55.一緒に行こう
夕陽が、病室の窓から差し込んでいた。
少女の頬を紅く照らしている。
半身を起こし、枕をクッション代わりに背に置いて、ベッドの端に寄りかかっていたサラは、一瞬だけカーテンを閉めようかと迷ったが、止めた。
ちょっとだけ眩しいが、温かい光。
世界の全てが朱色に染まる、つかの間のこの時間が、サラは結構好きだった。
――コン、コン。
サラが見るとはなしに窓の外の紅い街並みを眺めていると、部屋のドアが音を立てた。
誰かが、ノックした。
「……はい?」
つい今しがた、ローズとリリィが帰ったばかりだ。
(先輩たち、何か忘れ物かな?)
だが扉の向こうから聞こえた声は、リリィが今しがた話していた少女たちのどちらでもなかった。
「サラ?えっと……おれ、アリスです」
「アリスせんぱ……隊長!?」
サラは思わず焦ったような声を上げてしまった。
別に、焦るようなこともないのだけれど。
「うん。そうだよ。……今、入ってもいいかな?」
扉の向こうで、上官の遠慮がちな声がする。
声変わりはしているはずだけど、声が低めの女性に聞こえなくもない。
綺麗な声だ、とサラはいつも思う。
でも、今はちょっとその余裕はない。
「は、はい。いえ!ちょっとだけ待って……ください」
サラは顔を紅くして、ベッドの横のサイドテーブルに手を伸ばした。
そこには、先ほどローズとリリィが来た際に置いていった、小さな花瓶に入った可愛らしい花と、林檎や柑橘系の果物。
そして手鏡があった。
サラは小さな手鏡を取ると、自分の顔を、姿を映す。
慌てて髪を撫でつけ、パジャマの襟を正してから、扉のほうに向かって声を掛けた。
「ど、どうぞ」
どもってしまった。
「うん。じゃあ、入るね」
扉が開き、少女にしか見えない少年が顔を出した。
「あれ?ローズとリリィはいないんだね」
「あ……はい。ちょうど今、先輩たちが帰ったところでした」
「そっか、すれ違わなかったけどな」
そう言って廊下側を振り返ってから、またこっちに向き直り、気づかわし気な顔でサラにその藍玉の瞳を向けた。
「体調は、どう?」
相変わらず、綺麗な人だ。とサラは思った。
――どう見ても絶世の美少女。
つい先ほども、ローズやリリィとアリス隊長の話題になった。
サラが振ったわけではないけれど。
ローズ先輩はアリス隊長のことを、女の子にしか見えない、と、さっきも笑って言っていた。可愛い妹ってカンジ。とも言っていた。
ローズ先輩とアリス隊長は同期の筈だけど、ローズ先輩は六月生まれで、アリス隊長は十二月生まれだから、ローズ先輩のほうがお姉さんなんだそうだ。
リリィ先輩は、それを特に肯定はしなかったけど、否定もせず、ただにこにこと笑って聞いていた。
確かに、アリスはどちらかと言うと、女性として完璧な容姿だ。
でもサラはこの人が男であることを知っている。
男の人としても、めちゃくちゃカッコいいのに。
とサラは思う。
好みのタイプは人それぞれだし、男らしい顔立ちってカンジではないけど。
でも美少年ってやつだよね?
しかも『超』が付くほどの。
「女だったら」とか、「男にしておくのは勿体ない」とか、アリスの容姿に対するそう言った評価をよく聞くが、サラはちょっと不思議に思っていた。
いや、サラもそう思ったことが一度もないわけではないが。
サラから見れば、さぞやモテモテだろうと言う気がするのに、不思議とそう言う浮いた話を聞かない。
過去に一度だけ、サラの養成学校の同期がアリスに告白をしているのを偶然見掛けてしまったことがあることはある。
でも、その子はアリスに断られた後、今度はローズにも告白していたらしい。
そう言う、女子の憧れ的なやつか、とその時思った。
「サラ?……大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込まれて、サラははっと我に返った。
いつの間にか、アリスの顔が結構近い。
サラはさらに顔を紅くして俯き、
「だ、大丈夫です!もう、全然元気っていうか……!」
慌てて答えて、肩をぶんぶん回して、『元気』をアピールした。
「良かった」
アリスはやっと安心したように笑った。
「す、すみません、私、こんな格好で……パジャマだし」
「いや、病室なんだから普通じゃない?」
「で、でも寝癖が……」
サラは慌てて手で髪を撫でつけると、却ってアホ毛が数本、ぴょこっと立った。
この人と自分の差はなんなんだ……と思わずウンザリしたような顔をしてしまう。
アリスがその顔を見てふっと笑うと、サラも顔を赤くしたまま、つられて少し笑った。
