42.八体の大妖魔
「アリス……!」
「カレン隊長、シュカ!」
濃霧の向こうから、騎乗した黒髪の女と赤銅色の短髪の男が姿を現した。
だが、その二人だけではない。
二人に遅れること数秒、別の方角から四騎の騎馬が合流する。
カレンの五番隊でもシュカの九番隊でもない。
彼らは古城表門の援護に向かっている筈だからだ。
「二番隊……!」
リリィが小さく声を漏らした。
全員が長槍を手にしている。
――〈星芒騎士団〉二番隊。
星の騎士たちの中でも、特に武闘派と知られる白兵戦特化の部隊だ。
もっとも、現在の二番隊は本来、総勢六名。
ひとり――アリスの良く知った男が――足りないようだが。
「隊長は……!?」
「あそこだ!」
長槍を持った騎士たちは、ベルトランのほうへ向かう。
一方、カレンとシュカは視線を巡らせ状況を把握すると、下馬してアリス達のところへ駆け寄る。
「おい、アリス、【悪魔】はどこいった!?」
シュカが油断なく薙槍を構え、周囲を見渡す。
「……それ」
アリスは顎で示した。
その先には、もはや原型を留めない、黒い肉塊。
すでにそのほとんどが塵と化して霧散し、今や二つの黒妖犬の死骸くらいのサイズにまで縮んでいる。
あと一分もしないうちに、この湿地から完全に消え去ることだろう。
「はぁ?どういうことだよ」
「あの人が……ベルトラン隊長が破壊した……たった一撃で」
アリスがごくりと唾を飲み込みながら答えた。
「マジかよ……うちの師匠、大概バケモノだよな……」
「……【残光】のベルトランと『魔槍ゲイ・ジェルグ』か。相変わらず、とんでもない組み合わせだな」
ぞっとした顔をするシュカの隣で、カレンは呆れたように呟いた。
「ていうか、現在進行形で、とんでもないですよ……」
と言ったのはエイリークだ。
彼の視線の先では、確かに現在進行形で激戦が続いていた。
駆け付けた二番隊の四人も、隊長の邪魔にならない様、距離を置いて囲んでいる。
どうやら、誰も割って入る気はなさそうだ。
あの配置は恐らく、敵の逃走を阻止するためだろう。
「……俺らとは、格がちげえな」
シュカが正直な感想を漏らした。
アリスは無言で頷く。
若干悔しい気持ちもあるが、その通りだった。
まずゴブリン。
先日アリスが戦った時より、さらにもう一段階ももう二段階も強い。
あの時曲りなりにも手傷を負わせられたのは、単にアリスの手札を敵が知らなかったことと、そして何より相手がアリスを侮っていたから、なのだろう。
七番隊全員でかかっても苦戦しそうなレベルだ。
これが本当にゴブリンなのか。
ちょっと信じられない。
しかしもっと目を疑いたくなるのは人間のほう――要するに、ベルトランだ。
というかこの人も人間なのか。
それもちょっと信じられないかもしれない。
「……【残光】のベルトランは、怪物揃いの隊長たちの中でも唯一、あのルシアと引き分けるほどの実力者だ。しかも魔槍抜きでな」
アリス達の驚愕の表情に、答えたのはジル。
「むしろ驚くべきはあのゴブリンのほうだな。小鬼があれほどまでの力を持つものなのか……」
カレンは厳しい表情で呟いた。
「……でも、勝負あったな」
ジルが静かに言った。
一見すれば互角。どちらも競り負けているようには見えない。
腕力はゴブリンが上、疾さはベルトランが上。
だがよく見ると、ゴブリンは全身の至る所から紫色の血を流している。
呼吸が乱れ、技も心なしか大振りとなってきている。
対するベルトランは、無傷だ。
――ザシュッ!!
ついに、緋色の長槍がゴブリンの右肩を貫いた。
さらにベルトランは得物を引き抜く際に、鎖骨や胸の上部までを大きく抉る。
紫色の鮮血が、ざっくりと割れた裂傷から噴水のように溢れ出た。
「グォァアッ!!」
それでも巨剣を落とさなかったのは大したものだ。
ゴブリンは剣を大地に突き立て、片膝を突いた。
「ゴブリンのクセに、結構やるじゃねえか。ここまでとは、正直驚いたよ。けど残念だったな。てめえはここで終わりだ」
ベルトランは魔槍の切っ先をピタリとゴブリンの喉元に突き付けた。
「おのれぇ……!」
ゴブリンは凄まじい形相でベルトランを睨み、そしてアリスを見据えた。
「どこ見てんだ?……悪いけど、何か言い残すことがあっても聞いてはやれねえよ」
ベルトランはすっと槍を引く。
腰を屈め、刺突を繰り出す姿勢を取る。
「せめて楽に逝けや……!」
そして緋色の魔槍を一閃した。
――ドゴオオオオオンッ!!!!
