木栄司のことを悔やんでいた。
死者が蘇るなど、まず有り得ないと思っている。
だが、こんな魔法なんて代物がある世界である。
100%とは言い切れない。
顔をしかめギリギリと歯を食いしばる座間権太に尾熊十蔵は問いかける。
「他の者には言わないのか」
「言ってどうする?期待させて落胆することにでもなってみろ。俺が不満のはけ口にされちまう」
自分はそうならないから話されたというわけか、と変に納得した。
尾熊十蔵とて帰りたいとは思っている。
だが、他の者ほど強く願っているわけでもない。
同調性はなく、友人と言える者もおらず、座間権太以上にぼっちであった。
家族に会いたいかと聞かれれば首をかしげるだろう。
この世界での不満はというと食事くらいなものだ。
黙々と訓練をこなすことは日本にいた頃と大して変わりはなく、自分の体を鍛えることだけに集中できる分、こちらの世界の方が過ごしやすいと言えるかもしれない。
柔道の技を磨くこと、それだけが以前と現在も変わっていないことだった。
戦争や殺傷についての恐怖はもちろんあるが、自分でも不思議なほどに落ち着いている。
総じて言えば、今の現状に現実味をまるで感じていないのだ。
全てが他人事のように思えていた。
他者とほとんど会話をしない自分に、座間権太が話しかけてきて驚いていたのも自分ではない誰かのようだった。
断る理由もなかったので、トキには用件だけを伝えた。
そして、試合は散々な結果に終わった。
自分の訓練や練習はなんだったのかと打ちのめされたのだ。
日本でも負けたことはもちろんあったが、あそこまで相手にされないということはなかった。
この世界に来て、この時初めて尾熊十蔵はその気持ちを自分のものとして捉えることができた。
悔しい、情けない。
色々な意味で思い知った。
(これが現実か……)
自分の実力はこの程度であり、ここは異世界であり、自分は帝国の駒として扱われている。
トキの理不尽なまでの強さを目にし、尾熊十蔵はようやく現実と向き合おうとしだした。
「……さん。……まさん。くまさん!」
「……ん?悪い。なんだ?」
考え込んでいると、座間権太に呼びかけられていたのに気づかなかったようだ。
「ん?くまさんって俺のことか?」
「は?皆そう呼んでるけど、まさか知らなかったのか?」
「……ははっ」
不思議と笑いが溢れた。
どうやら日本にいた頃も自分は柔道以外のことはかなり無頓着だったらしい。
初めて見る尾熊十蔵の笑みが少し怖くて、座間権太は身を半歩引きながらに言う。
「で、次の手なんだけど――」
試合を終えたトキに控え室で待機していたシルエ=ストックフォードが声をかけた。
「随分と時間がかかったわね。まさか負けちゃったのかしら?」
「ちょっと虐め過ぎただけだよ。お前も虐めてやりたいんだが、すまんな。できそうにない」
「はぁ!?誰が誰を虐めるですって!?」
「俺がお前を、以外にあるか?まぁお前は俺と当たる前に負けるからできないだろうけどな」
「私が同世代相手に負けるわけないでしょ!」
「はぁ~お前みたいのを井の中の蛙って言うんだよ」
「か、か、蛙ですって!?」
「ああ、井の中の蛙、大海を知らずってな。井戸っていう小さい世界しか知らないお前は世界の広さを知らない蛙ってこった。負けるときはちゃんと鳴けよ?ゲーロゲロってな」
「……あんたを潰す時はその声で泣かしてやる!」
「じゃ~まずはライ=エンに勝たなきゃな。頑張れ~カエル=ストック、失礼。シルエ=ストックフォードさ~ん」
控え室を後にし手を振るトキをシルエはこれでもかと睨みつけていた。




