41.会いたかったぜ、ゴブリンちゃん
湿地帯とは言え、ナディアが誇る軍馬のほうが妖魔たちが駆る黒妖犬より足が速い。
古城から一キロも離れないうちに、アリス達七番隊は妖魔たちに追いつき、その横を並走する。
「もう終わりだ!……アスラ!」
アリスが叫ぶと、ゴブリンのボスは凄まじい形相で彼を睨みつけた。
エイリークが馬上から矢を射る。
ドスッ!
狙い過たずにゴブリンロードが騎乗する黒妖犬を貫いた。
一撃で絶命した黒妖犬の背を蹴りつけ、ゴブリンロードは軽やかに地面に着地した。
取り巻きの蛮賊鬼たちは慌てて犬を止めるが、駆け抜けるジル、ローズ、リリィ、そしてサラの《光の剣》の一閃で、瞬く間に四体が絶命する。
残った蛮賊鬼一体と五体の黒妖犬も、ジルとローズの追撃で一呼吸の後に掃討された。
ゴブリンロードが地に投げ出されてから僅か十秒足らず。
味方は全て息絶えていた。
「終わりだ。アスラ」
アリスはもう一度言った。
「貴様ァアッ……!」
ゴブリンは背の巨剣に手を掛ける。
だが、立ち込めた濃い霧の先をも見通す彼の黄色い眼は、その視界の端に近づいてくる三つの騎馬を捉えた。
増援か――
「おのれぇ……!!」
紫色の血が流れ出るほど歯を食いしばり、絞り出すような唸り声を上げながら、ゴブリンは目をかっと見開いた。
手には小さな真っ黒の――黒瑪瑙。
(石?)
ゴブリンはその石を、怪訝な表情を浮かべるアリスの足下に投げつけた。
「!」
ブオンッ――!
咄嗟に跳び退ったアリスがたった今踏みしめていた地面から、黒い霧のような何かが凄まじい勢いで吹き上がった。
爆発的に膨れ上がったその黒霧は急速に暴力的な質量を纏い、その全容を形作っていく……!
そこに現れたのは――
『おおおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおぉぉおおおおおぉおお!!!』
――ただただ悍ましい、カタマリ。
体高は五メートルほど。トロールより優に二回り以上は大きい。
腐りかけた老若男女様々な人の顔がいくつも重なり合ったような塊こそが、ソレの胴体。
その超重量級の胴の至る所から無数に生えた、若い女の白く細い手足。
そして先端に人間の成れの果てのような醜い顔を付けた巨大なミミズのような尾。
「……【怨嗟の悪魔】!!」
アリスは思わず呟いた。
「高位魔族だと!?」
ジルが驚愕の表情を浮かべ、
「よ、妖魔が【悪魔】を召喚した!?こ、ここに来て……?」
エイリークが困惑の滲む声で呻いた。
「チィッ!カレン隊長、あれはあの時の……!」
「ああ、【怨嗟の悪魔】だな」
最高速度で馬を走らせながらシュカが叫び、カレンも叫び返して答えた。
「アリス!ゴブリンが逃げるよ!」
ローズがリリィに向かって叫ぶ。
「いや、そんな場合じゃないでしょう!」
エイリークが余裕のない声を上げる。
「……やむを得ない!先に【悪魔】をやる!」
アリスは苦渋の決断を告げ、
「それしかないな」
「OK、アリスくん!」
「そ、そりゃそうですよね!」
「ま、魔族……それも上位の……」
ジルが、リリィが、エイリークが了解の旨を返し、サラが恐れ戦いた呻きを漏らし――
ザンッ――!!!!
突然、時が止まった。
うぞうぞと蠢いていた無数の白く細い腕が止まった。
うねうねと地を這う人の顔を付けた尾が動きを止めた。
身も凍るような悍ましい絶叫を奏でていた無数の人の顔が、ピタリと呻きを止めた。
「!??」
――そして、遅れて閃く、緋色の残光。
ブシュウウウウアアアッ……!!
どす黒い体液を噴水のようにまき散らし、五メートルを超える巨体が、縦に真っ二つに割れた。
「――!!!」
二分したカタマリに浮き出た無数の人面は絶叫を上げるまもなく沈黙する。
と、一瞬の後、動かなくなった肉塊から黒い煙が立ち上り始め、瞬く間に塵と化していく。
「核をぶっ壊しゃあ、こんなもんか……てか」
黒い煙の前には白い部分鎧を身に着けた長身の男。
口には煙草、そして右手に緋色の長槍。
「ざ、【残光】のベルトラン……!」
エイリークが思わずその名を呟く。
「……うっわ、ばっちぃ!!クソかゲロでもぶった切った気分だぜ……頼むから機嫌損ねるなよ、ゲイ・ジェルグ?俺だって切りたくて切った訳じゃねえからな」
大袈裟に顔を顰めながら、男は赤い槍をブンブン振って、穂先に付着したどす黒い液体を払っている。
ひとしきり渋い顔をして血糊を振り払い終えると、ベルトランは煙草を吸い、ふうー、とゆっくり煙を吐き出してから、ゴブリンを振り返った。
「会いたかったぜ、ゴブリンちゃん。……夜も眠れねえほどにな」
そして一足飛びで恐ろしい距離を跳躍し、すでに足を止めていた小鬼の前に着地した。
「べ、ベルトラン隊長は城内の指揮をしてたはずじゃ……この霧の中でどうやってここを……?」
その様子を驚愕と困惑の入り混じった目で見つめながら、サラが誰にともなくぽつりと疑問をこぼした。
「……『魔槍』だ」
「呪いの魔槍――『ゲイ・ジェルグ』……!」
サラの横でジルが短く答え、リリィがゴクリと喉を鳴らす。
「まそう?」
サラは首を傾げるばかりだ。
「……また貴様か」
ゴブリンは眼前に立ちはだかる長身の人間を、憤怒の形相で睨んだ。
黄色く濁った瞳が飛び出そうなくらい、かっと見開いている。
「ああ、悪いね。てめえを殺すまで、地獄の底へでも追っかけてくぜ。俺のゲイ・ジェルグがそうしろって、マジでうるせえんでな」
「……ふん、図に乗るなよ、人間風情が。やれるものならやってみろ」
ゴブリンは静かに言い放ち、巨剣を振りかぶった。
(……なんかコイツ、おれ以外には結構冷静だな)
場違いだが、アリスはふとそう思った。
「潔いじゃねえか。嫌いじゃねえぜ、そう言うの。んじゃま――遠慮なくイカせてもうらう、ぜ!」
言うが早いか、ベルトランが瞬時に湿った大地を蹴り、緋色の槍を繰り出す。
疾い――あまりに疾い。
アリスでさえ、目で追うのがやっとの疾さだ。
「ぬぅ!?」
ガキィッ!!!
ゴブリンは巨剣でその刺突を防いだが、そのあまりの勢いに思わず一歩後退する。
――二番隊隊長、【残光】のベルトランと敵将との死闘の幕開けだった。




