第二十二話 ここで死んでしまおう [5/23更新分]
「ああペルヘルバス様なんたる惨状か。あんなに泣き崩れて……」
「イシュリーン、お願いだから私から離れないでね。熱線をくらうのは二度とごめんだわ」
「分かっているさ。分かってはいるんだ……」
現在ソフィーとイシュリーンは肩をならべて森の中に立っていた。後ろにハグレとレイチェルが控えている。
彼女たちの視線の先に、巨大なパイプ魔法陣が鎮座していた。その魔法陣のふちにあたる場所に男が一人、地面にあおむけで寝転がっていた。額と目に手を当てている。しゃくり泣いているようであった。
「ペルヘルバス様!」
男が身体をおこした。もともと赤い目がさらに真っ赤になっている。
イシュリーンの姿を目にしてペルヘルバスは表情をゆるめかけた。だが隣にソフィーが立っているのに気づいてすぐ訝しげな顔になった。
「イシュリーン、どういうことだ」
「ペルヘルバス様、彼女は私たちと敵対する意思をもってはいないようです。友好関係を築きたいと言っています」
「どういう風の吹き回しだ」
イシュリーンはつい先ほどソフィーが自分に話してくれた内容をそのまま伝えた。
ペルヘルバスは話の途中から興味を失ったようにして地面を眺めていた。その目に光はない。彼は投げやりな口調で、もっと言えば何かを諦めたような口調で返答した。
「笑ってしまうほど美味しい話だな。聞こうソフィー、なぜ僕たちに肩入れする」
「……目的はいくつかあるけれど、一番はあなた達から異世界に関する魔法の知識を教えてもらいたいから、かしら」
「異世界に関する……」
ペルヘルバスはソフィーと目を合わせることはない。彼は地面から小石を一つ掴んで、それを意味もなく投げ捨てた。上の空というわけではないのだろう、ソフィーの声にも反応している。しかしなぜか身が入っていないようであった。
ソフィーはいぶかしみながらも話を続ける。
「……そう。私たちの世界は異世界に関する魔法が未発達なの。もう、どうしようもないくらいにね。侵略戦争の記録をあさっていれば、あなた達の世界がいかにこの分野の魔法に長けていたかよく分かるわ。世界の時間速の差を利用した戦略や的確なポイントに必中で扉を出現させる力量……その発達した技術を分け与えて欲しい」
「…………」
「ペルヘルバス、どうして返事を迷うの? これ以上ないくらいの好条件だと思うけど。私を疑っているの? 未成年の女一人になんの甲斐性があるんだって」
「……違う」
ペルヘルバスは二つ目の石を投げ捨てる。石の勢いは初めの石よりも弱い。
「ねえ、ペルヘルバス。どうして全てを投げ捨てようとするような顔をしているの? あなたには生き残る道が示されているじゃない。だとしたらあなたは生きるべきだわ」
ソフィーの語調が強まっていた。今のペルヘルバスの表情は彼女の中のある記憶を呼び覚ますものであったからだ。嫌な予感がソフィーの胸の奥で脈打ち始めていた。
彼女は彼の表情が意味するものをよく知っている。知りすぎるくらいに知っている。
「まさかこのまま06世界で死ぬつもりなの? ダメよペルヘルバス、どうして……」
「生きたくないから、だ」
「…………」ソフィーは何かを言おうとして、何も言葉が浮かんでこなかった。
彼の表情は……
「人間は物事に対価を求める……。生きることに必死になれるのは、それが大切なものをもたらしてくれるからだ。だとすればその逆も然り……無意味な命を固守する必然がどこにある?」
……それは自分から生を手放そうとする人間の表情だった。
「ペルヘルバス……もしかして大事な人を残してきてしまったの?」
ペルヘルバスははじめてソフィーと視線を合わせた。目尻は優しく垂れ下がり、口角はわずかに上がっている。彼は微笑を浮かべていた。うそみたいに透き通った、色を感じさせないさわやかな笑みだ。
しかし彼の目は笑ってはいなかった。その目は奥へ行けどもゆけどもまったく光が見つからない。その絶望に染まってしまった瞳が彼の笑顔と合わさって、痛々しいほどの狂気を演出していた。
(だめ……それはだめよ……)
思い出してしまうのだ。
優しげに注ぐ日差し、窓から入ってくるそよ風、昼下がりのぬくもり。あまりにおだやかすぎるから、時間すら腰を休めてゆったりとしていきそうだった、不思議な雰囲気の病室
ベッドの上、肌触りのいいシーツと温かい毛布、いくつかの書物とクマのぬいぐるみ
頭をなでてくれた優しい手のひら、抱きしめると伝わってくる、何者にも再現できない心をとかすような暖かさ
今も耳元で名前を呼ばれるようで……
ほほ笑みながら死んでいった、姉の姿がよみがえる。
よみがえって重なる。
ソフィーは彼にむかって手を伸ばしかけた。しかしすんでのところで我に返り、どうにか自分を制御することに成功する。
「話そっか。僕が06世界を訪れた理由……」
