45.皇帝の慈悲
「そいつぁ、なんともありがたい提案だが……」
ベルトランは額に汗を浮かべながらも、おどけたような声で答えた。
「……こっちにも立場ってもんがあってなぁ。それだけは、ちょっと聞けねえ相談なんだわ」
「何故だ?汝らは放っておけばいくらでも増えるだろう。汝らを喰いつくすこともないぞ。何故なら我が子たちは人間達より多くなることはない……そう言う宿命――そのように造られたからな」
「……?」
「それに仮に我らが何もせずとも、いつの時代も勝手に人間同士で殺しあうではないか」
「へっ。それに関しちゃ、耳が痛いね……」
ベルトランは鼻を鳴らす。
【王】は、「本当に分からない」と言った表情で僅かに首を傾げた。
アリスは視線を走らせて妖魔を観察する。
【妖魔皇帝】は相変わらず、凄まじい圧力。
一瞬でも気を抜けば、すぐにでも恐怖に心臓が潰されそうだ。
でも、少しずつ落ち着いてきた。
もっとだ。もっと落ち着け。もっと冷静になれ。
冷静になって、ちゃんと見るんだ。
恐れているだけでは何も変えられない。
相手は【王】と、【王】が〈八妖将〉と呼んだ八体の妖魔のみ。
その内一体――ゴブリンはベルトラン隊長との戦闘でもはや戦える状態じゃない。
こっちの兵力は総勢五千。
ただし、今この場にいるのは十二人。
とは言え、全員が〈星芒騎士〉だ。数の上ではこちらの方が多い。
しかもこっちにはカレン隊長とベルトラン隊長がいる。
普通なら、敗けるなんて万に一つも考えられない。
でも――それでも。
(……圧倒的に不利、だよな)
【王】の強さは、アリスには測れない。
想像もつかない、と言った方が正しいかもしれない。
敵の実力を測る第六感とも言うべきアリスの戦士としての勘が、さっきから全く働かない。
――今のおれじゃあ、測定すら不能ということか。
ただ、他の妖魔たちより明らかに強いことだけは確かだ。
跪く妖魔たちも、一体一体がおれ以上だ。でもこっちにはカレン隊長とあのベルトラン隊長が――いや、さっきからそればっかりだな。
でも、ジルさんもいる。
シュカもいるし、二番隊は全員が上位ランカーの武闘派チームだ。
それに七番隊のみんなだって負けてないはず。
サラにしたって、ストニア防衛戦を乗り越えて、かなり成長している。
勝てなくても、時間さえ稼げれば。
近くにはセヴェン隊長もクリスティーナ隊長もディートクリフも、ロザン将軍も。
そして五千の兵がいる。
「……余には拒む理由が分からぬ」
やがて、【王】は憤るでもなく、苛立つでもなく、率直な疑問を口にした。
「もう一度言おう。卑しい身分の者でも、咎人でも良いと言っているのだ。いくらでもいるだろう、“要らぬ者”など。汝ら人間は常に下を作るはずだ。……そう言う種族だからな」
【王】の言っていることは、全く分からない訳ではない。
分からない訳ではないが――いや多少なりとも分かってしまうからこそ、アリスは却ってその言葉に憤りを抱いている自分を自覚した。
「……いい加減に、しろ……!」
しかし、それを口にしたのは、アリスではない。
カレンだった。
「我が国に“卑しい身分の者”などいない。それにたとえ罪人であっても法の下に裁かれるべきものだ」
大剣を抜き放つ。
刀身が見る間に眩い輝きを纏う。
だが、それだけにとどまらない。
「……お前にも立場も主張もあろう。だが、それを聞いてやる訳にはいかないんだ。もともと人と妖魔はお互い相容れぬ宿命。悪いがここで討たせてもらう。お前だけは、今この場で……この命と引き換えにしてもな」
唐突に、カレンの細い身体を激しい光が包み込む。
長い黒髪が、強風にあおられるようにバサバサとたなびき始めた。
(な、何だ?あの光……?)
アリスはカレンの様子に何故か胸が騒めくのを感じた。
魔法の詠唱時の現象に似ているが、あそこまで強烈な輝きは見たことがない。
それに、カレンは詠唱していない。
「まて、カレン!まだ許可は出てねえだろ!」
ベルトランの鋭い声が飛ぶ。
――許可?
アリスは怪訝な顔をした。
「……ベルトラン隊長」
カレンは【王】を見据えたまま答えた。
「あれを野放しはできません……!」
「分かっている。……それでも、お前はまだだ」
ベルトランは低い声で言い放った。
有無を言わせぬ力強さがあった。
「くっ……」
カレンの全身を包んでいた光が徐々に収まっていく。
「……争いは好まぬと言っているのだがな」
【王】は小さくため息をつき、そして静かに口を開いた。
「汝らは置かれている状況がまだ分かっていないようだな。余は慈悲を掛けているのだぞ」
小さく首を振ってから、ふと顔を上げる。
「汝らには、少し危機感が必要なようだ――何人か、殺すか」




