50.嫌いなんだよ。肩凝るからな
「……ベルトラン隊長!!」
カレンとシュカが、そしてクリスティーナとディートクリフが、湿地に突っ伏したままの長身の男の下へ駆け寄った。
「――!!」
そして、四人が四人とも、血だまりの中のその姿を目の当たりにして言葉を失う。
「……ベルトランさん!」
なんとか声を絞り出り、クリスティーナはベルトランの身体を仰向けにさせると、その頭をそっと自分の膝の上に乗せた。
顔の泥を、白く細い指でそっと拭ってやる。
白い鎧も白いブラウスも、泥と血に染まってもはや元の色が分からないほどだ。
それでも、ベルトランは息をしていた。
「……ウチの、奴らは……?」
「……大丈夫ですよ」
クリスティーナは微笑んで答えた。
しかしその笑顔は、心なしか震えている。
「皆さん気を失っていますが、命に別状はありません」
そして【聖女】は治癒魔法の詠唱を始める。
「……あれ?これって……もしかして……膝枕ってやつ?」
「……まあ、そうかもですね」
全魔力を注ぎながら、クリスティーナは肩を竦めた。
「いやあ……これは……イイね……イイ、眺めだ……ガラにもなく頑張ったご褒美って……やつかぁ……?」
「……何、言ってるんですか」
輝きが、刻々と増していく。ベルトランの全身が光に包まれていく。
〈星芒騎士団〉最高の治癒魔法の使い手。
その彼女の最高位の治癒魔法。
「へへ……見たかよ?」
ベルトランはクリスティーナの膝の上で、ほんの少しだけ頭を傾け、カレンを見た。
「あの王サマに一発……くれてやったぜ……要するに、しょんべんひっかけてやった、みてえなもんだ……ざまあみろだ……」
「なんですか、その例えは……」
カレンが顔を顰めて見せると、ベルトランは「へへっ」と笑って、
「俺だって……死んでもただじゃ死なねえ……ちったぁ……見直した……だろ?」
「……何を言っている。あなたは……【残光】のベルトランは、殺したって死なない男でしょう」
だが、ベルトランは笑うだけでそれには答えなかった。
カレンの目を見て、もう一度口を開く。
「カレン……分かってるな?……ゲイ・ジェルグの……”マーキング”は……持ち主が変わっても消えねえ……次の……次の継承者が『呪い』を、引き継ぐ限りは……な」
カレンはベルトランの手をとり、両手でそっと包み込んだ。
「分かっています。……後は我々に任せて、少し休んでください。あなたの魔槍とその『呪い』は、私が引継ぐ」
「……待ってくださいよ、カレン隊長。師匠の槍は、俺が」
師の傍らでしゃがみ込んでいたシュカが割って入った。
「黙れ、俺だ。いずれ俺がもらう予定だった」
その隣でディートクリフがさらに被せる。
「……勝手に決めてんじゃねえよ、馬鹿弟子どもが……要らねえっつってたクセによ……」
ベルトランが鼻を鳴らした。
「それに悪ぃが……実は先約が……あんのよ……おめえらが……わざわざ『呪い』をもらう必要なんかねぇ……」
そこまで言うと、ベルトランは咳込んだ。
口から大量の血があふれ出す。
――まだ、こんなに血液が残っていたのか、と思うくらい。
クリスティーナは何も言わず、口元の血糊をそっと拭ってやった。
「ちっ……目が霞むな……せっかくイイ眺め……だってのに……よぉ」
「だから……何、言ってるんですか……」
クリスティーナはベルトランの額をぺしっ、と指ではじく。
【聖女】が灯す魔法の光は、いつの間にか強烈な輝きから、やんわりとした温かなものに変わっていた。
苦痛に歪んでいたベルトランの表情も、心なしか穏やかなものになっている。
ベルトランは「へへっ」と鼻を鳴らしてから、
「……カレン、もう一つある」
もう一度カレンのほうに顔を向けた。
だが、その視線はあらぬ方向を向いている。
すでにその瞳は、カレンを映してはいない。
「いいか、カレン……クロさんに伝えろ……【妖魔皇帝】のクソ野郎は……この俺の槍にビビッて……あの気持ち悪ぃウネウネ触手が鈍った……とな」
「……分かりました。約束します、ベルトラン隊長」
カレンはベルトランの手を両手でぎゅっと、力強く握った。
「私が必ず、団長に伝える」
「おう……頼むぜ……」
ベルトランは満足そうに頷いた。
「……ディートクリフ……シュカ……いるか……?」
ベルトランの声は小さく、酷く掠れていて聞き取りづらい。
「……ああ、ずっといるよ、師匠」
「俺もここにいる」
シュカとベルトランも、カレンとは反対の手を握って答えた。
ベルトランはまた満足そうに「へっ」と鼻を鳴らすと、クリスティーナの淡い光の中で、途切れ途切れに言った。
「……師匠の俺が、最後にありがたい助言を、くれてやる……」
「……何、最後とか言ってんだよ、師匠」
シュカの声は掠れていた。
「……ディートクリフ」
「……」
「てめえはとにかく……態度がでけえわ、敬語も、使えないわ……クソ弟子……だったぜ」
「……悪かったな」
「クソ弟子……だったが……素質はある……この俺が……そこは認めてやる……槍も、指揮も……な」
「……」