どうせこのまま滅ぶのだから、そう前置きして、ペルヘルバスは静かに語り出した。
「大切な人……そうだよ。僕の世界はエルシアを中心に回っていた……」
「エルシア?」
「僕の……妹だ。名前をエルシアという。僕はエルシアが本当に好きで……でもエルシアはとても不幸な女の子だった。不幸のうちの一つ、エルシアは呪害のために四肢を動かすことが出来ない」
「え?」
「といっても、エルシアは他人からの介護なしで生きられないわけじゃない。彼女は魔法が使えたから、着替えや食事も自分で上手にこなしていた。車いすに座って僕に押されながら散歩をするときが一日のうちで一番楽しい時間だと言ってくれた。エルシアは絵が趣味だった。魔法によって絵の具を自作して、筆も魔法でうかして器用に絵を描くんだ。味のある風景画を描くから少数ながらファンもいた。女だから風当たりも強かったけれど、国が主催する展覧会にもたびたび出品したこともあったな。……そう、彼女は毎日を楽しそうに生きていた。まぶしくなるほどに愛らしかった。どんなことにも屈せず前向きさを失わない彼女の姿に、僕はどれだけ勇気づけられたことだろう……」
ペルヘルバスは懐かしそうに目を細めている。
「そう、僕は勇気づけられていたのさ。……僕は幼少期を苛められて過ごしたから。理不尽さにまっこうから立ち向かう彼女の生き方には共感できたし、密かに尊敬すらしていた」
「……苛められていたの?」
「……僕の生まれに関係している。僕は姓をハイザックという。ハイザック一家は……いわゆる没落貴族だった。先々代がポカをやったんだ。有り金がすべて消えて、代わりにそれの倍額の借金が残った。父さんが魔法使いとして出世して家計を立て直すまで、僕の服装は貴族だとは思えないほどみすぼらしかったし……学校で標的にされるのも至極当然のことだったさ。振り返ってみても、とても暗い少年だったと思う。それが……エルシアが生まれて、彼女が成長するにしたがって見違えるほどに明るくなっていった。エルシアが僕を変えてくれたんだ。彼女とのふれ合いが僕に人間性を取り戻させてくれた」
「…………」
「……だが、そんなささやかな幸せも突然おわりを迎えた。二年前のある夏こと、病がエルシアをむしばんだ」
「病?」
「呪害の進行だ。彼女は内臓のいくつかに機能障害をわずらった。それは即死に至るものではなかったけど、じわりじわりと彼女の命を削っていく。衰弱と精神的な疲弊からすぐに魔法が使えなくなり、彼女は寝たきりになってしまった。父さんは魔法使いとしての仕事から手をはなすことが出来なかったから、僕が医師を探すことになった。当時通っていた魔法学院を休学させてもらって、僕は国中を駆け回った。城の中から路地の裏まで探して、エルシアを治すことのできる医者がいないと分かれば、今度は大陸全土に足を伸ばした。しかし僕にはもう金がなかった。路銀に困るから徒歩と転移魔法を使って移動し、食費に困るから森で動物を狩猟して腹を満たした。おかげでいつだって体内マナが枯渇していたし、満足な食事なんてとれないからひどくやせ細っていた。構わなかった。僕はエルシアが大好きだったし、エルシアのためだったら何だってしてみせるつもりだったから」
「…………」
「そうした生活を三ヶ月もすぎたころ、ようやく一人の医師を見つけた。名前をコースト・ベルタ―ニッシュ。呪害関連の病に詳しく、過去には宮仕えを許されたほどの腕のいい医師だった。街で開業していたベルタ―ニッシュさんはエルシアを診察することを快諾してくれて、彼のスケジュールに合わせ僕は彼を自分の屋敷に転移させた。しかし現実は残酷だった……」
「……治癒不可能だったの?」
「だったら……諦めもついたのかもな」
「治る見込みがあったのね?」
「そうだ。治癒は可能だった。呪害を完治させることはできないが、内臓の機能障害をやわらげることは可能だとベルタ―ニッシュさんは言ってくれた。ただ……それには莫大な手術費用が必要だった。ベルタ―ニッシュさんが悪いわけじゃない。あとで知ったが、彼の提示した金額はかなり良心的な方だったよ。問題は手術経費だった。手術は魔法をおり混ぜたもので、その魔法にはたくさんの珍しい鉱石や新鮮な竜の血が必要不可欠だった」
「…………」
「そしてエルシアのもう一つの不幸、それは没落貴族の三女として生まれたことだった」
ペルヘルバスは自嘲気味に笑った。
「僕らハイザック一家は手術費用を工面できなかった。当然だ。父さんが出世してから暮らしぶりは幾分かマシになったけれど、相変わらず僕たちは貴族としては最底辺の貧乏だったから。費用の金額を父さんに打ち明けたらひっくり返って気絶してみせたよ。それくらい僕らには天文学的な数字だった。嫁いでいった長女や次女の家もそこまで爵位が高いわけじゃなかったから、援助なんて要請できなかった。借金は出来なかったよ。ハイザック一家はもうすでに借金まみれだったからね」
