51.大鬼軍の”元”軍団長
――人里離れた闇の大地の真っ只中。
大海原を背にした断崖絶壁の上に聳える古い館。
石造りのそれは城と言うにはやや小さく見えた。
もっとも、それは目の錯覚かもしれない。
何故なら、その館を取り囲む影は、姿形こそ人型だが、そのどれもが三メートルを優に超えているからだ。
大鬼、そして岩重鬼。
妖魔の中でもずば抜けた体躯の大型種。
その数は――百を超えていた。
巨体の一団の先頭には、大戦斧を担いだひと際大きな大鬼。
城門の前で仁王立ちの姿勢だ。その顔は凶暴に歪んでいる。
大鬼の黄色く濁った眼に映るのは、門の前に立つ男と女。
どちらも長身だが、相対する大鬼と比較するとあまりにも小さく見える。
「グハハハハッ!!観念して出て来たかぁ!!」
大鬼は吠えた。
小さな城の前に広がる森全体に響き渡るような、凄まじい声量だ。
それを聞いた他のオーガーやトロールたちが耳障りな声で笑う。
「中を汚されてはかなわんからな」
門の前の男が言った。
金髪に赤い目。
すらりとした長身に黒い外套を羽織っている。
「私が相手を致しましょうか?」
隣の女が言った。
銀色の髪に月長石のような瞳。
その耳の先は尖っている。
そしてその肌は、薄い青色。
「いや、試し切りくらいにはちょうどいいだろう」
男と女の声は特に小さくもないが、野卑な笑い声を上げる巨人たちの耳にはまるで届いていない。
「それにしても、随分としみったれたところに住み着いてるなァ!まさか部下はそのメスひとりか!?グハハッ、大した【魔王】がいたものだァッ!!」
大鬼は怒鳴るように笑う。
「群れるのは好きじゃないんでな」
男は巨大な妖魔を見上げると、何の感情も籠らない声で答えた。
「とんだ期待外れだが、まあいいわァ!」
オーガーは肩に担いだ大戦斧を無造作にブンっと振り下ろし、
「俺様は〈八妖将〉が一人、大鬼軍軍団長【傲慢】のグルガン様だ!!」
地面に叩きつけた。
大地が大きく抉れ、土砂が噴き上がる。
「妖魔ごときが“名”を持つか。しかもトロールではなくオーガーが将とはな」
「……もっとも、情報によれば、何日も前にすでに後釜が据えられているようですが」
男の疑問に女の目は首を振った。
「つまり――これは宣戦布告ではない、と言うことか」
「むしろそれだけは避けたかったのかと」
「……だが当の本人は知らないようだな」
「切り捨てられたのでしょう」
男と女の声は、やはり大鬼には届かない。
オーガーはそれを怯えて声も出せない、と受け取ったようだ。
凶悪な顔を満足そうに歪めて笑った。
「愚かな盗賊から我が主様の剣を取り返しに来てやったぞォ!!謝罪はいらんッ!貴様らの行先は俺様の胃袋だからなァアッ!!!グワハハハハハハハッ!!!」
「それは、さぞ臭そうで嫌だわ」
女が微かに眉を顰めた。
「……よもや妖魔に“盗賊”呼ばわりされる日が来るとはな。もともと貴様らのものでもあるまい」
男は相変わらず感情のない声で言った。
男の声だけが、辛うじて大鬼の耳に届いたらしい。
「馬鹿めがァッ!!この世の全ては主様のものに決まっているのだァッ!!」
「人語を話すのも珍しいですが……それにしても、随分とよく喋るオーガーですね」
女は呆れたように溜め息をついた。
「トロールよりいくらかマシとは言え、オーガーの知能レベルは人間の六歳程度のはずですが」
「それも“主様”とやらの能力なのだろう。全部ではないようだがな」
男が答えると女も頷いた。
「一部の最上位種を、さらに進化させる能力――ですね」