「ディートクリフ……てめえはガキだが……揺るがねえ、男だ……てめえの思うままに……進め」
「ああ。分かった……隊長」
ベルトランは「へっ」と笑って、満足そうに頷いた。
「シュカ」
ベルトランはシュカのほうに少しだけ顔を動かす。
だがその瞳はやはり、あらぬ方向を向いている。
「ここだよ、師匠」
シュカは師に分かるように握った手に力を込めた。
「……てめえは見た目の割に、案外、器用な……やつだ……」
「“見た目の割に”は余計だよ……」
「……器用なやつってのは……却って自分の立ち位置に迷うもんだ……ともすると……“器用貧乏”になりがちだしな……自分の立ち位置を……役割を見失いがちやすい」
「……」
「けどな……てめえはアレだな……ディートクリフとは逆だ……今は大いに悩め……“今”にこだわるな……てめえの持ち味を考えろ……大丈夫だ……いつか……道は、拓けるからな……」
「……碌に指導もしなかったクセに」
シュカは笑った。
「何でもお見通しかよ……」
笑ってから、力強く頷いた。
「でも、分かったよ、師匠。あんたの言うこと、信じるよ」
「……なんつーか……まあ、アレだ……なんだかんだ言っても……てめえらはなかなかデキの良い弟子だったぜ……てめぇらは強くなる……俺なんかよりずっとな……可能性は無限大……ってやつだ。……だってそうだろ?……若えんだから、よ……」
「……」
「……」
ベルトランはふと、空を仰ぎ見るように視線を泳がせた。
ここにいない、もう一人の弟子の顔を見ている。
「それから……アイリスに……俺の一番弟子にも伝えてやってくれや……“焦るな”……“背負い過ぎるな”……“お前はひとりじゃねえ”……」
そして、ベルトランはふと表情を緩めた。
もう一人の弟子に、語り掛けるように。
「“もっと自分を……大事にしろよ”…ってな」
「……分かった」
「了解だ、師匠。ちゃんと伝えとくよ」
ディートクリフが、次いでシュカが答えた。
それから、シュカはベルトランの腕にそっと触れた。
「……師匠、俺たちはあんたのお陰でそこそこ強くなれたよ……マジで感謝してる。感謝してるし、尊敬もしてる。こっぱずかしくて、今まで言わなかったけどさ」
「俺もまあ……そういうことだ、隊長」
「アイリスもさ……あいつも、きっと同じだよ、師匠」
「へ……急にしおらしくなりやがって……クソガキどもが」
ベルトランはまた鼻を鳴らした。
――その血に濡れた頬に、ふと、水滴が零れ落ちる。
「アイリスを……あの子をここに連れてきてあげられなくて、ごめんなさい……」
クリスティーナだった。
泣いていた。
紅水晶の大きな瞳から涙が溢れ、頬を伝ってぽろぽろと流れては落ちる。
止まらない。
クリスティーナはベルトランの顔を両腕で優しく包み込み、その胸にそっと抱きしめ、涙を流しながら「ごめんなさい」と繰り返した。
彼女が紡ぎ出す温かな淡い輝きは、もはや傷を癒す光ではない。
――あらゆる苦痛を取り除く、痛覚遮断の魔法。
ベルトランは笑った。
「へ……まあ、あいつはきっとお前みたいに泣いてはくれねえし……こんなに胸もでっかくないし……な……」
「……もう、こんなときまで……何言ってるんですか……」
クリスティーナも笑った。
泣きながら、呆れた顔をして、困ったように笑った。
「へへっ……」
ベルトランは何も映さなくなった瞳で空を仰ぎ、
「……ああ、煙草……吸いてぇな……」
と呟いた。
「た、煙草……!」
少し離れたところでアリス達とその光景を見守っていたサラが、何かに駆り立てられるように周囲を見回した。
ベルトランは【聖女】の膝の上で、ふぅー、と深い息を吐き、そしてまた口を開いた。
「参ったな……いつになく鎧が……重いぜ……だから嫌いなんだよ……肩ぁ……凝るからなぁ……」
淡い光の中で、クリスティーナはベルトランの髪を優しく撫でた。
カレンが、その頬にそっと手を当てた。
シュカとディートクリフはふと顔を伏せた。
「……た、煙草……どこかに……誰か……」
サラが煙草を持っている兵を探そうと――戦場の事後処理に忙しなく行き交う兵たちの誰かに声を掛けようとして……リリィにそっと腕を掴まれた。
サラに添えられたその手は、微かに震えていた。
ローズがサラとリリィの肩を抱く。
「え?」
サラは不思議そうに二人を見て、それからアリスを見た。
アリスは藍玉の瞳でサラの翡翠の瞳を見つめ、静かに首を振った。
「え?」
サラは今度はジルを見て、エイリークを見て、そしてカレンを見た。
カレンはただ、「サラ」とだけ言った。
サラはクリスティーナを、ディートクリフを見る。
そして最後にシュカと目が合った。
シュカは静かな声で言った。
「……逝ったよ」
――寂しげで、優しい声だとサラは思った。
サラは急に力が抜けて、ペタンと、地面に崩れた。
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ここまでで、第五章は終わりです。
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