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第二十三話 姉を責めたくないと言ったら嘘になる [5/24更新分]

(な……ベル、どうしたの?)

「ペルヘルバスゥ……ふぬけ野郎めが」

 ペルヘルバスは目を丸くしてソフィーを見つめていた。口をぽかんとあけて、心底驚いているようだ。

「声が……変わった? どういう……腹話術?」

「ペルヘルバス様、ソフィーは腹話術を使っているのではありません。これまでは彼女が頭にかぶっている仮面、この仮面が彼女の言葉を代理して話していたのです」

「仮面が……しゃべる?」

「そうだ。ソフィーは呪害で声を出せないからな。すべて僕が代弁していた。だがしかし我慢の限界だペルヘルバス」

「仮面、何が言いたいんだ」

 ペルヘルバスは棘をふくんだ視線を仮面に注ぐ。

「ペルヘルバス、お前がエルシアをかわいがっていたことも、彼女とのつながりを絶たれたことで冷静さを失っていることも理解できる。けれども、死んでしまいたいというその言葉、僕は認めるわけにはいかない」

「っ……!」

 ペルヘルバスが憤然と立ち上がった。赤い瞳に怒気をみなぎらせ、痛くなるほどに拳を握りしめている。

「理解だと、貴様に何が分かるっていうんだっ。ああ!? エルシアは僕の全てだったんだ……僕の、全てだ! 朝日に照らされ目が覚めて、明かりを消して夜を迎えるまで、ずっと彼女と生きてきたんだ! それを……こんな、かたちで……こんなぁ……」

 バラがしおれていくように、ペルヘルバスは膝をつき地に手をついてうつむいた。

「あの幸せは戻らない……痛みを、苦しみを和らげることもできず……彼女が死んだのかどうかすらも不確定なまま……人一人を失うということの辛さを貴様知っているのか! 葬式はおろか墓参りすらできない、彼女を悼むことすら許されないんだぞ! エルシアが隣からいなくなる、僕の中から永久に消失するんだ。味わってみろよこの喪失感……耐えきれるものなら、耐えきって見せろよ……」

「ヘタれるんじゃないペルヘルバス、自暴自棄もいい加減にしておくんだ」

「ヘタッ……貴様っ」

「身を切られるような喪失感、それを味わって、いまだ生きている人を僕は知っている」

「……?」

「ペルヘルバス、お前の目の前に立っている女の子だ。ソフィー・グランマレッドがそうだよ」

(え、ちょ、ベル?)

 ペルヘルバスはソフィーに目を向けた。

「そうなのか?」

 ソフィーがどう答えていいのか分からずあたふたとしていると、かわりに仮面が語り出した。

「グランマレッド一家はな、もともとはジアルコータスと呼ばれた城郭都市に居を構えていた、どこにでもいるような平凡な一族だったよ」

「ジアル……コータス……」

「覚えがあるのか? 大陸南方に位置するリバーマースっていう地方の一都市だった。泥沼と化した侵略戦争も終盤、お前らの世界の手当たり次第の粗雑な爆撃魔法で被害をうけた地方だよ。グランマレッド一家はその折に壊滅的な打撃をうけて崩壊した。血族も、近しい親族も、皆死んだ。わずかな生存者も重度の呪害や副次的な災難に苦しめられ、脱落者は数を増すばかりだった」

「…………」

「ソフィーの生まれる以前の話だがな。ソフィーの周辺で生き残った者は、母親と、当時3歳だったソフィーの姉のアイリーンだけだった。アイリーンが魔法において希有な才能を発揮したことから、二人はまもなく教会に保護されることになる。それから十年の月日が経ち、ソフィーが生まれ……そして直後に母親は息を引き取った。生まれながらにして親を亡くし、ソフィーは姉と二人で生きていくことになった」

(ベル……あとは私が話すわ)

「え、でも」

(気持ちは分かるわ。でも、お願い)

