36.妖将たちの宴
――暗い。
夜なのだから当たり前ではある。
とは言え、暗い。
今宵は快晴。
夜空には星々が輝き、半分よりやや丸みを帯びた月も優しい明かりを大地に注いでいる。
しかしこの一帯には月明りや星明りの如きささやかな光など、ほとんど届きはしない。
深い、深い霧が年中立ち込めているためだ。
そんな陰鬱な濃霧に包まれた湿地の中心に、その古城はひっそりと佇んでいた。
古城の内部は、つい先日までの騒がしさが嘘のように、しんと静まり返っている。
生き物の気配もめっきりと減った。
とは言え、居ることは居る。
もっとも、それを『生き物』と称するのなら、ではあるが。
いつにもましてその者たちが大人しいのは、畏れているからだ。
今宵の来客たちに。
最上階の怪物たちに。
「……さて。皆さん、お集りのようですね」
若く美しい男が、しわがれた老人の声で言った。
その耳は長く、先が尖っている。
「ケッ、わざわざ奴らの言葉を使ってまで、集まって話す必要なんてあるのかよ」
甲高いダミ声が石造りの広い室内に響く。
「人間の言語は一番発音しやすいですからねぇ。それに陛下は我々が協力し合うことを望んでおいでです」
「……協力、ねえ」
若い男の言葉を、別の人影が鼻で嗤った。
子どものように見える。
この中では、少なくとも外見だけは、一番人間に近い。
「……」
その隣で、闇色のフードを目深に被った人影が、無言のまま黄色く濁った瞳を爛々と輝かせた。
「――おい!チビ助ぇ!!」
突然、落雷のような怒鳴り声が木霊した。
四メートル近い、巨大な影。
オーガーだ。
と言っても、普通のオーガーより二回りは大きい。
「あれだけの大軍を使っておいて、人間どもの要塞一つも落とせなかったようだなぁ!?貸してやった俺様の子分どもも無駄遣いしやがって!どう責任を取るつもりだ?あぁ!?」
オーガーは怒気を孕んだ罵声を向かいの小柄な影に叩きつけた。
小柄な影――ゴブリンは無言で自分より遥かに巨大な怪物を睨み返す。
「大半の兵を失っちまったしねぇ。今となってはもう、この前線基地に残る戦力も僅かじゃないかい」
ひとりの女が嘲笑うように言った。
それは確かに女ではあった。
しかし明らかに人間のシルエットではない。
「……この要塞は俺が死守する。敵はすべてこの俺が八つ裂きにしてくれる」
ゴブリンは表情を変えない。
「ハッ。そんな言葉、本当に信用できるのかねぇ」
子どもの姿のそれがまた、鼻で嗤った。
「こんな小物など、ハナから信用できるものか!」
オーガーが怒鳴った。
「そもそもコイツの失敗は、これで二度目だ。主様に献上するはずだった『破滅の魔剣』を奪われただけでも極刑モノだろうが!」
ゴブリンの肩がピクリと反応する。
「まあ確かに……あれは手痛いヘマだったなあ」
子どもがせせら嗤う。
闇色のフードの瞳がまた怪しく光り、女もゲラゲラと笑った。
「ふん、所詮は最下級の小鬼」
巨大なオーガーは尚も続ける。
「そもそも数合わせにしても、なぜこんな雑魚が軍団長にいるのだ!」
「なんだと?」
それまで黙って堪えていたゴブリンが、静かに口を開いた。
「……貴様、死にたいのか?」
「あ?」
オーガーは殺気の籠った目でギロリと小鬼を見下ろした。
「誰に向かって言っている?チビ助」
オーガーが巨大な戦斧をゆっくりと肩に担いだ。
ゴブリンも無言で巨剣をゆらりと構える。
まさに、一触即発。
「ククク、おもしれえ!好きに殺し合え!」
「小鬼と大鬼、どっちが勝つか見ものだね」
甲高いダミ声が狂ったように囃し立て、子どもも面白そうにけしかけるようなことを言う。
闇色のフードの影もまたその黄色い瞳を光らせた。暗い好奇心に目を輝かせているような雰囲気だ。
「やあねぇ。これだから血の気の多い男どもは」
それまで黙っていた人影が女の声で迷惑そうに呟いた。
その長く艶やかな髪は何故か濡れているように見える。