――笑いながら、夕陽が差していてよかった、と思った。
「ちょっと座ってもいい?」
アリスがベッドの脇にある椅子を指すと、
「ど、どうぞ、どうぞ」
サラはコクコクと頷いた。
アリスは持ってきた小さな淡い黄色の花を、ローズ達が置いて行った花瓶に挿すと、ベッド脇の椅子を少し引き、腰かけた。
「熱はもうないの?」
「……はい!昨日の夜まででした。今朝からはもう、全然」
「良かった」
開けられた窓から、穏やかな風が吹き込んでくる。
アリスの亜麻色の髪と、サラのダークブラウンの髪を優しく揺らす。
夕陽が二人の横顔を照らす。
「……アリス隊長」
アリスが何かを言おうとしているのを察しつつ、サラは先に口を開いた。
「うん?」
「……たくさんの人が目の前で死にました」
「うん」
「私、たくさんの人が死んで、哀しかった。守れなかった」
サラはゆっくりと、言葉を続ける。
「最後は私たちを助けてくれたベルトラン隊長まで……あんなに強かった人までが死んでしまって……私、何もできなくて。……せめて最後に、煙草を吸わせてあげたかったのに……それすらもできなかった」
「……あとで、さ」
アリスは頷いた。
「あとで、一緒にベルトラン隊長のところに行こう?煙草を持ってさ。明日がいいかな。たぶん、今日はシュカ達が行ってるだろうから」
「……はい」
サラも頷き返し、そしてぽつりと続けた。
「【妖魔皇帝】も、本当に怖かった……死ぬほど怖かったです」
「そうだね」
「でも」
サラは窓の外に目を向けたままだが、その声は徐々に力強さを帯びていく。
「……でも〈星芒騎士〉になるっていうことは、そういうことだと思ってました。人が人を守るためには、誰かが、できる人が自分の命を使って、人を超えるバケモノと戦うわなくちゃいけなくて。その誰かって言うのが、〈星芒騎士〉なんだって」
そこで少し言葉を区切ってから、
「アリス隊長」
と、サラはその翡翠の瞳で、アリスの藍玉の瞳を真っすぐに見つめた。
「――私も、〈星芒騎士〉です」
それは、サラの、十五歳になったばかりの少女の、揺るぎない決意だった。
アリスはその真っ直ぐな視線に少しだけ目を伏せ、
「……三日後に、おれ達七番隊はストニアに戻るよ」
「私も……!」
サラは縋るような瞳で少女のような上官を見つめる。
アリスは、今度はその視線を正面から受け止めた。
「……うん。置いて行かないよ。サラだけを置いては行かない。だから、一緒に行こう?サラはもう七番隊の大事な仲間だ。”おれ達”の中には、もちろんサラも入ってる」
「……!」
「『使者』がストニアに来るかは分からないけど、どこに来ようがそれは本番じゃない。決戦はその後だから。おれ達七番隊は、その後の最終決戦の討伐隊にも編成される」
「いいんですか……?」
残れ、と。
君はここに残れ、と。
そう言われると思ったのだろう。
サラの翡翠の大きな瞳から涙が一筋流れた。
「サラはたったの一か月足らずで、見違えるほど強くなった。本当に凄いよ。みんな、頼りにしているよ。おれも、サラを頼りにしている」
そしてアリスはまた、ぎこちなく笑った。
「……だから、サラも、おれを、おれたちをもっと頼ってほしい」
「はい……!」
サラは思わず両手で顔を覆った。
「この戦いで、おれ達の誰かが死ぬかもしれない。もしかしたら、“誰か”じゃなくて、全員死ぬかもしれない。でも、みんなで一緒に戦おう。最後まで、おれ達と一緒に行こう……いいかな?サラ」
サラは肩を震わせて、それでも両手を顔から外した。
夕陽に顔を染めながら、涙を流して、満面の笑顔で、頷いた。
「はい」
Ψ
「いいムードになった?」
アリスが病室から出ると、廊下に二人の少女が立っていた。
赤い髪の長身の少女と、水色の髪の小柄な少女。
「ローズ、リリィ。……なんだよ、いいムードって。ってか、居たんなら入ってくれば良かったのに」
ローズは肩を竦めた。
「あたしたちがいると、あんたはちゃんと言うべきこと言えないでしょ」
アリスは少し考えてから、
「……まあ、確かにふたりがいると、頼っちゃったかもね」
素直に頷いた。
「頼ってくれるのは嬉しいんだけど……」
リリィは微笑んだ。
「でもね。アリスくんから言われたほうが、サラちゃんもきっと嬉しいんだよ」
「そそ。なんだかんだ言っても、あんたはやっぱり隊長なんだからさ」
ローズはアリスの二の腕をパシっとはたいた。
「ちゃんと隊長らしいとこ、見せてあげないとね」
アリスはおせっかいな、と笑いながら小さくため息をついた。