瞬間、爆音が轟いた。
「――!!」
同時に土煙が舞い上がる。
「な、何……!?」
サラの悲鳴。
アリス達からは爆煙に包まれたベルトランとゴブリンの姿は全く見えない。
煙の周りで二番隊の騎士たちも顔を見合わせているようだが、四人とも万一に備えて戦闘態勢を崩さなかった。
槍の穂先を立ち込める煙の中心へと向け、煙が晴れるのをじっと待っている。
やがて煙が薄まると、アリスの視界にベルトランの姿が戻った。
だが、その緋色の槍の先に、眉間を貫かれた小鬼の姿はない。
「……お仲間かよ」
いつも陽気なベルトランが、僅かに不機嫌そうな声を漏らした。
まだ完全に消えない煙の中に、ゴブリンがぼんやりと見える。
そして、その背後に別の人影。
いや、人ではないが……とにかく人型の何かの影だ。
しかも――
「……新たな敵影を確認!」
二番隊の誰かが叫んだ。
「その数――七!」
続いて、別の隊員が緊迫した声を上げる。
「恐らく全てが……高等妖魔だ……!」
煙が晴れたそこには、確かにゴブリンを含めて八つの影があった。
「高等妖魔……!」
その姿が視界に映った瞬間、サラは自分の心臓が激しく脈打つのを感じた。
理由はもちろん分かっている。
それでも手で胸を強く押さえつけて目を逸らしたい衝動を無理矢理跳ね除け、視線を走らせた。
一つは蝙蝠鬼だ。
でも蝙蝠鬼にしてはずば抜けて体格がいい。
やや細身ではあるが、身長は小鬼というより蛮賊鬼と変わらない。
そして何より、他の蝙蝠鬼の倍はあろうかと言う巨大な翼。
漆黒のローブを纏っている二体は貪血鬼だろう。
男型と女型が一体ずつ。
男型はフードを目深に被り、爛々と輝く黄色い眼以外、顔を伺い知ることはできない。
手には血のように赤い長剣と、黒炭のように真っ黒な長杖。
女型は薄いローブの上からでもわかる魅惑的なプロポーション。
美しく整った顔はしかし、目元を分厚い布で覆っている。
その左手には何かの皮で造られたような茶色い本。
蝙蝠鬼は一週間前のストニア防衛戦で嫌と言うほど戦った。
貪血鬼もサラの最後の壁外出動の折、アリス達とともに何体か戦ったし、男型も女型も目にしている。
ただ、あの赤い剣は大きすぎる気がするし、そもそも杖に至っては短杖が長杖になっているが……個体差の範囲、と言えなくもない。
それに、残りは見たことがない。
見たことがない妖魔が四体もいる。
一体は金色の髪をした女だ。薄い布を纏っただけの半裸の美しい女。
だが人間とは明らかに違う。
まず腕が、ない。いや少なくとも人間の腕は、ない。
腕の代わりにそこにあるのは巨大な翼だ。茶色い羽根の、鳥のような翼。
さらにその細い脚も、膝から下が羽毛のような物に覆われ、さらに脛の中央辺りから下は明らかに猛禽類のそれだ。
そして女はもう一体。
何故か髪が濡れているこの女も、造形は間違いなく美女と言える。
というか、少なくともサラには超美人に見える。
だがやはり下半身は異形だ。
脚が八本。
うねうねと動くそれはまさしく蛸。
ひとりだけ、人間にしか見えない者もいた。
しかも子どもだ。十二、三歳と言ったところか。
それなりに整った顔立ちとも言えるが、特徴がないと言えばない。
どこにでもいそうな子ども。
サラはそんな印象を抱いた。
そして最後は――もしかして……エルフ?
恐ろしく整った中性的な顔立ち。超美青年、と言った感じだ。
病的なほど青白い肌を除けば、完璧な美貌。
だが、何故か怖い。何かが違う。
サラの中の何かがしきりに警鐘を鳴らしている。
ただ、とにかく恐ろしい何かがある。
これが本物のエルフ、なのだろうか。
何故だろう。震えが、止まらない。
「大丈夫だ、俺たちがいる」
震える肩に大きな手がそっと置かれた。隣にいたジルだ。
ごつごつしているのに温かくて、力強い手だった。
「しかし、こいつは……骨が折れるな」




