53.師の墓前で誓う
夕陽が、全てを朱く染めていた。
ここからは、朱く染まった城下町が、その下に広がる王都が、そしてさらにその先に無限に広がる悠久の大地が一望できる。
悠久の――『闇の大地』が。
この丘には無数の白い――もっとも今は朱く染まっているが――石が並んでいた。
――王立軍人墓地。
国を護って戦った軍人たちが、最後に行きつく場所。
彼らの、安息の地。
その中でも一等見晴らしの良い小高い丘の上に、彼は静かに眠っていた。
――【残光】のベルトラン。
磨かれた白い墓石の前には、ひとりの美しい少女が立っていた。
艶めく茶色の長い髪を側頭部で結わいて垂らしたサイドテール。
橄欖石の瞳。
どちらかと言えば長身だが、細く華奢な身体。
少女は腰の小さなポーチから何かを取り出すと、そっと口に咥え、続いてポーチから取り出した小さな何かをカチっと鳴らした。
魔導具だ。火精石が小さな火を灯す。
少女はその火を、咥えたそれに近づけた。
煙草だ。
彼女は少しだけ空気を吸って煙草に火が着いたのを確認すると、煙をほとんど吸わずに唇を離した。
そしてゆっくりとしゃがみ、墓石の前に煙草をそっと置く。
それから立ち上がった。
立ち上がって、
「私は死に目にも立ち会えなかった……弟子失格ね」
誰にともなく呟いた。
「――んなこたぁ、ねえだろ」
しかし、彼女の背後でそれに応える声があった。
若い男の声だ。
少女は振り返らない。
振り返らなくても、そこにいるのが誰かは分かっている。
赤銅色のツートーンカラーの短髪。
琥珀色の瞳。
日に焼けた褐色の肌。
その男は木の幹に背を預け、片脚を曲げ、もう片脚を伸ばして座っていた。
彼から少し離れたところには、もう一人男が立っている。
黒い長髪に切れ長の緑玉の瞳。
シュカとディートクリフだ。
「……もし、私がその場にいれば……いや、きっとダメね。あの人が勝てないなら、私程度がいたところで結局は何も」
少女は淡々と、まるで独り言のように言った。
「『焦るな』『背負い過ぎるな』……『お前はひとりじゃねえ』」
「?」
唐突なシュカの言葉に、アイリスは怪訝な顔をした。
――怪訝な顔をしたのだろう、振り返らないままなので正確にはその表情は分からないが、シュカはそんな気がした。
「それから、『お前はもっと自分を大事にしろ』だとよ。師匠からの伝言――てか、まあ、アレだ。……遺言だよ」
シュカはそう言って、隣に立つディートクリフに視線を向けた。
ディートクリフは無言で目を逸らした。
それが「特に訂正はない」という意味だと、付き合いの長いシュカは分かる。
「……何それ。不出来な弟子に掛ける最後の言葉がそれ?」
少女は背を向けたままだ。
「……なあ、アイリス。あの人はお前を不出来な弟子なんて思ってねえよ。ずっと言ってたろ?お前が“一番弟子”だってよ」
「……それは私が、あなたたちより強いってだけでしょ」
少女は静かに首を振った。
サイドテールから垂れる長い髪が緩やかに揺れる。
「……私が“一番弟子”なんて。あの人も随分と人を見る目がないのね」
すると、それまで腕を組んで黙って立っていたディートクリフが口を開いた。
「お前が一番強いから一番弟子だ。その強さを隊長も認めていた。それの何が悪い……そういうセリフは、俺に敗けてから言え」
「いやお前、そう言う話でもねえだろ……」
シュカが少し困ったように言った。
「強かろうが何だろうが、結局、私は肝心な時にいない。――いつも、そう。それだけが真実よ」
「だからお前もさ……そういうところだろ。別にお前のせいじゃねえよ」
シュカは小さくため息をついた。
「……あの人の」
しばしの沈黙の後、アイリスは口を開いた。
「あの人の魔槍は……ゲイ・ジェルグは、どこ?私は『呪い』なんて怖くない。今更……本当に今更だから」
「いや、ゲイ・ジェルグは……」
シュカはまた少しだけ困ったような顔をして、ディートクリフを見上げた。
「団長だ。隊長が魔槍の後継者に選んだのは俺達三人の誰でもない。クロード団長だ」
「……そう」
ディートクリフの言葉に、アイリスはそれだけ答えた。
再び、沈黙が訪れる。
夕日に染まる初夏の丘に、一陣の風が流れていく。
「……別に受け継ぐのは何も、形があるモノだけってわけじゃねえだろ」
沈黙を破って、シュカは静かな声で言った。
「俺たちにも師匠から受け継いだモンはある。いろいろ……たぶんな」
「なに、たぶんって」
そこで、ディートクリフが鼻を鳴らした。
「碌でもない師だったからな……まあ、何かはあるかもしれん。それなりに、な。……ないかもしれんがな」
「お前、さっきからフォローする気あんのかよ……」
シュカは呆れてディートクリフを上目遣いに睨んだ。
が、ふっと息を吐く音が聞こえた。
視線を戻すと、少女が――アイリスが振り返って、心なしか微かに微笑んだように見えた。
「確かにね。ロクでもない……本当にロクでもない、ただのエロオヤジだったわ」
「……お前ら、死んでも師匠に容赦ねえな、おい」
シュカもつられて笑った。
「でもそうね。何かはあるわ。きっと。……それなりに、ね」
今度は確かに、微笑んだ。
夕陽に照らされて何かが光ったように見えた。
(……こいつも笑うことあんだな)
シュカは密かにそう思った。
そんなこと、本人にはとても言えねえけど。
ディートクリフがもう一度鼻を鳴らした。
「……とりあえず俺たちの当面の目標は、隊長の『仇』の息の根を止めることだ」
「いや、分かってんのか、お前……師匠を殺したのは、あの【妖魔皇帝】なんだが?」
だが、ディートクリフは真顔で答えた。
「それがどうした?【妖魔皇帝】だろうが【魔王】だろうが関係ない。俺が殺す」
アイリスも頷いた。
「そうね。必ず殺すわ。――でも、私がね」
シュカは沈みゆく夕陽に目を細めながら、ふと思った。
(もう、魔槍の『呪い』とか関係ねえな……)
――魔槍ゲイ・ジェルグの『呪い』は『妄執の呪い』。
仇敵の命を奪うことへの妄執だ。
シュカはやれやれ、と溜め息をついて立ち上がった。
「まあいいけどよ」
そして肩を竦めた。
「別に俺じゃなくてもいいけどな……【妖魔皇帝】のクソ野郎は、何が何でもぶっ殺す。――必ずな」
墓前に添えられた煙草から、細い煙が紅い空に揺らめいていた。