「はい……」

 仮面が発する声が変化する。男のものから女のものへと。

「ペルヘルバス、ここからは私が話すわ」

 ペルヘルバスは何も言わない。ソフィーは返事を待たずに話し始めた。

「今振り返っても、私はアイリーンにべったりだった。それこそ、ペルヘルバスがエルシアを愛していたように、私はアイリーンが大好きだった。たった一人の肉親だったし、幼い私にとっては心を許せる唯一の存在だったから。呪害のせいで声が出なかった私にアイリーンが手話言語を自作して教えてくれてからは、より一層その傾向が強まったわ。思うままに考えを伝えられる相手として、私はアイリーンにますます依存していった……」

「依存……?」

「そう、依存よ。私はアイリーン以外の人間を信用していなかったから。……教会の人たちが私たちを保護していたのは、信心深いからではなく、手駒となる魔法使いを一人でも多く確保するためだったの。呪害のせいで声が出せない私は魔法使いとしての才能が無いと見なされていたから、アイリーンがいなかったら今頃は川の底で魚のエサになっていたでしょうね。私は彼、彼女たちの笑顔の裏に潜む感情を何度も垣間見ていて、怖くて、だから他人を寄せ付けないようになった」

 ソフィーはペルヘルバスに向けて歩み出した。

 杖をついて近づいてくる少女を、ペルヘルバスは少し怯えた表情で見つめていた。

「ペルヘルバス、あなたと私はどこか似ていて、やっぱりどこか違うところがあるわ」

「……ソフィー、アイリーンは?」

「アイリーンは死んだわ。呪害の進行がひどくてね、合併症を引き起こして……十二年前だった。覚えてる、日差しの強い夏の日のこと……」

 閉ざされたまぶた、力なく滑り落ちようとする右手

 ごめんなさいと言いながら、笑いながら死んでいったアイリーン

「世界に一人取り残されたその瞬間、私は理不尽というものを本当の意味で理解した。何もかも放棄して、部屋のすみで髪をかきむしりながら何日も丸くなっていた。生きる意味が分からなくなって、もう死んでしまいたくなったわ。でも死ねなかった」

「なぜ? そのまま死んでしまえばよかったのに」

 座り込んでいたペルヘルバスの目の前にソフィーがたどり着く。

 ソフィーはペルヘルバスを見下ろしながら、風になびく髪を片手で押さえている。

 彼女の答えは端的なものだった。

「この世に未練があったから」

「……未練?」

「アイリーンが私に残した言葉があるわ。『ソフィー、死ぬのなら完結してから死になさい』って。アイリーンは人生を物語にたとえることが好きだったの。毎日日記をつけて、週に一度それを読み返して満足げにうなずいてみせたり、まるで自叙伝を読み聞かせるような口ぶりで私に過去の出来事を語って聞かせたこともあったわ」

 ソフィーは懐かしそうに空を仰いだ。

「アイリーンは笑って死んでいった! 初めのうちは理解できなかった。私なんかどうでもよかったんだって、裏切られた気持ちにもなったけど、だんだんアイリーンの考えが分かるようになっていった。死ぬときに笑うことが出来たのは、あの人は自分の終わりのページまで、自分だけの物語を思いのままのびのびと書ききったから。彼女は完結したわ。だから死を恐れることもなく、死に支度をする余裕すらもって、満足げにあの世へ旅立っていけたの」

「…………」

「言葉が私をつなぎ止めた。殻に閉じこもっていた私は、つい自分の日記を先へ先へとめくっていって、そこが真っ白なことに気づいてしまった。アイリーンがにやつきながら肩をつんつんするの。『書かないの?』って。したらば書きたくなるじゃない。それも、自分が満足できるような、壮大でとびきり馬鹿げたストーリーを」

 ソフィーは視線を空からペルヘルバスの方へと戻した。

「あなた聞いたわね。何のために生きればいいんだって。残念だけど、私はその答えを言うことはできないわ。でも、私がなぜ生きているかは答えることができる。アイリーンの言葉に触発されて、私は未来に可能性を見たの。自分の人生にまだまだ未練があって、あれもしたいし、これもしたい。結局、私は生きたいから生きているわ」

 そこまで話すと、ソフィーは唐突に顔を赤くして、虚空に視線をさまよわせた。肩に掛かった黒髪を指でくるくると巻いている。

「えーと……自分のことばかり話しすぎたわ。ごめんなさいペルヘルバス。私には届いた言葉だけど、あなたには響かないかもしれないわね。そしたらまるっきり無駄な自分語りだわ……あはは……」