「うふふ。……殿方は争いがお好きですものね」
また別の人影が妙に艶っぽい声で笑った。
そのシルエットは見事に整った、美しい女のそれだ。
「アタシも嫌いじゃないけどねぇ。……ていうか、そもそも“男”とは言えないんじゃない?」
「……あら、わたくしの主人は”男性”ですわよ?」
最初にゴブリンを嘲笑した女の言葉に、艶っぽい声の女がクスっと笑う。
「いや、小鬼と大鬼の話だったんだけど……てかアンタたちは、できるの?アンタたちは、一代限りだろ」
「うふふ。嫌ですわ……何も子を作るためだけではないでしょうに」
「どうでも良いわ、そう言うの」
濡れ髪の女が詰まらなさそうに切り捨てた。
「……まあまあ、二人とも。落ち着いてくださいな」
女たちを尻目に、美貌の男は今にも殺し合いを始めそうな二体の妖魔の間に、穏やかな老人の声で割って入った。
「仲間同士で争うのは、陛下のご意志に反しますよ?」
その言葉に、今にも殺し合いが始まりそうだったはずのゴブリンとオーガーは、意外にもあっさりと矛を収めた。だが、いかにも忌々し気だ。
「ふん……どちらにしろ、人間どもはこの俺がここから先一歩も通さん」
ゴブリンがそう吐き捨てると、オーガーはニヤリと凶悪に笑った。
「俺様が手伝ってやろう」
「……ふざけるな。手出しは許さぬ」
だが、ゴブリンの怒りの形相を見てオーガーはさらに嘲笑する。
「ハッ!人間どもの方じゃねえ。そっちはせいぜい好きにやって、勝手に死ね!ハナから場違いなテメエはどっちにしろ、この辺りが潮時だろ」
「なに」
「俺様はテメエの代わりに『ダーインスレイヴ』を奪い返してやるさ!ちょうどそこのジジイが、盗人の隠れ家を突き止めたところだからなぁ!」
オーガーはそう言ってまた、いやらしく笑った。
「やれやれ……そのために教えたわけではないのですが」
美しい顔の男は溜め息をついてから、
「それに、奪われた魔剣とあの男については、陛下からのご命令は何もないのですよ?」
「主様からみすみす諦めろとお達しが出ている訳でもねえだろうが!」
だが、オーガーは意に介した様子がない。
「人間の魔王だかなんだか知らんが、俺様が格の違いを見せてやるさ!お前らは黙って待っていろ!」
そう言うが早いか、品のない笑い声を上げながら、オーガーは大戦斧を肩に担ぎドスドスと部屋を出て行った。
「ふう……やれやれ、ですね」
美しい顔の男はもう一度、わざとらしく溜め息をついた。
「……潮時ねぇ」
子どもがまた鼻で嗤う。
「あなたも人が悪いわね」
濡れ髪の女が興味のなさそうな眼で男を見る。
「酷い言いがかりですね。私は求めに応じて、ただ居場所を調べただけですよ」
男はおどけたように肩を竦めてから、ゴブリンに向き直った。
「さて。うるさい人もいなくなったことですし。そろそろ、ここに来た要件を果たさなくてはいけませんね」
「なに?」
ゴブリンは敵意の籠った目で男の作り物のような美しい顔を睨みつけた。
「陛下からのご伝言です。――”この前線基地が攻められることあらば、要塞を捨て皇帝の居城へ参じるように”、と」
「なんだと!?この俺に逃げろと言うのか?」
ゴブリンは目を剝いた。
「王命ですよ」
しかし美しい顔の男は、張り付いたような笑顔のまま、表情を変えない。
「嫌ですわ、アスラさん。まさか、あのお方のお気持ちを無下にされるおつもり?」
艶っぽい声の女が言うと、闇色のフードの人影がまたその黄色い眼を光らせる。
「うぬっ……」
ゴブリンは何とか怒りを沈めたようだった。
「よろしい。では、これを」
男はその細くしなやかな指の上に乗せた、直径三センチほどの黒い球体を渡した。
黒瑪瑙だ。
心なしか、黒い石の中にぼんやり紫がかった霞のような、汚れが動いているように見える。
「……ちっ」
ゴブリンは忌々し気に舌打ちして、それを受け取った。