男は女の言葉には答えず、一言だけ呟くように言った。
「神を持たぬ者どもが作り上げた憐れな神……か」
「あァっ!?」
期待した反応が見られなかったからか。
大鬼が訝るようにまた大声を上げた。
「何をぶつぶつと、死ぬ前のお祈りかァッ?それとも命乞いかァッ!?」
「……いや。祈りは終わった。待たせたな」
男は表情を変えぬまま、おもむろに進み出た。
大鬼との距離、およそ五メートル。
「遠路はるばる悪いが、さっさと済ませよう」
腰の片刃の長剣をゆっくりと引き抜いた。
暗い光を湛えた漆黒の刀身。
――破滅の魔剣ダーインスレイヴ。
「なんだと?」
オーガーはドスの利いた低い声を上げた。
黄色く濁った眼を見開いている。
「……まさかこの俺様とやる気か?」
だが、すぐにその表情は驚愕から愉悦に変わる。
凶暴な殺戮衝動に溺れる悦び。
「グハハハハ、伝説の魔剣を手にして、気が大きくなったか!良いだろう!!俺様が直々に喰い殺してやるわァ!!」
それからオーガーは後ろを振り返って、
「いいか!?お前らは手を出すなよッ!!」
背後の百を超える大型種に怒声を浴びせてから、男に向き直って口の端を吊り上げた。
「さあ、来い!!骨までしゃぶってやるわァアッ!!!」
「分かった」
男は頷いた。
背後の女の美しく整った眉が、ピクリと動いた。
後ろは海、前は森に囲まれた小さな古城の門の前。
僅かに開けた草原に一陣の風が吹く。
「どうしたァッ!!さっさと来いッ!!それとも怖くて動けないかァ!!?」
焦れたように、大鬼は戦斧を振り回して怒号を上げた。
「……はぁ」
女は小さくため息をついた。
「……やはり生来の愚かさは、さすがの“主様”とやらでもいかんともしがたかったようですね」
大鬼は目を血走らせて唸り声を上げた。
「あァッ!?何を訳の分からんことを言っている!いいからさっさと来いッ!!」
「もう行った」
男が感情のない声で言った。
その右手の黒剣から、紫色の液体が滴り落ちては、地面を汚している。
そして次の瞬間だった。
「ご、ごごかああああっ、ああああアッ!!!!???」
それがこの怪物がこの世に残した最後の声となった。
宙を舞う大鬼の首から、血液と悲鳴があふれ出す。
四メートルの体躯の大型種の将は一瞬の後に、数えきれないほど無数の肉片と化していた。
ボトボトと小さな肉の塊が草原に転がり、わずかな間をおいて、紫色の血が雨のように降り注ぐ。
――――!!!!!――—
音が消えた。
大型種の野蛮な笑い声が一斉に止んだ。
知能の低い、本来なら食欲と殺戮衝動と破壊衝動しかない怪物たちが、石像のように固まって動かない。
「……どうやら頭が悪すぎると、数秒は長生きできるようだな」
降り注ぐ紫の雨を全身に浴びながら、男は相も変わらず感情の籠らない声で呟いた。
「その魔剣……試し切りにすらなりませんでしたね」
「ああ」
女が声を掛けると、男は頷いた。
「皇帝とやらを潰しに行きますか?ディルグレイス様」
「いや、今はいい」
女の問いに、男は首を振る。
「王国のやつらが勝手に何とかするだろう……俺達はどうやら、“主様”には避けられているようだしな」
男は無造作に黒剣を振った。
びちっ、と音を立てて、紫色の液体が刀身から振り払われる。
「それに」
それから、ゆっくりと振り返る。
まるで樹氷のように微動だにしない、およそ百体の鬼たちを一瞥して。
「試し切りなら、今日はデカい肉には不自由しなさそうだ」
次の瞬間、トロールとオーガーの群れに戦慄が走った。