 ペルヘルバスはソフィーに聞こえないような声音でぼそりとつぶやいた。

「……若いんだったな。けど、挫折を知らないその瞳、今はすこし羨ましい」

「え?」

「なんでもない。ただの独り言だ」

「……ペルヘルバス、あなたはどう? 人生に未練はない?」

「ないと言ったら嘘になる。でもソフィー、それは叶わないことなんだ」

「…………」

「僕はエルシアを救いたかった。それだけじゃない、身を粉にしてハイザック一家を支えてきた父さんのためにも、もっと出世して肩の荷を下ろしてやりたかった。06世界を見つけたのちにすぐ帰還しなかったのはそのためだった。もちろん僕が欲を出したのもある。キリングワードをはじめ、メリオドグラの残した数々の研究成果を自分のものにできれば……没落貴族だからと僕を馬鹿にした連中を見返し、さらには自分の望んだ以上の何かを手に入れられるかもしれない? そんなふうに考えてしまって……。とにかくさ、ソフィー、分かったろう?」

 ペルヘルバスは両手で顔をおおった。

「希望を持てというお前の考えは理解できる。それでも僕は、自分の世界にあまりに多くを置き忘れてしまった。忘れればいい? できない。全てを無かったことにして、明日だけを見て生きようとするなんて僕にはとても無理だ……」

「あのねペルヘルバス、さっき言いそびれたことがあるの。ほら、ベル……この仮面がいきなり怒り出したから話すタイミングを見失っちゃって」

 ペルヘルバスは首をかしげてソフィーを見上げた。

「あなた達、もしかしたら自分の世界に帰れるかもしれないわ」

「……え?」


  ☆  ☆  ☆


 ソフィーの話はこうだ。

 このまま06世界が『原始化』すれば、メリオドグラは生き返るだろう。して、その後で彼はどうするのか。

「ずっと06世界にいるわけにもいかないでしょうから、彼はあなたの世界か私の世界のいずれかを訪れようとするはずよ」

 その時に必ず扉を作り上げる。おそらくメリオドグラは扉の創成方法を知っている。

「じゃないと世界を渡れないもの」

 もしもメリオドグラがソフィーの世界へ来たならば、彼に頼み込んでペルヘルバス達を元の世界に返してもらえれば最良、それが無理でも扉の創成方法さえ教えてもらえればそれだけで事足りる。

 だが、メリオドグラがペルヘルバスの世界へと行ってしまった場合、当てが外れる。

 しかし手はあるのだった。

「レイチェルの知識を活用すれば、もしかしたら扉を作り上げることが可能かもしれない」

 なぜレイチェルにそんな知識があると考えるのか。

 ソフィーは滝の裏の洞窟でレイチェルの幻覚魔法によって見せられた、メリオドグラの研究施設を思い起こしていた。特に、ソフィーが実際に手にとって読むことができた沢山の書物を。

 それは、レイチェルがメリオドグラの進んだ魔法知識を身につけているという事実にほかならないと、ソフィーはそう考えたのだった。

 実際レイチェルはうなずいて見せた。

「たしかにレイチェルにはファザーの持つ魔法の知識ができる限り積み込まれています。ただレイチェルは起きたばかりなので、知っているというだけで、魔法の運用に必要な技術をすべからくは理解していませんし、すべての知識を照合するにはそれなりの時間を要すると思うんです」

「かまわないわ。私に使えない魔法なんてないもの」

 ペルヘルバスはしばらく黙っていたが、

「エルシアにもう一度会える……可能性……か」

 それだけ言うと、

「僕たちをソフィーの世界へ連れて行ってくれ、頼む」

 イシュリーンと二人でソフィーに頭を下げたのだった。

 ソフィーはそんな二人をきょとんとして見た。

「ペルヘルバス、イシュリーン。連れて行ってもらうのは私の方よ?」

「どういうことだ?」

「大分話し込んでいたからね。世界封鎖までもうあまり時間がないわ。私が扉を開くにはコンプレックスルーンの設定をはじめとしてそれなりの準備が必要だし、かなり時間がかかるわ。今回はそのパイプ魔法陣を使いましょう。私もあなたの世界のルーンを知っているけど、さすがにあなたよりも運用がうまいはずがないし。手伝えるところは手伝うわ」