「ペルヘルバス、あなたは……」
「エルシアはどんどん衰弱していったよ……。絵を、自由を、将来を奪われて、残されたのは横になって死を待つ無味乾燥とした毎日。彼女はふさぎ込んですっかり笑わなくなった。身体が痛むと言って四六時中泣くようになり、看病する人間に当たり散らすようになった。僕を見るエルシアの目が敵意に溢れているのを見たとき……僕はそれが救いを求める感情の裏返しだと気づかずに、彼女と何度も衝突した……そしてある日、僕はエルシアに手を上げてしまった。彼女の気持ちをくみ取れず……ただ自分の感情に従って……。エルシアは僕との面会を拒んだ。僕も気が進まず、彼女との溝を自分から深めていくばかりで……。エルシアは前よりも強く人に当たるようになったが、それもつかの間、やがてエルシアは体力がおちて当たり散らすことすらできなくなった……」
話しているペルヘルバスの瞳は本当に悲しそうな色を宿していた。止まっていた涙が再びこぼれ落ちている。
「僕はエルシアを救うことが出来ない自分を恥じた。金、金だ、金さえあればいい。僕は復学し、これまで以上に勉学に励んだ。自分には才能があると思っていた。実際、学費を免除されるくらいには優秀な成績をおさめていたし、周りで僕に適う人間など誰一人いなかった。力で状況を打開できると本気で信じていたのさ」
「…………」
「僕はすこぶる馬鹿だった。学院を卒業してから僕は現実を思い知った。学院のてっぺんは社会のてっぺんじゃなかった。僕レベルの魔法使いは国中にごろごろしていたんだ。もともと没落貴族の出だったし、学院のコネで仕官することは簡単にできても、その職はどうしたって平凡なものだった。給与は父さんの数倍はあったけど、それでも手術費用には遠く及ばなかった」
ペルヘルバスは両の手のひらを見つめた。
「思ったさ。なんて無力な両手だろうかと……その頃だ、噂を耳にしたのは」
「噂?」
「バーナラウス家という名門貴族があってな。名高い魔法使いを何人も輩出している有名な貴族なんだ。そこの当主だったバルモートという男、国軍の中枢にいるような権力者なんだが、こいつが好戦的な男としてとても有名だった。長らく大きな戦もない天下太平の時代だったことが影響していたのかは知らないが、バルモートは侵略戦争を再開すべきだと声高に叫び、軍内部で派閥をつくって活発に活動していた。彼は06世界の扉を開ける人材を欲しているとのことだった。……僕はバルモートに近づくことにした。一度は見限った自分の力を再び信じてみる気になったんだ」
あとの話は簡単だった。
「最初こそ取り合ってもらえなかったが、根気よく交渉を続けた結果、もしも06世界への扉を開くことが出来れば、その技術を彼に提供しさえすればエルシアの手術費を肩代わりしてくれるという約束を取りつけた。それから僕は仕事の合間に研究に没頭した。学院時代のコネを使って費用や資材を工面した。資金が足りなくなれば仕事の数を増やし、それでも足りないから裏の仕事にも手を出して……ほとんど寝ずに研究を続け、こうして06世界への扉を開くに至ったというわけだ……くっくっく……あーはっはっはっはっは!! うっははははははははは!!!」
ペルヘルバスは大声で笑い出した。しかし笑みはすぐに萎んでしまう。
「……全ては水の泡へと帰したんだ。最後の希望がはじけて消えた」
「…………」
「エルシアは死ぬよ、ベルタ―ニッシュさんの見通しじゃ余命二年と言ったところ。ただし感染病などにかからなければ、という条件付き。期待値は低い」
ペルヘルバスはソフィーの顔を見つめた。
諦観の笑みが顔に張りついていた。
「見てくれ僕の両腕を。妹を救えなかったのはこの無能な両腕だ。僕がエルシアを見殺しにするのだ。エルシアの運命を変える、ただそれだけのためにここまでやってきた……なのに……なのにさ……」
「…………」
「エルシアがいないんだ。耐えきれるものかよ……。ソフィー、貴様は僕に生きろと言った……なら僕のこの問いに答えられるはずだ」
ソフィーはペルヘルバスから視線を外すことが出来なかった。
生きろ生きろって、何のために生きていけって言うんだよ……
ペルヘルバスはボロボロと涙を流している。
答えのない問いかけに対して、ソフィーは閉口するほかなかった。
「僕はもはや自分の生に意味を見いだせやしない……」
長い長い独白を、ペルヘルバスはこう言って締めくくった。
そして……
ソフィーはたまらなくなってペルヘルバスに声にならない声をかけようとしていた。
ペルヘルバス、あのね、実はね……
そのとき、
「ペルヘルバスゥ、この愚図野郎……」
誰もが口をつぐみ、重々しい沈黙があたりを支配するなかでのことである。
ソフィーは驚いてななめ上に目を走らせる。
顔のパーツをこれでもかと歪ませて、仮面は憎々しげにペルヘルバスを睨みつけていた。