「それもそうか。じゃあソフィー、お前たちの扉の番号や出現座標を教えてくれ」

「それね、必要ないの」

「セオリーを無視するとはどういうことだ?」

「実はね、私あっちの世界で魔法陣を待機モードにしてるから……繋いでしまえば……うんたらかんたら」

「うんうんうん……そうか、なるほどなるほど……」

 魔法使い二人は念入りに打ち合わせをしていく。


  ☆  ☆  ☆


「思ったよりも時間がかかったな、急ごうソフィー、準備はいいか」

「大丈夫よ。それよりブッキング超過に注意してね。魔法陣は一通り補強したけど、どうしたって応急手当にしかならないから」

「安心しておけ。マナの乱流には慣れている」

 ペルヘルバスがパイプ魔法陣に手をかざした。

 パイプ魔法陣が赤く光り出した。

 大気マナに流れが生じているのか、中空で風が渦を巻いている。ビュービューと音を立てる空気にうたれ、森がにわかに騒がしくなる。ソフィーは少しだけ不安を感じる自分に気がついていた。太陽はねずみ色の雲に隠されて、頬にあたる空気はどんどん冷たくなってきている。大気の状態はまるで嵐の前のそれで、もうすぐ世界が崩壊することを暗示しているように思えるのだった。気持ちがはやるのも無理はない。

「ソフィーいいぞ、いつでも行ける!」

「ハグレ、レイチェル、来て!」

 ソフィーはハグレの手を握る。レイチェルはハグレの髪の合間に身を隠してしまった。

 三人はパイプ魔法陣の中心部に立っている。

「ハグレ、説明しづらいけど、あなたはこれから大きな穴に落ちるわ。光のない暗い穴。でも大丈夫、身体に力を入れず、流されるまま進めばいいの。私を信じて」

「了解。ソフィーを疑いやしないさ。そんな面倒くさいことはしない」

「右に同じくです」

「……うん。ペルヘルバス! やって!」

 ソフィーとハグレの視界が突如として真っ暗になる。

 その瞬間、魔法陣の中心にいた二人の身体は光に包まれ、そして光が霧散したとき、二人の身体はどこにも見あたらなかった。


 二人は扉をくぐっているのだ。

 暗闇にひたされながら、ソフィーは足下を引っ張られるように思える。ハグレがどうかは知らないが、彼女にとってはいつもの慣れた感覚だ。このまま全身を縦に限界近く伸ばされるような感覚を味わった後、気がつくと魔法陣の上に転移している……はずだった。

 ソフィーは異変を察知した。身体が縦に伸びる気配がない。ペルヘルバスの魔法陣を使ったのが初めてだったからそのせいかもしれないと考えたが……それにしては身体がソフィーの世界に出現するのが遅すぎる。

(……っ!?)

 ソフィーは胸を押さえた。

(呼吸……が、なんでっ……)

 扉をくぐるとき、人体はほどよく分解されて生死の曖昧な状態になるために、呼吸などもいっさい不要となるのだが……ソフィーの肺は空気を求めて苦しがっている。というより、胸を押さえることが出来た時点でおかしかった。身体が実体化している何よりの証拠である。

(何かイレギュラー? やばい、こんな状態じゃ魔法も何も……)

 ソフィーはパニックになって周囲を見回した。何もかもを断絶する闇だけが彼女を包んでいる。

 ソフィーは知るよしもなかった。それはメリオドグラが最後の一押しと仕掛けてきた、世界封鎖魔法の影響であることを。

(どうすれば……)

 ソフィーは途方に暮れた。

 息はますます苦しくなって、意識もはっきりしなくなってきた。

 そんなときソフィーの肩が叩かれた。

 ソフィーは朦朧としながらも、とろとろと振り返る。

 目に飛び込んできたのは、青みがかった灰色の美しい髪。

 宝石のような光を放つ、翡翠色の瞳。

 ハグレかと思ったが、否定する。髪が長かったのだ。

(レイチェ……ル?)

 視界がぼやける。黒くにじんでいく……

 数秒もたず、ソフィーの意識は闇に飲まれてしまった。

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